震える手で差し出されたお菓子。
それを男は受けと…らなかった。
──バシッ
女の子の手ごと叩き落とすと、地面に落下したそれに足を踏み降ろしたのだ。
「いらねーよ……気持ち悪ぃ」
グシャリと音を立てて踏みつけにされた手作り菓子。それには女の子だけでなく、偶然居合わせた私まで固まってしまった。
た、叩き落とした上に、踏んだ!?
何してるのこいつ、馬鹿なのこいつ、何様のつもりなのこいつ…!
私は顎が外れそうなくらい口をガパッと開けて、その男をガン見した。
いらないならいらないの一言で済むのに、余計なアクション加え過ぎじゃない!?
女の子はそれを呆然と見ていたが、何をされたのかじわじわと理解したらしく、目に涙を浮かべて泣き出した。
男はそれを見て、忌々しそうに舌打ちしている。
舌打ち? いやいや。舌打ちしたいのはこっちの方だわ!
「ちょっと! あんた! S組のあんたぁ! なんて酷いことしてんのよ!」
堪り兼ねて私は声を掛けた。
こりゃあかん。S組だろうとなんだろうと、人としてやっていいこととやってはいけないことは注意してあげなくては。
私は女の子を庇うように間に入って、男を睨みつけた。
「人の手作りが苦手だからって踏みつけるのはいかがなものかと思うよ!? 挙句の果てに気持ち悪ぃだぁ? 失礼もいいところだろうが!」
どこから突っ込めばいいのか……突っ込みどころが満載だわ! 食べ物を粗末にしちゃいけませんとか習わなかったかな!? 私は小学校の時に習ったけどね!
男は眉間にシワを寄せてガンを飛ばしてくるが、私も負けじと睨み返した。
よく見たらなるほど、イケメンだ。美少年と言うよりは、ワイルド系の野性的な美形だ。これは女の子にモテますわ。やってること最悪だからそれで好感度マイナス突破ですけど。
「あぁ? うっせーなブス」
……ん?
なんだろ、聞き間違いかな?
「ブスの作ったもんなんか食えるかってんだ。こっちは迷惑してるんだよ。しゃしゃり出てくんなブス。お前みたいな出しゃばり女、一番キライなんだよ」
ブス……一度ならず二度もブスって言った……?
ブス……? 私がブス……? 出しゃばりブスだと……?
「はぁぁん!? ちょっと顔がいいからって調子ぶっこいてんじゃないぞ、テメェこの野郎!!」
私はブチギレた。
面と向かってブスと言われたのが初めてだったのもあるけど、この性悪男に罵倒されたのが納得行かなかったのだ。
私がぐわっと言い返すと、相手が怯んだ様子を見せた。だけど私はそれに構わず続けた。
「Sクラスだから天狗になってんのか知らないけど、私は遠慮してやらんからな! あんたは最低だ! 食べ物じゃなく、女の子の容貌までも罵倒して! どんなに女子ウケする顔面偏差値をお持ちでも、性格までは追いついていらっしゃらないようで!」
これは人付き合いが苦手なレベルじゃないよ! あまりにも酷すぎる。後ろにいる彼女のことはよく知らないけど、好意を持っている男の子にお菓子を渡そうとしただけじゃないか。いじらしい女の子じゃないか。
それだけなのにここまでするか、普通!
「どんな理由があったにせよ、あんたがやったことは擁護できない! 彼女に非礼を詫びなさい!」
「……るせぇな」
私が謝罪を要求すると、ボソリと男がつぶやいた。だけどその声は低く小さく、私の耳には届かなかった。
私は後ろで泣いている女の子のことが気になってパッと後ろを振り返る。彼女は涙目だったけど、驚いた風に固まっていた。大丈夫かと声をかけようとすると、頭皮に引きつるような痛みが走った。
直後、ブチブチッと嫌な音が聞こえた。
「いっ…いでででで!!」
痛みの発信源を抑えようと頭を両手で抑えたが、髪の毛が一定方向に引っ張られているようで痛みはさらに増す。
「このブス…! ぐだぐだぐだぐだうるせぇんだよ…!」
「ハゲるハゲる!!」
マジかこいつ! 女の髪を引っこ抜こうとしてるぜ!!
私のポニーテールにしている髪を引っ張る男の手に爪を立てて剥がそうとするが、その手は解けない。
「ピッ! ピュリロロロッ」
「イテッ、なんだ!?」
そこに私の相棒の鳴き声が届く。
お昼中は食堂に入れない為、学校周辺を空中散歩しているピッピが男の周りを飛んで、足の爪攻撃を繰り広げている。
駄目だピッピ、この男は小動物だろうと構わず手をあげるはず。小さなあんたじゃはたき落とされてしまう…!
私はピッピの危険を察知して相手の手を剥がそうしたが、私の髪を引っ張る力は緩まない。むしろ強まった。
「うあ゛ぁぁっ…!」
私は痛みに引きつった声を上げた。
私は間違ったこと何一つ言っていないのに、何たる仕打ち。
やっぱり早いうちから親元を引き剥がすからこういう人が出てくるんだって! 情緒面に大いに問題有りすぎでしょ! 何なのこいつ、人の髪引っこ抜こうとするとか頭おかしいんじゃない!?
「──駆!? …なにしてるんだ! 今すぐやめろ駆!!」
その声で、男の手が緩んだ。
驚くほど素直に緩んだ。
私は未だにヒリヒリ痛む頭皮を擦りながら声の主を見ると、それは先程食堂で別れた日色君であった。日色君のイメージらしからぬ大声だったからびっくりしたけど、助かった……
私の手のひらには抜けてしまった髪の毛がごっそり……その惨状に言葉をなくした。私の気持ちを知ってか知らずか、ピッピが私の頭の上に着地する。そしていつものように髪の毛を引っ張って巣作りもどきをしてくるではないか…
ちょ、今はやめて。頭皮はとても繊細になっているの。くちばしで引っ張られたらきっと簡単に抜けてしまう……
「隆一郎てめぇ…」
血を滲ませたような声に私はノロノロと顔を上げた。そこには対峙している日色君と男の姿が。
苛立っている男は日色君を鋭く睨みつける。日色君まで暴力を振られるのではと焦ったが、彼は至って平静で落ち着いていた。
「何があったか知らないけど、駆、お前のやっていることは男として最低の行為だ。……また反省房に入れられたいのか。こればかりは僕も庇ってやらないぞ」
……いや、日色君は怒っていた。
怒鳴るわけじゃない。しかしいつも穏やかなその声は明らかな怒りをはらんでおり、静かに怒っていた。
それに気圧されたのかどうかはわからないが、男は視線を彷徨わせ、なんだかバツが悪そうな顔をしていた。
「…うるせぇ! 俺に構うな!」
「駆!」
日色君の呼び止める声を無視して性悪男もとい、戌井駆という男子生徒は悪態をつきながら立ち去っていった。
それを見送った日色君は疲れたようにため息をひとつ。そしてすぐに私に「大丈夫? 大武さん」と声を掛けてくれた。
「あ、あんま大丈夫じゃないかも…めっちゃ抜けた…」
朝起きたら枕元に抜け毛がいっぱいあった人の気持ちってこんな感じだろうか。髪型が崩れたので髪ゴムを解いて手ぐしで整えると、まだまだ抜け毛が。
私はしょんぼりした。
そんな私を日色君は痛々しそうに見つめてくる。
「…本当に彼がごめんね…駆は能力が特殊で…口下手と言うか、力加減が出来ないと言うか…人間との距離感がうまくつかめない奴なんだ…」
だからああやって僕も能力を行使せざるを得なくなるんだけど…とつぶやく日色君。
能力を行使?……あ、それであの男があっさり私の髪の毛から手を離したのか。
便利でいいなと思うけど、日色君は声で人を操る能力をあまり好きじゃなさそうだ。彼は憂いに満ちた表情を浮かべている。
「日色君助けてくれてありがとう。大丈夫だよ! 今度あいつに遭遇したら面と向かって文句言うから! 日色君が謝る必要はないよ!」
私は敢えて元気よく声を掛けた。
抜けた髪の毛は戻らないけど、また生える…はず! それにやられっぱなしは嫌なので、本人にちゃんとクレームつけるし、日色君が責任を感じる必要はないんだよ!
私は彼を安心させるために、拳で自分の胸を強く叩いたのだが、日色君は眉を八の字にさせて困った顔をしていた。
「いや、彼は感情がコントロールできないからできればあまり近寄らないほうがいいよ」
「えー?」
戌井駆はその特殊な能力をコントロールできなくて、それがストレスとなり、はけ口としてああやって子供のような癇癪を起こすのだと説明してくれた。
日色君はちゃんと忠告してくれた。なぜ危険なのかをわかりやすく教えてくれた。
なのだけど私は軽く考えていた。だってまだ転入して1週間だもの。超能力について知識が浅すぎた。
そして超能力の危険性についてもあまり良くわかっていなかったのだ。