太陽のデイジー | ナノ
番の誓いとくちづけ
「マックさんたちによろしくと伝えて頂戴ね」
「いつでも帰ってきていいんだぞ、アステリア」
「あまり無茶しないように、身体に気をつけて」
私がフォルクヴァルツを旅立つ日、一家・使用人総出でお見送りをされた。
母上からはたくさんのお土産もたされ、父上は最後まで心配そうにオロオロしていた。兄上は私の無事を祈ってくれた。
「なんだかお嫁に出したみたいで寂しいわ」
「また帰ってきますから」
ぐすんと鼻をすすってハンカチで目元を拭った母上に最後にもう一度ハグをすると、私は待機していたルルの背中へ騎乗した。
ルルの翼が大きく羽ばたくと、辺り一帯に強い風が吹いて下にいた人たちはみんな目を瞑っていた。
私は上から吹き付ける風を全身で感じながら、空へと上昇していく。
「あっ、姫様のドラゴンだ!」
地上で子どもの声が聞こえてきた。
振り返ると幼い子どもたちがいた。わぁわぁ騒ぎながら空を飛ぶ私達を追いかけてきた。
私は空中からフォルクヴァルツを見下ろす。──豊かな領地だ。今日も青空市場は活気で満ちており、人で賑わっている。田舎の方では農作物が青々と実っている。…とてもきれいな場所だ。
フェアラートから投影術で見せられた過去の地獄はもうない。時間は動き始め、皆未来に向けて歩き始めているのだ。
──私も、前に進んでいかなくては。
「さぁ、ルル行こう!」
目的地は生まれ育った村。
戦後処理が終わった後は、静養も兼ねてしばらくフォルクヴァルツで過ごしていたのだが、村の家族から「手紙だけじゃ心配だから帰ってきて欲しい」とお願いされたのだ。
どっちにせよ、自分の生活基盤を整える前に顔を出そうとは考えていたので、一旦里帰りすることに決めた。
久々の空の旅はワクワクする。
時折空を自由に飛ぶ鳥とすれ違う。風に負けずに飛ぶ彼らを目で追って楽しみながらの旅はあっという間。
目下に広がる故郷の変わらない風景を見て私は安心する。
フェアラート一団に破壊された森の一部は時が経って緑が蘇っていた。のどかでなにもない田舎の獣人の村。ここは私の育った村。いつの間にか私の還りたい場所になっていた大切な村だ。
『グルル…』
あともうちょっとで到着というところで、空を飛ぶルルが喉を鳴らした。
「どうしたの?」
『…犬っころが追いかけてきている』
「え…」
ルルは何を思ったのか方向転換を図った。実家の前ではなく、以前私がよく薬を作っていた村外れの丘の上に着陸した。
何故、ルルがここに着陸したのかはすぐにわかった。息を切らせたテオが泣きそうな顔で追いかけてきたのだ。テオと引き合わせるためにここに下ろしたというわけだ。
…よく私が戻って来たってわかったな、私の匂いは健在というわけですか。
『じゃあ、私は先に帰ってるぞ』
「う、うん…」
ルルは変なところで気を使うな。普段は放任主義な部分もあるのに。
ルルが飛び去ったのを見送ると、私は奴と向き合う。
「……ねぇ、なんか悪い病気にかかったんじゃないの?」
私は目を疑った。目の前にいるテオはやつれてげっそりしていたのだ。…変な感染病とかにかかったんじゃないかと疑ってもおかしくないくらい、病的に痩せていた。
「…デイジー!」
しかし奴は私の問いかけに答えるわけでもなく、力いっぱいハグしてきた。その力強さに私は目を白黒させてもがいたのだが、テオの腕の力は緩みそうにない。
「て、テオッ」
「本物だよな? …夢じゃないよな?」
そう言って私の両頬を手で包み、愛おしそうに、泣きそうな顔をして見つめてくるテオ。
とけそうなほど甘い瞳で見つめてくるもんだから、ムズムズして恥ずかしくなってきた。なんか落ち着かない。だけど嬉しくてその瞳にもっと映りたくなった。
「会いたかった。お前に会えなくて、心配で、食事が喉を通らなかった」
…嘘でしょ……会えなかったからってそんなに病的に痩せる? 私も戦の影響で精神的に落ち着かなくて食欲減退してるけど、テオほどは痩せてないよ?
「…ひどい顔。私のほうが大変だったんだからね」
どう考えても、戦に向かっていた私のほうが大変だったはずだ。私に会えなかったからって……普通逆じゃない?
だけどテオの嬉しそうに笑う顔を見ていたら小言を言う気が失せた。
この顔に会いたかったんだ。
私はテオに会いたかった。昔から私に意地悪してばかりだった憎たらしい幼馴染。それなのに家族とは別の違う意味で会いたくて仕方なかったんだ。
テオに会えて嬉しい。……知らなかった。自分はテオのことが好きなのか。ずっといじめっ子としか思ってなかったのにな。
自分の想いを自覚した私は小さく笑ってしまった。テオは私の顔を見て、心配そうに頬を指で撫でてきた。オロオロとした様子で頬を触るからどうしたのかと思えば、今度はシャツを持ち上げて頬を拭われた。
……どうやら私は泣きながら笑っていたようなのだ。
「泣き虫デイジー、もう泣くな」
ギュッギュッとハグをされて背中を撫でられると、テオの熱い体温が近くなって私にもその熱が移った。暑苦しいくらいなのに、テオの胸の鼓動が心地よくて、私は幸せな気分で目を閉じる。
「…なぁデイジー、あの日の祭りの晩のやり直ししてもいいか?」
やり直し。その単語に私は閉ざしていた瞳を開く。テオはそっと身体を離すと、私の手を掴み、真剣な眼差しで見つめてきた。
「デイジー、お前が好きだ。俺の番になってほしい」
私は番という単語に戸惑った。
恋人ではなく、番。
「…私、人間だよ? 番になれるものなの? そもそもあんたには運命の番がいるじゃないのよ…」
いろんな疑問が振って湧いてきてときめくどころじゃなかったのだ。
人間相手でも番になるの? そもそも運命の番はどうなっているんだ。運命との出会いは奇跡なんでしょう?
「レイラには悪いけど、お前がいいんだ」
テオも悩んだという。運命の存在に追い詰められたという。喉から手が出るほど欲しくなる本能に苦しんだ……それでも、私がいいのだと、私のことが好きなのだと言った。
だけど私は気が引けてしまっていた。
私は人間だ。魔術師だ。元貴族で、いろんな事情を抱えた面倒くさい人間であることは間違いない。……それに運命の番に勝てるとは思っていない。
今の時点で素直に彼の気持ちを受け入れることは出来なかった。
それに、私はもう以前の私ではない。
「……私は敵国で人を殺したの。国を守るためという大義名分があったとしても、この手で、魔法で…私から血の匂いが香ってくるでしょう?」
テオが知っている私は過去の私。今の私の手は血で汚れている。私はきれいな存在ではない。それを知ったらきっと、テオは失望するはずだ。
それなのにテオは私の手を掴んですぅ、と吸い込むと首を横に振った。
「しねぇ。お前の甘い匂いしかしない。」
「に、匂い嗅がないでよ」
恥ずかしいんだけど…
だけどテオは至って真面目に匂いを嗅いだらしく、真顔であった。
「お前は俺たちを守るために血を被ったんだろ。…守らせてゴメンな。怖かっただろうに」
テオの言葉に私は口を不満で歪めた。
「…怖くない」
「ウソつけ。泣き虫デイジーが強がってんじゃねーよ」
ぎゅうぎゅうとハグされてなんかごまかされた気がする。
テオの腕に包まれてそのぬくもりに安心すると同時に、ジワリと瞼が熱を持った。どくどく聞こえるテオの心臓の音を聞きながら、脳裏に蘇ったのはハルベリオンで過ごした短い期間起きた出来事。
彼は私を戦いに行かせたことを気に病んでるみたいだけど、テオは戦場で私を守ってくれたんだよ。
「……敵に捕まったとき、男に乱暴されるくらいならと私は毒を含もうとしたの」
テオに聞こえる程度の声量でつぶやくと、ピクリとテオの腕が震えた。
「だけどね、あんたの乳歯が思い留まらせたのよ。あんたが押し付けた乳歯が私を奮い立たせてくれたの。その後すぐに助けが来て窮地を抜け出せた」
最初に抜けた歯を貰った時は訳がわからなさすぎて腹を立てたけど……魔除けのジンクスは伊達じゃないのかもしれない。
「…言ったろ? 男避けだって」
そう言って私の首元に顔を埋めるテオはスンスンと鼻を鳴らして私の匂いを楽しんでいる。
もう何も言うまい。今は好きにさせておこう。恥ずかしいけどね!
いつまで匂いを嗅がれるのか、長期戦を覚悟していたのだが、テオはあっさり身を離す。
以前私があげた上級魔術師のペンダントを持ち上げたテオはそれを撫でた。…あれ、翠石が割れてる。それどうしたの。
「俺は魔法使えねぇし、お前みたいに頭は良くない。だけど体は丈夫だ。たくさん働くし、食うに困らせない。お前を生涯大切にすると誓う」
だからお願いだ、と私に乞うテオ。
私は何も言えずに、ただただ頬に熱が集まるのを感じていた。
「お前言ったよな?『運命の番と沢山子ども作って、孫に囲まれてせいぜい大往生しろ』って」
「…い、言ったけど?」
それはあんたが私に未練を持たないように投げかけた言葉なんだけど……それを抜きにしても、テオにはそういう人生が似合っていると思う。
運命の番と出会えることは獣人にとって何よりも幸せだと聞く。きっと私への好意はかき消されて、番に夢中になると思ったから。
「俺の運命の番はお前なんだ。だからその夢、お前が叶えてくれよ」
その告白に私は呆然と固まっていた。
私が、テオの夢を叶える…?
そんな私の唇をテオは奪ってきた。はじめてしたキスは熱くてふわふわして不思議な感覚がした。
テオの唇って柔らかい。見た目は薄めの唇なのに。何度も唇を重ねていると、口の中まで貪られた。肉厚の舌が私の舌を巻き込んで吸い付いてくる。ザラザラしたそれが口腔内をくすぐられるとむず痒い。私は鼻にかかった声を漏らして震えた。
それに気を良くしたテオが更に唇を食べそうな勢いで吸い付いてきても、私は拒まなかった。テオから与えられる口づけをすべて受け止めていた。
チュッと音を立てて離れた唇。私は名残惜しい気持ちでテオの唇を見つめていた。お互いの唾液に濡れた唇をテオは舌なめずりしていた。その仕草に私はドキッとした。
ぺろ、ともう一口味見するように私の唇を舐めてきたので、その辺犬っぽいなと感想を抱いてしまう。
ようやく口を解放されたと思ったら、テオはそのまま私の首元に顔をずらし……
「んっ…イタッ」
じくりと項に鋭い歯が刺さる痛みに私は顔をしかめた。
「お前しかいらない」
「──!!」
私は今日一番体温が上がった。
キッと睨みあげると、気障なテオの獣耳を引っ張って叱りつけた。
「返事を聞かずに勝手に番の誓いをするんじゃない!!」
私は何も答えてないだろうが! これ2回目だぞ!
私は叱っているのに、テオが幸せそうにだらしない顔で笑うもんだから、だんだん怒るのがアホらしくなってしまった。