太陽のデイジー | ナノ 吐露

 あれから朝が来て、夕方が来てを3回位繰り返したが、ファーナム嬢から返事はこなかった。

 やっぱり駄目かと私は諦めの境地に至っていた。
 今日も今日とてギルダに意地悪を言われながらの礼儀作法の授業がある。げんなりした気分で教科書を机の上に出していると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
 …あぁ、もう来てしまったのか。

「…はい、どうぞ」

 我ながら覇気のない声である。
 今日はどんな嫌味を言われるのだろう。いっそギルダ嫌味大辞典でも作ってしまおうか。
 ガチャリと音を立てて開けられた扉。今日もニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべているのだろうなと振り返ると、そこには辺境伯がいた。

「……?」

 ギルダの顔を見なきゃいけないのかとうんざりしていた私は唖然とした。
 どうしたんだろう、こんな時間に。執務中では…?

「アステリア、今日は気分転換に視察についてこないかい? 隅々まではこの領内を見ていないだろう」
「え…と」
「旦那様。急に予定変更されると困るのですよ。お嬢様は覚えが悪く、ちっともマナーが身についていないのです」

 私が返事をするよりも先にどこからか現れたギルダが私を貶しながら辺境伯の誘いを代理で断ってしまった。
 言っておくが、私はやるからには本気だ。ちっとも身についていないというのは言いすぎだと思うんだ。

「一日位休んでもいいだろう。それに娘にはもっとこの領のことを教えたい」
「そんなの」
「足りない分はこの子の母が喜んで教えるだろうよ。さぁそんな教科書なんて置いてしまって、出かけようかアステリア」

 辺境伯相手にはあまり強く出られないのか、ギルダは押し負けていた。

「ならばっ私が同行を…!」
「必要ない。これは父娘水入らずの日帰り視察だ。君がいたら気が抜けなくて、アステリアも疲れるだろう」

 君はちょっと最初から飛ばし過ぎだよ。アステリアには休息も必要だ。と辺境伯は言った。

「私はフォルクヴァルツ家のためを思って、ご指導申し上げているだけです!」
「それが行き過ぎていると言ってるのだが……まぁいい。とにかく、今日はアステリアの授業は休みだ。これは雇い主としての命令だよ」

 ギルダは何が何でも私を監視したいみたいで、同行を訴え出たが、辺境伯はそれを拒否した。
 ギルダが目の端でこちらを睨んでいるようだったが、私は見て見ぬ振りをした。大方、私から断れと念じているのだろうがマナーの授業を受けたくない私は無視をした。
 辺境伯に連れられて城の外に出ると、太陽が眩しかった。部屋の中から眺める空と違って、美しく見えた。じわっと視界が歪み、鼻がじんと痺れたので小さく鼻をすすり、辺境伯家の立派な馬車に大人しく乗り込んだ。


 馬車に乗って道を行く。ここに来る時は気分が落ち込むだけで、周りを見る余裕がなかったのに、今日に限っては外の風景を見れるのが嬉しくてたまらなった。

「アステリアが以前この領を訪れた時はどこを見て回ったんだ?」

 私が窓の外を興味津々に眺める姿をじっと見ていた辺境伯はそんな問いかけをしてきた。私は居住まいを正すと、小さく「青空市場周辺と慰霊碑のある広場です」と答えた。
 ──慰霊碑という単語を聞いた辺境伯の顔が悲しげに歪んだように見えたのはきっと気のせいではない。

「…君もシュバルツ侵攻のことは授業や噂で聞いたことがあるかと思う」
「はい。学生時代の恩師が援軍としてこの地に乗り込んだことがあったそうで、惨状を話してくださったことがあります。それと…育ててくれた家族からも聞いたことがあります」

 当時はエスメラルダ国内でも影響を受けて、税の釣り上げや食料品の高騰、難民の流入、捨て子の増加など社会問題になったのだと聞かされたことがある。
 それほど、あの紛争は影響をもたらした。

「……あの日、領地だけでなく城の中にまでハルベリオンの軍がなだれ込んできた。兵士だけでなく使用人も見るも無残な姿で殺害された」

 それは街の中も同然だったそう。突然現れたハルベリオンの軍勢によって沢山の殺戮や乱暴を働かれ、一方的になぶられたのだという。

「鉄壁の守りである城の中なら大丈夫、そう思って私は前線で指揮していたのだが、戻ってきたときには君の姿は忽然と消えていた」

 私が寝ていたベビーベッドはもぬけの殻。私の乳母は側で殺害されていたそうだ。そして、赤子だった私のお側役に任命したばかりの年若いメイドの姿も消え、行方知らずとなったのだという。

「君の兄のディーデリヒはお付きの乳母の機転で身を隠して無事だったが、最後まで君は見つからず……私は慢心していた。安全な場所など、どこにもなかったのだと。君には多大な苦労をかけさせてしまった。謝ってもどうにもならないが、本当にすまなかった」

 戦後復興に追われる日々を送り、徐々に以前の勢いを取り戻す領地を尻目に、君がいなくなったこの城の中は火が消えたように静かだった、と辺境伯は吐き出すように胸の内を打ち明けていた。

「君の肖像画を見たかな」
「あぁあの…本人がいないのによくも精巧に描けますね」

 家族が語り合うための談話室の壁に見覚えのない私の絵が飾られていて正直引いた。あんな高そうなドレス姿で澄ました顔した覚えないわぁ…と渋い顔をしたのは記憶に新しい。
 全部夫人が画家に注文つけて描かせたのだそうだ。夫人とディーデリヒさんの顔立ちをベースにして、行方不明だった私が成長していく姿を描かせたとか…もの凄い無茶振りである。その画家には賃金弾んでもいいと思う。

「君を失って一番心を病んだのは君の母だ。彼女の想いだけは疑わないで欲しい」
「……」

 …この一ヶ月超、共に過ごしてきたが、私は未だに彼らを信用しきれなかった。そして彼らを様付けで呼ぶだけで、父母と呼ぶことは一切なかった。
 彼らはゆっくりでいいと心広い態度で受け入れようとしてくれていた。それでも私は心の根っこに自分を慈しんでくれた家族への裏切りのような気がして、彼らと距離を置いて過ごしていた。


「暗い話はここまでだ。さぁ、町を案内してあげよう」

 馬車から下りるように指示されると、あの日見た市場の盛り上がりが健在だった。
 辺境伯の姿を見つけた領民たちが親しげに挨拶してくる。体の調子はもういいのかとか、うちの店に寄ってくれとか。

「あっ、お嬢様!」
「アステリアお嬢様だ!」

 辺境伯の後ろに私がいると気づいた彼らは私の周りに殺到してきた。その勢いに私はへっぴり腰になった。

「高等魔術師としてとても優秀でいらっしゃるとお聞きしました。エスメラルダではお薬を作っていらしたとお聞きしましたが、もうお作りにならないのですか?」
「あ…えっと…」
「こらこら、今日は娘と水入らずの視察なんだよ。質問攻めはなしだ」

 私が返事に困っていると、辺境伯が庇ってくれた。彼に背中を押されて市場を見て回ると、それぞれ特産地だったり、その土地のことだったりを口頭で説明してくれた。
 ギルダの授業よりも数倍わかりやすく、為になって楽しかった。私が何度質問しても嫌な顔しないし、彼の説明が上手だったので聞きやすかった。
 市場をざっと見て回った後は、辺境ギリギリの位置まで馬車で走った。その辺りになると未舗装の道が目立ち、少しばかり馬車の揺れがひどくなった。

「向こう側が君が住んでいた村につながっている。──そしてこの北の先にハルベリオンがある」

 馬車の窓から見えるのはどこまでも広がっていそうな森だった。森なら生まれ育った故郷でも飽きるほど見たのに、全くの別物に見えた。

「あの件があってこの森の辺境の警備をさらに強化した。転送術で簡単に侵入できないよう強固な結界も張ってある」
「確かにここでは入領審査が厳しかった覚えがあります」

 ビルケンシュトック側から入国するときも厳しかったがこの地はその上を行った。それほどハルベリオンを警戒しているのだろう。 
 私は森の遠くを睨みつけた。
 あの日、森で遭遇した少女キッカは今頃どうしているであろうか。お母さんは良くなったかな…

「……エスメラルダのファーナム公爵令嬢から私宛てに伝書鳩が届いた。君が窮状であると。デイジー・マックはエスメラルダの国民であるので、詳しい状況説明を求めると」

 辺境伯の漏らしたその言葉に私はぱっと顔を上げた。諦めかけていたが、ファーナム嬢は私の助けを聞いて行動にでてくれていたのか。私は彼女の心遣いに嬉しくなった。

「私たちは君を苦しめる気は毛頭なく、出来ることをしてあげたい一心だったのだが……その結果、君を苦しめているのか?」

 そう言った辺境伯の顔は心配する父親そのものだった。その顔を見ていると村のお父さんを思い出して、私の目頭がじわりと熱くなった。

「…アステリア、何か話したいことがあるのではないか?」

 青空市場には多くの親子連れや兄弟がいた。
 私も幼い頃はああして家族に囲まれて、町へ買い物に出かけていたのだ。その幸せな風景を思い出すとこみ上げてきた。
 頬を伝う涙がぽたり、ドレスのスカートに落ちて染み込んだ。

「…帰りたい」

 私の声は震えていた。

「村に帰りたい、家族に会いたい」

 私は頭を下げて次々に涙を流していた。

「…自由を奪われて城に閉じ込められる私は、囚人か何かですか?」
「それは…」
「みんなに会いたい…! うちに帰して…!」

 一度吐き出したらもう止まらない。私は嗚咽を漏らして泣きじゃくった。
 信用できない相手の前で弱みを見せるのは良くないと解っている。彼らは貴族だ。私の常識とは違う次元で生きているのだ。きっと嫌な顔されるのに、その時ばかりは涙も弱音も抑えられなかった。

 ──私は、自力で高等魔術師にまで成り上がった根っからの平民。何者にも縛られない自由業の魔術師なのだ。
 貴族の令嬢になんか、なりたくないんだ。

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