太陽のデイジー | ナノ
フォルクヴァルツ城と使用人
私がアステリア・フォルクヴァルツとして女神様のお墨付きを受けたその日、フォルクヴァルツ領に号外が飛んだという。シュバルツ侵攻の夜に行方不明になった辺境伯の娘が見つかったと。
フォルクヴァルツ城までの道を進む馬車に揺られていると、外から「お帰りなさいませ、姫様!」と領民達が声を掛けて来た。
私は私でしか無いはずなのに、ここにいるのが私以外のなにかじゃないかとどこか他人事のようにその声を受け止めていた。
「あなたの帰りを領民たちも喜んでくれているわ」
隣に座っていた夫人が嬉しそうに泣き笑いを浮かべている。私はどういう反応をしたらいいのか分からず、浮かない表情で窓の外を眺めていた。
馬車は領内で最も栄えているという中心街を通り過ぎ、城壁に強固に守られた道を走っていく。ガラガラガラと音を立てる車輪の音が私には終わりの足音に聞こえてしまう。
普通の娘なら、まるで夢物語のような展開に胸をときめかせるのだろう。……だけど私はそんな気持ちにはなれなかった。
──私だけなら、ここから逃げようと思えば逃げられる。だけどその選択を行えば間違いなく実家の家族に迷惑がかかる。この人達は根っからのは貴族だ。家族や村の人に何をするかわからない。そのため行動に移せなかった。
「生活に慣れるために、あなたにはしばらくゆっくり過ごしてもらってから徐々に、淑女教育を受けてもらおうと思うの」
──貴族の娘として、これから色々学んでもらうことになるわ。心強い助っ人がいるから安心してちょうだい。
夫人はそう言った。
お勉強が出来てもだめなのだそうだ。私に貴族の令嬢としての行儀作法をマスターしろと彼女は言うのだ。私は全く乗り気じゃないのに、義務だけを押し付けられようとしていた。
私は何度も無理だと言った。
私は平民として育った。だから平民として生きるのが向いているのだと訴えた。だけど彼らからは「あなたなら大丈夫」と返されるだけ。
……そもそも私の意志など要さないのだ。
城門前には屈強な兵士が並んでいた。よく見たら獣人だ。彼らは任務を従順に遂行していた。以前この領地を訪れたときにも思ったが、ここは兵士の数が多い。そして領民たちも辺境伯一家もそれが普通だと平然としている。
「さぁ到着しましたよ」
まるで要塞のような城だった。
少女たちが夢見るような可愛らしいお城ではない。軍事のためにあるような城。私は無意識に生唾を飲み込んでいた。
ここよりも豪華絢爛な王宮に行ったことがあるのに、この城を目の前にするともの凄い重圧感を感じたのだ。
「さぁアステリア、こちらよ」
夫人に手を引かれ、私はつんのめるようにして前に進む。足枷が着けられたかのように足が重い。
重々しい鋼鉄の扉を開くと、玄関ホールが広がっている。そこにはズラッと使用人たちが勢揃いしており、私は尻込みしてしまった。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様、坊ちゃま──そしてアステリアお嬢様、お戻りを心よりお待ち申し上げておりました」
使用人の中で一番地位が高いであろう壮年の男性がぴしりとお辞儀をしてくる。そこに柔らかさはなく、まるで軍人のようなお辞儀であった。
『おかえりなさいませ、アステリアお嬢様』
その後に残りの使用人たちが一斉にお辞儀してお出迎えをしてくる。私は心臓バクバクして震えそうになっていた。
「ふふ、驚いているの?」
彫像のように固まっている私の姿が面白いのか、夫人がくすくす笑っている。
全然面白くないよ。ヤダもう帰りたい。あ、エスメラルダの家の方にね。私はここ数日ですっかり口が重くなってしまい、夫人の言葉には沈黙を返した。
早速部屋に案内させましょうと夫人が提案すると、その声を待っていたとばかりにヌッと1人の女性が現れた。
「旦那様、奥様、若様、おかえりなさいませ。…そしてそちらのお嬢様がアステリア様…ですわね?」
鷲鼻の上に飾られた丸メガネがぴかりと反射した。針金のような白い毛の混じったグレイヘア、全体的に痩せて細いので顔の皺が目立っている。口元は不満そうに歪んでおり、その眼光は鋭かった。
私は一瞬で品定めされた感覚に襲われた。
「わたくし、ギルダ・ヒンケルと申します。アステリアお嬢様の教育係兼お世話係に任命されました。よろしくお願いいたしますね」
「はじめまして…デイジー・マックです」
頼んでいないのでよろしくはしたくない。なので挨拶だけはしておく。
「…デイジー・マック…?」
何かが気に入らなかったのか、彼女の目が細められた。殺気を飛ばされた気がして身構えると、彼女は唾を飛ばす勢いで怒鳴りつけてきた。
「いけません! 市井の名前はお捨てなさい! そんな安っぽい名前! あなたはこれよりアステリア・フォルクヴァルツなのです。格式高く、王家からの信頼も厚い歴史あるフォルクヴァルツ家の娘であると自覚してくださいませんと困りますのよ!」
「……」
否定された。安っぽい名前だと…?
私はうんともすんとも言わずにただ固まっていた。固まっているのは私だけでなく、フォルクヴァルツ一家全員である。
「…えぇと…そこはおいおいという話で」
見兼ねたディーデリヒさんが私を庇ってくれたのだが、ギルダさんの気は済まないようである。
「いけません、若様。こういったことははじめが肝心なのです。わたくしは教師人生を懸けて、お嬢様をどこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢にしてみせます…!」
…なんかちょいちょい貶されている。
ほんと、貴族社会のこういうところ大嫌い。
■□■
私のために誂えられたという部屋は年頃の娘が好きそうなもので溢れていた。高そうな天蓋付きベッドは人がたくさん眠れそうな位広い。大きなクローゼットには流行のドレス。化粧台の上には化粧品美容品、香水・髪飾りが並んである。それに他にも帽子などの小物などなど……
華奢な勉強机に置かれている本は礼儀作法、妻としての心得など貴族令嬢に最低限必要なマナー本ばかり。私の大好きな魔法書は一冊も置かれていない。
貴族になったからには世話をしてもらうことに慣れなくてはならないと言われ、私付きのメイドをつけられたが、そのメイドたちはギルダさんの部下? 直属のメイドらしく、私の言うことは聞かずにギルダさんの言うことを聞く。
それがかなり困ったことになっていた。
「あの、私の服はどこですか?」
着てきた服や、収納術で納めていた服をまとめて洗おうとしたら、自分たちの仕事ですのでと言われて奪われたのは数日前のことだ。
もうそろそろ乾いているだろうと思ったのだが、メイドたちは「お嬢様の本日のお洋服はこちらからお選びくださいませ」と言って、高そうなドレスが入ったクローゼットを開けてみせるのだ。
違う、そうじゃない。動きやすさと機能性を重視した、私の私物の方だ。
おかしいと思って洗濯場へ足を向けたら、洗濯婦たちからはそういったものは受け取っていないと不思議そうに言われる。
どういうことだ…? と呆然としていると、外の煙突から立ち上る煙を見つけた。それは焼却炉だ。何気なく近づくと、そこでゴミを燃やす雑役夫が傾けたゴミ箱から見覚えのある布地が滑り落ちた気がして、私は焼却炉の前まで転送術で飛んだ。
「待って下さい!」
「うぉ!? お、お嬢様、どうしたんですかぁ」
私がすっ飛んできたことに驚いて箱を取り落した雑役夫。焼却炉の口からこぼれた布を私は掴み上げ、火を消す。
よく見なくてもすぐに分かった。この肌触り、頑丈さ…これは私の育った村の特産品である頑丈な布で作られた普段着である。
「…これ、私の服! どうしてこれが!」
「え…? ゴミだから燃やしてくれってメイドの姉ちゃん達が」
──やられた!
私は燃やされていない服を回収し、肩口が燃えてしまった服を持って、自分付きのメイドを呼び止めた。
「…何故こんなことをするんですか?」
「……ギルダ様のご命令に沿ったまでです」
…はぁぁ?
なんなの、どういうことなの。
「まぁ汚らしい。何故そのような燃えカスを持ち込んでおりますの? アステリアお嬢様」
意地悪そうなその声に私は真顔で振り返る。
夫人は「みんながあなたを歓迎している」とか言っていたけど、そんな事無いんじゃない?
「…どんな権限があって、私の私物を燃やすよう指示したのですか」
仮にこの人が身分至上主義だとしよう、それならば仮にも辺境伯の娘である私に逆らう真似ができるのか? 一介の家庭教師がこんなことしてもいいのか?
「こんな地味なものより、奥様が用意した、流行のドレスがあります。貴方様はもう村娘ではございません。市井に混じって労働する必要はもうないのです。姿格好にも気を使っていただきませんと」
冗談じゃない。
私は着せかえ人形じゃないんだぞ。
「…私のものに一切触れないでください。使用人全員私の部屋に入らないでください」
「まぁお嬢様、それではわたくし共の仕事がなくなってしまいます」
私の服を燃やして処分することがあんたたちの仕事か…!
そんなことしかしないメイドなら不要だ!
「貴方様は貴族の令嬢なのです、村娘のような振る舞いは許されませんのよ。過去は捨てなさい!」
「ふざけるな…!」
ギルダとメイドたちを睨みつけて怒りを顕にするが、彼女たちは顔色ひとつ変えやしない。
この人たちは何を考えているんだ。何様のつもりでこんな事を……!
「……どうかしたのか?」
その声にメイド一同がギクリとした。
背後から声を掛けてきたのは、分厚い本を数冊抱えたディーデリヒさんだった。彼は私の持っている服の残骸を見て、訝しげに眉をしかめていた。
「…その焦げた布は…? アステリア、一体何が」
「これ」
「なんでもございませんわ。さぁさぁアステリアお嬢様、午後のマナーの講義が始まりますから」
だけど彼の問いかけに返事をする前に私はメイド達によって部屋に押し込められてしまった。
その日から、私は彼女たちにイビられるように“躾”されるようになったのである。