太陽のデイジー | ナノ
私はアステリアになる。
子羊のローストにすっとナイフを入れる。力を入れずとも簡単に切れた肉を口の中に入れると、複雑なソースの味と一緒に肉の脂が広がった。
貴族流の気取った食事の時間も回数をこなせば慣れてきたように思える。家族との距離は広すぎるテーブルのように相変わらず縮まないし、冗談を飛ばし合うほど馴染んでいないけども。
「先週、グラナーダ王国の獣人村で誘拐騒ぎがあったそうだ」
夕飯の時間に私の実父である辺境伯が不穏な話をし始めた。気になる単語に反応した私は食べるのをやめてフォークを下ろしていた。
「まぁ、下手人は捕まりましたの?」
夫人の問いかけに私も注目する。
何故獣人村なんだ。下手したら返り討ちにあう可能性だってあったというのに。
辺境伯はわからない、と首を横に振っていた。
「グラナーダ側は情報操作して、その誘拐騒ぎをなかったものにしようとしているみたいで、あまり情報が入ってこないんだ。ただ、気になるのが…狙われたのが竜人なんだ。性別年齢問わず、竜人が数名さらわれたとの情報が入ってきた」
「…竜人?」
ディーデリヒさんは眉をひそめて聞き返していた。だけど私も同じ気持ちである。
何故狙われたのが竜人なのだろうか。奴隷制度はとうの昔に廃止、禁止されているのに……ぶっちゃけ竜人は気位の高い人が多いので扱いにくいぞ。
「グラナーダはお世辞にも国力が強くない。そして我が国とエスメラルダによって危険な国から離されているため、国防意識も高くない」
辺境伯の言葉に私は学生時代のことを思い出した。帰省途中の馬車の前に突然飛び出してきたグラナーダ出身だという女性。彼女以外の女性たちはハルベリオンの魔術師によって送り込まれたと言っていた。彼女は保護された後グラナーダに送還されたそうだが……元気にしているだろうか。
身分はおおまかに上流階級、中流階級、下流階級と分けられているが、その差が顕著なのは恐らくグラナーダだろう。シュバルツの下流階級はグラナーダの中流階級レベルと言ってもいい位、南の国は貧しい。…どうやらあまり良い施政者に恵まれてないようなのだ。
「うちの兵士たちにも厳しく国境沿いの監視を指示しているが、君達も注意を怠るな。それと私は明日から領内の獣人村へ視察に行くのでそのつもりで」
「わかりました。お気をつけて」
フォルクヴァルツ領内にも獣人の村があると聞いていたが……ついこの間別れを告げた気がする故郷が恋しくなって胸がきゅうっとなった。私は何も言えずに黙り込んでいた。
「あぁ、それとアステリア」
辺境伯に名前を呼ばれた私はビクリと肩を揺らしてしまった。私がぱっと顔を上げると、彼だけでなく、夫人やディーデリヒさんもこちらを見ているではないか。私が故郷を思い出したことがダダ漏れだったのかとドキドキした。
「アステリアはとても優秀だと家庭教師の先生が言っていたぞ」
その言葉に私はパチリとまばたきを1つ。
「…先生の教え方が上手で…」
ギルダがひどかっただけだと思います。教師が代われば、あっさり吸収できるようになったんだよ。
…とは口に出さない。
「君はもうすでに魔法魔術学校を卒業し、優秀な成績で高等魔術師試験にまで合格した。以前は高等魔術師として色んな所に飛んで活動していたね」
「……」
何が言いたいのだろう。
もう教えることがないと家庭教師の先生が言ったのだろうか。んーでもまだ終わっていない教本もあるし……苦情か何かか?
「…君にはこれまで我慢を強いていたからね。ちゃんとこちらが課したこともこなしてくれている。だからご褒美と言っては何だが、明日から少し自由に動き回っても構わないよ」
私は首を傾げた。
ギルダ達がいなくなったことで私は以前よりは自由に動けるようになった気がするんだけどな…?
「流石に旅は許可できないが……市井で育った君は王立図書館に通い、沢山の本を読み込んでいた。それに市井の人たちに薬を施していたと聞く。…護衛のものがつく前提にはなるが、君のしたいことをしても構わないよ」
「……それは、好きに勉強してもいいってことですか? ……魔術師の仕事をしてもいいということでしょうか」
今の私には立場ってものがある。なので完全に自由に、という訳には行かないが、ある程度なら目をつぶると辺境伯は言った。
図書館に出向いて好きな魔法書を読んでも構わないってことだろうか。…薬草の匂いに囲まれて、沢山の薬を作ってもいいってことだろうか……?
「良かったな、アステリア」
ディーデリヒさんに声を掛けられ、私はコクリと小さく頷く。
あくまで貴族令嬢としての扱いは変わらないが、彼らは私を高等魔術師として尊重しようとしてくれている。
教師やメイドが変わると私の心にゆとりも生まれ、冷静に周りが見えるようになった。使用人とも顔を合わせるようになり、言葉をかわすようになったと思う。
……そして目の前の彼らのこともちょっとずつ解ってきた気もする。以前よりも格段と会話の数は増えた。
まだ、彼らを父母、そして兄と敬称で呼ぶことはしないが……いつか心から呼べるようになるのだろうか。
■□■
「私は野菜の世話があるから行かないぞ」
「あ、そう…」
一緒に城下に出かけないかと誘ったら、ルルに振られてしまった。私よりも野菜が大事らしい。
一緒にフォルクヴァルツにやって来たルルはどこからか用意した菜園道具でフォルクヴァルツ城敷地内に家庭菜園を築き上げていた。彼女の日課はもっぱら植物のお世話である。
肉食獣から草食獣にでもなるのかと思ったら、普通に還らずの森に出向いて魔獣や獣を捕まえて食べているそうだ。お城のお高く止まった料理じゃお腹が膨れないので、食事は森で自給自足してるのだという。作っている野菜はおやつ代わりらしい。
ここでも彼女は自由だった。
そして彼女の正体を知っている城の人たちも彼女を尊重し、見守る姿勢をとってくれている。
私は彼女が愛情込めて育てている野菜の苗を見て目を細めた。太陽の光を浴びて順調に育っている。
「これはトマトじゃないね」
「ホースラディッシュだ。簡単に生えてくると聞いた」
ルルはあの辛味が好きなのだそうだ。獣の肉を食べたあとの口直し用らしい。バリボリスナック感覚で食べるものじゃないと思うが、ドラゴンの味覚なので人間とは違うのだろう。
「ここは?」
そこは何も生えていなかった。他の畑とは区画分けして整備されたそこは水を与えた後のようで土が湿っていた。
「主の花だ。種を植えてある」
その言葉に私は顔を動かした。
ルルはしゃがみ込んで何も生えていないそこをじっと見つめていた。
「主の名前の意味、庭師の爺さんに聞いたぞ。いい名前じゃないか」
「……」
デイジー、今はミドルネームに変わり呼ばれることの無くなった私の大事な名前。
ルルに褒められているのに、何故か泣きたくなってしまった。
私は護衛騎士数名とメイド2人が付き添うのを条件に城下におりて限定的な仕事をできることになった。空いた店舗を借りてもらい、そこに道具や材料を揃えて臨時店舗を構える。久々の仕事に腕がなるぞ。
私は高等魔術師なので、安売りは出来ないため、薬の依頼が来るかどうか……パッと見では、貴族令嬢の薬屋さんごっこみたいじゃない……
しかし、心配とは裏腹にすぐにお客さんは訪れた。
「あんた! デイジーじゃねぇか!」
「……あ」
私を指差して大声を上げたのは…ビルケンシュトックで私のブーツを作ってくれたベルさんのお父さんだった。
「ダンさん」
「無礼者! この方をどなたと思ってるんだ!」
知り合いだったので普通に応対しようとしたのだが、業務に忠実な護衛がバッと前に出てきて相手を警戒してしまった。
「あの、すみません知り合いです、大丈夫ですから」
護衛の仕事なのは分かるが、仕事しにくいからあまり前に出てこないでほしいな。本当危ないときだけお願いします。
しかしダンさんはあまり気にしていないようだ。護衛に負けないくらいの筋肉質で大きな体でのっしのっし近づいてきた彼は心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「…どうしたんだ、エスメラルダの村に帰ったと言っていたのに、こんな場所でこんなお姫様みたいな格好して…」
「うぅーん…深い訳があってですね…」
説明しにくいが、お世話になった相手である。簡単に説明すると、ダンさんは「そんなおとぎ話みたいなこともあるんだな」と半信半疑気味な反応をしていた。
あまり実感がわかないのか、私に対する態度もそう変わらず、以前と同じように接してくれた。職人肌なので飾らない部分がある。だけどその馴れ馴れしさが懐かしくて私は嬉しかった。
「ちょうどいいから火傷薬くれや。デイジーが街を去って以降いろんな薬屋の薬を使ったがあんまり効果がなくてなぁ…」
「一応お客さんの予算に合わせて薬草のグレードを変えているんですが、いくら位を目安にされます?」
どうやらフォルクヴァルツ臨時店でのはじめてのお客様はビルケンシュトック滞在時の恩人みたいだ。
あの時は店舗の保証人になってくれたりしたので、お礼も兼ねて予算よりも質のいい薬にしたが、ここにいる人誰も薬学に詳しくないみたいで口出す人はいなかった。
「この店で暫く続けるのか?」
「希望では」
仕事するのは好きなのだ。いや…自分の場合は薬を作るのが好きなのかな?
ずっと勉強ばかりだと肩こるし、薬を作っていないと腕が訛りそうなので、許される限り魔術師としての仕事がしたいと考えている。
「なら今度はベルも連れてきてやるよ。フォルクヴァルツ領には商品の納品でよく立ち寄るんだ」
「楽しみにしてます」
またの来店を楽しみに、ダンさんを見送ると、恐る恐る店に近づいて覗き込む人がいた。
「いらっしゃいませ、なにかお困りごとですか?」
私が声を掛けるとピャッと驚いて、こちらをチラチラ見ながら立ち去っていった。
……ここでの私の評価はただの貴族令嬢。魔術師としての技術はまだ知られていない。信用がないんだ、最初はこんなもんだろう。仕方ない。
その後、怖いもの見たさなのか、興味本位なのか、勇気ある領民数名が薬を求めに来た。
彼らの症状を確認して予算を聞くと、私は黙々と仕事を行った。技術を見せつければきっと彼らにも納得してもらえることであろう。
私の作った薬の評判は噂となり、日を追うごとに購入希望者は増えていった。さばくのが大変になったので、護衛の人に一人ひとりの症状聞き取りしてもらうようになった。
日が経てばそのうち、大学校で薬学を学んでいるのだという学生から期待と尊敬の眼差しで話しかけられ、薬について質問されるようになった。
私はいろんな領民と話すようになった。
薬を与えると、数日後に良くなったよ、ありがとうと笑顔で声を掛けられる。城下町を歩いていると、店頭に並んである果物を手渡され、できたて焼き菓子をごちそうされる。
みんなみんな私をアステリア様、姫様、と慕ってくれるようになった。
私の技術を、努力を褒めてくれる。私の存在を認めてくれた。私はこの地でも魔術師として役に立てている。
私の居場所はここにあった。私は必要とされているのだ。
嬉しいと喜ぶべきなのに。
アステリアと呼ばれるたびに、心が麻痺していく気がするのだ。