バイトの時間なのでお先に失礼します! | ナノ
レンズには直接触らないでください。
自転車に乗って登校するとその日は朝から甘い香りが充満していた。
あぁみんなチョコ持ってきたんだね、ってすぐにわかる。
卒業生のお姉ちゃんいわく、十年前くらいまでうちの高校はバレンタインのチョコ禁止だったんだけど、当時の学生はあの手この手でチョコを密輸して意中の人に渡していたらしく、今では先生方も諦めている。ただ風紀が乱れるようなことがあれば注意が飛んでくるらしいけど。
私は自転車のかごからバイト用のバッグとパン屋の大きめの袋に入った大量の手書きパンを持ち上げた。今日はパンのせいでカゴが重くてペダルが漕ぎにくかったよ。
いつものように教室に入ると、更にチョコ臭がした。あぁこれだけでもう今日は甘いもの食べたくないかも。こんな甘い匂いがするのに甘いもの配ったら顰蹙買わないだろうか。
「おはよー美玖」
「今日はすごい荷物だね」
「おはよ。はいバレンタイン」
「えーくれるの? ありがとー」
机に集まってスマホ見たりおしゃべりしていた友人たちに声をかけると彼女たちにビニールに入ったパンを手渡す。
「バイト先のパン?」
「うん。パン屋さんのパン制作お手伝いする代わりに大量注文したんだ。私が顔書いた」
「あははかわいー」
友達が記念とか言ってパンを写真撮影しはじめた。
何回も描いたので最近はちゃんとパンヒーローの顔に見えるようになったんだよ。何事も積み重ねだよね。
「これ悠木君にもあげるの?」
「え? あぁ、会えたら渡そうかな」
「なんで!? 今すぐ渡してきたらいいじゃん!」
私と悠木君が友達なのを知っている彼女たちはずずいと顔を近づけてきた。
…なんでよ、後で渡してもパンの味は変わらんでしょ。
「そうは言うけど悠木君のことだし、たくさんチョコをもらって機嫌悪くしてそうだから、時間置いたほうがいいと思う」
「なーに言ってんのよ! 美玖が渡しに来ないほうがイライラするに決まってるでしょ!」
「ついてきてあげるからいこう!」
「えぇ…じゃあ朝ごはん食べてから…」
早朝バイトしてきた私は今から朝ごはんなのだ。同じくパン屋で購入したカレーパンを袋からガサガサ取り出そうとしたら、友達その1が私の腕をぐいっと引っ張ってきた。ビニールからぼろんとカレーパンが落下しそうになり、慌てて素手でキャッチする。
私の左手はカレーパンの油でベタベタになってしまった。手を洗いたい。なのに友達は私をグイグイ引っ張っていく。友達その2がパンが大量に入った袋を片手に私の背中を押していく。私はカレーパン片手に特進科教室前まで強引に連行された。
0時間目が終わった特進科ももれなくチョコの匂いがした。パン屋でも嫌って言うほどチョコの匂いを嗅いでいたのに鼻がバカになりそうである。どうせならカレーパンとかにしとけばよかったかな…
「悠木君、悠木君!」
勇気ある友達は声を張り上げると教室内にいる悠木君に呼びかけた。友達の後ろからその姿を確認したが、わかりやすくげんなりした顔をしている。ほらみろ、機嫌悪いじゃないか。モテ男伝説の悠木君はきっと朝からと言わず早朝から女子に絡まれてうんざりしているに違いない。
「美玖が渡したいものがあるんだって!」
もう一人の友達がパンの袋を持ち上げる。悠木君がピクッと反応してしゅばっと立ち上がったのが見えた。もしかしてお腹が空いているのだろうか。
変な風に特進A組の面々に注目されながら、悠木君へ友チョコならぬ友パンを差し出した。
「あげるよこれ」
「お前が顔書いたやつ?」
「そうだよ、今日バレンタインだからさ」
私が飾り気のない素朴なチョコパンを渡すと悠木君は両手で受け取って目をキラキラと輝かせていた。そこまで嬉しいのか。お腹空いてるの?
「それは?」
「私の朝ごはんのカレーパン。ごめんね、さっき素手でキャッチしたから衛生的に渡せないや」
悠木君の視線が私が持っているカレーパンに移ったが、これはあげられないのだ。悪いな。これは私が責任持って食すよ。
「夏生いいなぁー。ねぇ森宮さん、俺には?」
そこへにやにや笑いの眼鏡がやってきた。朝から見ていて腹が立つ顔である。なんと言うか…からかってやろうという性格の悪さが際立って見ていてイライラするのだ。
「友達に配ってるんだ、だから眼鏡の分はないよ」
「相変わらず俺は友達以下なんだね!」
お前に食わせるチョコパンはねぇ、そう遠回しに言うとヤツは大げさな反応をしていた。
どうせ眼鏡はその辺の女子からもらうからいいだろ。悠木君にも同じことが言えるけどさ。
「友達…」
「うん、そうそう。仲いい友達に配ってるからそんな気負わないでね」
変にホワイトデー奮発とかしなくていいから。悠木君お返しが大変そうだし。
私がフォローするように説明すると、悠木君は先程の笑顔からしょんぼりした顔をしていた。そして私の隣にいた友達が「あちゃー…」と頭を抱えていた。…なんだよ、私の今の発言のどこがあちゃーなんだよ。
「もーらい!」
油断していたのだろう。ニヤニヤが止まらない眼鏡は悠木君の手からチョコパンを奪った。小学生かよ。やることが子供じゃないか。
「なにすんだよ! 大輔、お前には礼奈からのチョコがあるだろ!」
おぉ、桐生礼奈はチョコをあげたのか。抜かりないな。
ということは……悠木君も桐生礼奈からもらったのだろうか?
「はぁ? 義理だろどうせ」
肩をすくめて笑った眼鏡はなぜか奪ったパンを片手に、私に向かって手を伸ばしてきた。そして馴れ馴れしく肩を抱いてきたではないか。
「森宮さん、俺さぁ彼女募集中なんだけど……俺と付き合わない?」
耳元で囁かれて私は表情をなくした。
なんだこいつ。
私が唇をへの字にして睨みつけると、「森宮さん、名前で呼んでもいい?」とこれまた馴れ馴れしい発言をする。こいつ…嫌がらせのつもりか……
なんか横で「ひっ…」と友達が怯えた声を漏らしたので、ちらっとそちらに視線を向けると、悠木君が眼鏡を睨みつけていた。君たちは友達なんだよね? って問いかけたくなるくらい鋭い視線で、今にも殴りかかってきそうだった。
眼鏡のせいで周りからの視線が更に強くなって、ヒソヒソと噂が立てられようとしていた。なんてことだ。私はただチョコパンを持ってきただけなのに、あげなかったからといってこんな嫌がらせされるなんて。
我慢の限界に達した私は左手を持ち上げた。そして指の腹を眼鏡の眼鏡にべちゃあとくっつける。
「寝言は寝てから言え」
チョコパン一つで器の小さい男である。お前にはカレーパンの残りカスである油分でもくれてやるわ。
「あああああ!」
眼鏡は大げさに悲鳴をあげた。
「ちょっと、森宮さん、油っぽいもの食べた手でレンズに触らないで!?」
「セクハラするあんたが悪い」
ヤツの手からチョコパンを奪還すると悠木君の手に返してあげる。また盗られるかもしれないから早く食べたほうがいいよと告げると、悠木君はぽかんとした顔をしていた。
慌ててレンズを眼鏡拭きで磨いている眼鏡。「油が取れない!」と騒いでいるが自業自得だ。悪乗りして嫌がらせした自分の罪を憎みなさい。
用も済ませたことだ。私はさっさと教室に戻ろうとしたら、廊下のその先に彼女がいた。
私が苦手としている彼女。その姿を見た私はうわっと思ったのだが、彼女の視線は別の方向を向いていた。私を通り過ぎて、眼鏡の方向へ……
私の気のせいだろうか。
彼女は傷ついた顔をしていた。今にも泣いてしまいそうな顔で。
パーフェクトで名高い美女で有名な桐生礼奈のそんな表情を見たのは初めてだった。
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