太陽のデイジー番外編 | ナノ
外伝・東で花咲く菊花
開花


「こらっまた犬に昼飯やってんのか!」

 握り飯を顔見知りの野良犬に与えていると、背後から怒鳴られた。その声にビビった犬がピャッと走って逃げていってしまった。ここに置いておけばまた食べに来るだろうか。

「ほら、俺の昼飯を分けてやるからお前はちゃんと飯を食え」

 スバルさんは少し怒り気味にドスンと隣に座って自分のお弁当の包みを広げていた。

「それじゃスバルさんの分がなくなるんじゃ」
「気にするなら、今度から自分の昼飯は自分で食うんだな」

 そう言ってお煮しめの人参を口元に持ってこられたので、あたしは仕方なく口を開く。……どっかで見た鳥の雛への給餌みたいだが、食べなきゃ怒られるのでおとなしく食べる。

「…お前って口小さいよな」
「…そうですか?」

 むぐむぐと人参を噛み締めていると、スバルさんがぽそっと呟く。
 口が小さいとかそんなこと気にしたことないけど…鏡のない生活してたから自分の容姿に興味持ったことないし。
 人参を飲み込むと、次はだし巻き卵が突き出される。あたしは渋々それに噛み付いて咀嚼する。それをじろじろと観察されるものだからあたしはいたたまれなくなった。

「…もういいです」
「だめだ。もっと食え」

 なんだかお腹いっぱいになってきたのでもういいと言ったのに、スバルさんはだし巻き卵の余りをあたしの口に突っ込んできた。
 仕方なく口を動かしていると、次は白米一口分をずずいと唇にくっつけられた。

 この国に来て7ヶ月目。この国の文化はまだまだわからないことばかりだが、最近は伯父さんの店での仕事にも慣れてきた。
 あたしは決して愛想がいいほうではない。ただひたすら黙々働いているので、可愛げがないと眉をひそめる人もいるが、雇用主である伯父さんや古株の従業員たちには努力を認めてもらっている気もする。

 愛想を求める人達はあたしを女として意識している人が多いのだ。それは未婚者の男だったり、同じ年代の女が一方的に敵対視してきたり。
 正直そんなのに相手している心の余裕がないので、まともに取り合わない。何を期待されているのか知らないが、あたしは今を生きるのに必死なのだ。


□■□


 伯父さんから話があると言われて呼び出されたとある休日。一体何の話だろう。母さんと兄さんと一緒に出向くと、通された部屋にて、色鮮やかな着物と、化粧品、髪飾りに履物が並べられた。

「……これは?」

 それを見たあたしは嫌な予感をひしひしと感じていた。

「お前に女物の着物を用意したが一度も袖を通してくれなかっただろう? 柄が気に食わんかったのかなと思ってな。これはユカリがお前と同じ年頃に着ていた一張羅だ。キッカは身丈が高いから調節もしてもらったぞ」

 母さんが若い頃に来ていた着物をわざわざお直しして用意してくれたのだという。

「懐かしい。お父さんが仕立ててくれたのものね」

 そう言って懐かしそうに着物を手にとった母さんの瞳には涙が滲んでいた。
 母さんの両親…つまりあたしと兄さんの祖父母にあたる人たちは、母さんが拉致されてハルベリオンにいた間にそれぞれ病気で亡くなってしまったのだという。母さんが親の死に目に会えなかったことを深く後悔し、悲しんでいたのを知っていたあたしは、口から飛び出しそうな拒絶の言葉を飲み込んだ。
 ここで嫌だと言ったら、母さんを悲しませてしまうかもしれないと思ったからだ。

 女物の着付けはわからないので母さんに手伝ってもらいながらなんとか着付けると、母さんがあたしの顔を化粧をして髪まで結ってくれた。
 向こうではざんばらに短くしていた髪はこちらに来てから伸ばすようになったけどもまだまだ長さが足りない。正直真夏とか暑いので短くしたい。……あたしは別に女らしくしたいわけじゃないからどうでもいいけど、短くすると周りがうるさいから我慢しているとも言う。

 姿見の前で着物の全身図を観察する。
 紅色の着物には白と黄色の花が描かれていた。輪菊の花だ。

「キッカの名前の花よ」

 そうだ、あたしの名前はその花の名前から取ったのだ。あっちでは教育を受けなかったあたしが唯一書けた名前。菊花の文字。
 しかし鏡に映る自分を見て違和感を覚える。……着物はキレイだけど、なんだか変な感じがする。化粧して色気づいた自分の顔が浮いて気持ち悪く見えた。

「どうした、スバル。そんな腑抜けた顔をして」

 伯父さんの笑いを堪えたようなおかしそうな声にあたしが振り返ると、なぜか廊下にスバルさんの姿があった。休みなのになぜ伯父さんの家にいるんだろう。

「…スバルさん?」

 スバルさんは顔を真っ赤にさせて、なにやら呆然としていた。
 ……具合が悪いのだろうか。着慣れた着物と違って歩きにくい着物でちまちま歩きながら近づくと、彼はビクリと驚いた。あたしを上から下まで眺めた後、ほう…とため息を吐き出していた。

「…びっくりした。天女がそこにいるかと」

 てんにょ。
 宗教かなにかだろうか。あっちで言う女神フローラみたいな存在のこと?
 ぽーっと夢を見ているかのようにぼんやりした目でスバルさんはあたしを見つめてきた。その目はいつもと違って火傷してしまいそうな熱を感じた。

「……綺麗だ、キッカ」

 ボウッと顔が発火したかと思った。
 柄でもない格好を見られたのだと思い出したあたしは急に恥ずかしくなってシュバッと兄貴の後ろに隠れた。

「せっかくだからその格好で街に出かけてきたらどうだ?」
「…え?」
「女の格好に慣れる訓練だ。一日街を回ってみたらキッカの意識も変わるかもしれないだろ? トウマとスバルがいたら近づく不埒者なんかいねーだろ!」
「…俺も行くのか…」

 名指しされた兄さんが不満そうに漏らしていた。女装したあたしとは恥ずかしくて歩きたくないのだろうか。

「それは名案ですね。そうと決まれば行こう」

 あたしの手を握って引っ張ってきたスバルさん。あたしは慌てて兄さんの着物の裾を掴んで引っ張る。

「おいおい、2人で行けばいいだろ、俺はいらないだろ…」

 なにやら兄さんが後ろでぶつくさ言っているが、恥ずかしいのでついてきてほしい。
 スバルさんはあたしの手を離さなかった。街まで走っている人力車に乗るときもあたしとスバルさん、後ろの人力車に兄さんひとりという組み合わせで乗った。これまでに何度か出向いた街。いつもは食べ歩きをしたり、興行があればそれを観に行ったりしている。最初に来たときは色街に案内されたけど、あの一回きりでそれ以降は色街には近づいていない。

 休日ということで人の流れが多い。人とぶつからないようにスバルさんが誘導してくれるからマシだけどやっぱりこの服は動きにくい。
 ちらりとすれ違った男性がこっちを見た。さっきからずっとこうだ。普通に歩いているのに、今日はやけに周りからの視線が集中してきた。あたしは人の視線が怖くてスバルさんの背中に身を隠すように歩いていた。

「大丈夫だよキッカ。周りはキッカが綺麗だから見ているだけだ」
「……そんなわけない」

 そんなことハルベリオンでは一度も言われたことないぞ。あたしが美人とか笑わせないでほしい。スバルさんは親しい同僚だからきっと褒め言葉を掛けているだけなのだと自分に言い聞かせる。

「あたし、やっぱり変なんじゃ…」

 こんな慣れない格好、やっぱり断ればよかったんじゃ……

「キッカはべっぴんさんだからな。誰だって注目してしまうもんさ」

 スバルさんはなんだか鼻高々といった顔で隣を歩いている。何がそんなに誇らしいのだろうか……

「えぇと…じゃあ俺は帰るな…」
「え!? ちょっと待ってよ兄さん!」

 なぜかあたしを置いて離脱しようとする兄さんに手を伸ばすと、ぐいっと後ろに手を引っ張られた。

「トウマは空気を読んでくれたんだよ。キッカは俺のそばにいたら大丈夫だよ」
「いや、でも」

 しっかり握られていた手を軽く離されたかと思えば、指を絡めるようなつなぎ方をされ、あたしの身体を流れる血液が泡立った。何その手のつなぎ方。

「お腹すいていないか? 甘味処行こう」

 スバルさんはなぜにそんなに嬉しそうなんだろうか。
 ……火傷しそうなほど熱いのに、そこには優しさとなにか他の特別な気持ちが含まれているように見える。

 それにあたしもそんな彼を見ていると嬉しくて、胸がどきどき落ち着かなくて、泣きたくなるような変な気分になるのだ。
 なぜなんだろうか。
 こんな気持ち、あたしは知らない。


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