太陽のデイジー | ナノ 物々しい雰囲気【三人称視点】

 ハルベリオン軍のエスメラルダ侵攻の情報はまたたく間に広まった。普段はのどかな獣人村には王国の役人や職員が集まって物々しい雰囲気となっていた。
 捕まえた敵国の兵士並びに魔術師は拘束されたまま、エスメラルダ王国王都へ輸送して然るべき対応を取られることになった。
 逃げた魔術師の行方は未だ不明。

 この侵攻を危険視したエスメラルダ王国国王はハルベリオンへ向けて抗議を送った。両国は直接戦争を行ったことは無いが、これによって完全に敵対国と認定された事になった。
 この異変にいち早く気づき、隣国シュバルツから飛んできた貴族令嬢は激しい戦闘の末、大怪我・魔力枯渇による衰弱を起こして現在昏睡中である。詳しい話は昏睡中の令嬢が目覚めた後にでも確認する必要があるが、村人複数名が状況説明してくれているので、大方把握は済んでいた。

 南の国グラナーダにて、何者かによる獣人狩りが行われたのはエスメラルダ王国の一部でも噂になっていた。
 ──ハルベリオンがドラゴンの妙薬を欲しがっていることはその前から把握していた。……それでもひとつだけ、どうしても理解できない事。
 竜人の肉を食べたとしても、病は治癒しない。竜人とドラゴンは似て非なるもの。
 それなのにハルベリオンはそれを欲しているのだという。


 今まで決して警戒を怠っていたわけではない。だが、今回のことでエスメラルダ全体の緊張は高まった。

 戦火の火種は、いつ燃え出してもおかしくない、そんな状況へと移り変わっていた。


■□■


 落ち着かなさそうに一軒の家の前でそわそわする青年の姿があった。
 朝には摘みたての花を持ってきて、昼休みには職場を抜け出し、八百屋に並んでいた果物を差し入れる。そして夜には眠る彼女に付き添って、深夜には彼女の兄によって力技で追い出されるという日々をここ5日程続けていた。

 ベッドの住人となっている彼女は以前にも魔力切れで昏睡に陥ったことがあるが、今回は負傷による体への負担もあったため、昏睡からなかなか目覚めなかった。 
 そんな青年の姿を見ていた丸眼鏡の女は苦笑いしていた。

「大丈夫だって、私ら魔術師にはよくある魔力切れだし、もう幼い子どもじゃないから寝てれば回復するって」

 マーシアがそう声かけると、青年テオは視線をちらりと向け、耳と尻尾をへにょんとさせていた。

「私が毎日治癒魔法かけているから深刻に考えなくていいよ。デイジーは大怪我負ったから休養が必要なの」

 水分や栄養は医療機器を使って流しているから衰弱死することはない、と彼女は言うが、テオの不安は解消されないらしい。
 マーシアは空へと視線を向けると、腰に手を当てて息を吐き出した。

「デイジーは1人でなんとかしようとする子だからねぇ」

 学生時代もそうだった、としみじみと呟く。
 あとちょっとで命を落とすところだったのに、それでも死ぬまで戦おうとするデイジー。
 捨て子だったのは間違いで、行方不明になった貴族令嬢だったという話を聞かされていたマーシアだったが、彼女にとってデイジーは変わらず年下の友人のままであった。

「シュバルツの神殿から転送術使ってきたんだってよ。何度か結界に阻まれて大変だったろうに……なんとしてでも大切な人達を守りたかったんだろうね」

 こちら側にも怪我人は出たが、死者が出なかったのは幸運だった。
 実際に戦闘してわかった。逃亡を許してしまったハルベリオンの魔術師の男は一味違う。デイジーがいなければ恐らく、獣人の村は全滅していたであろう…

「ギャウッ」

 犬の悲鳴のような音が聞こえて彼らは視線をそちらに向ける。メイとジーンと名付けられた、デイジーの眷属である姉弟狼だ。彼らは術者に戻るように言われていないため、そのままここに残っていた。

「ジーン、またオヤツとられたの?」

 オヤツの鹿干肉を奪われた弟狼がガウガウ鳴いてマーシアに助けを求めていた。

「お姉ちゃんに負けるってどうなの、でっかい子どもだなぁジーンは」

 弟に容赦ない姉狼メイは、弟を冷酷に睨み付けながら奪い取った鹿肉をムチャムチャと食べている。食は戦争なのだと言わんばかりの暴君ぶりである。まさに弱肉強食を地で行っている。
 見た目はおっかない野生の狼だが、デイジーと眷属の契約を結んでいるため、彼らは飼い犬にも見えた。

 マーシアは通心術を使って彼らと意思疎通できるようにしているので、彼らと話ができるが、テオからしてみたら不思議な光景である。
 一応、狼獣人のテオにも狼の血が流れているのだが、流石に狼の言葉はわからない。楽しそうに戯れる彼らを見ながら、テオは少しばかり疎外感に襲われていた。

 テオもマーシアも通常ならデイジーの看病のために側についていることが多いのだが、今は外で待機していた。
 なぜなら、シュバルツからデイジーの身内が駆けつけてきたからである。涙を流したフォルクヴァルツ夫人は娘の側から離れたくないと言って、娘の看病を申し出てきたのだ。
 デイジーを休ませているマック家は普通の民家なので大勢の人が入らない。よって縁者ではない彼らは遠慮して外にいるのである。


「──君、ちょっといいかな」

 静かに呼びかけてきたのは、デイジーの実兄であるディーデリヒだ。
 それに反応したのはテオである。マーシアは会ったことのない、しかし友人によく似た貴族青年を怪訝に見上げていたが、彼が呼んだのはテオの方らしく、マーシアの方には一切視線を向けない。

「話があるんだ。…アステリアのことで」
「……いいですけど」

 彼らは真剣な表情でお互い見つめ合うと、黙ったままどこか別の場所へと移動していった。
 取り残されたマーシアはといえば、ジーンの頬を手のひらでもふもふしながら黙ってそれを見送っていた。


□■□


 彼らは人気のない森の奥深くへとやって来ていた。ここは、赤子だったデイジーが見つかったとされる場所である。

「妹には…アステリアには抱えるものが多い。両親の前ではこのようなことは言えないが……ただの村娘でいたほうがきっと幸せだっただろうな…」

 ディーデリヒはそう言って、動かしていた足を止めた。それに合わせてテオも立ち止まる。

「いつか、また牙を剥くだろうとは思っていたが……ハルベリオンが動き始めた。これから間違いなく荒れるぞ」

 この国も。と独り言のようにつぶやくと、ディーデリヒは森の中をグルリと見渡した。そして後ろにいるテオを見上げる。

「テオ・タルコット君。君は我が妹に恋情を抱いている。…間違っているかな?」

 単刀直入な問いかけだ。
 ディーデリヒの瞳の色がデイジーと同じだったので、テオはその色を直視して声が出なくなりそうになったが「間違っていない」と首を横に振った。
 元々気づいていたが、確認のためだけにただ聞いてみただけのディーデリヒは小さく頷く。

「しかし、私はそれを認めてやることはできない」

 ディーデリヒがよく思っていないことにテオは気づいていた。だからそう言われるのは予想していた。

「話に聞くと君には運命の番がいるのだろう。アステリアを裏切る恐れがあるのであれば、私はそれを邪魔させてもらう」
「それはっ…」

 テオが言い募ろうとするが、ディーデリヒは手で制した。そして想い人に似たその瞳を細めて冷たく言い放つのである。

「君は小さな村の住民で、あの子はフォルクヴァルツ辺境伯の娘。幼い頃の恋だと思って…諦めたほうがいい」

 村娘として育った彼女が貴族の娘だとわかって、強制的に引き離されたというのに。その兄だという男から言われた言葉にテオは苛立った。長年温め続けてきた想いを否定されたような気分だった。

「あんたに何が分かる…!」

 テオもデイジーと同じ17歳。もう幼い子どもではない。感情的になって飛びつきそうな衝動を抑えるくらいには成長した。仮にも相手は想い人の兄。そして人間だ。テオは色々言いたいことがごちゃごちゃしているのを抑え込んで、睨みつけるにとどめた。
 ディーデリヒはテオの心中なぞお構いなしとばかりに、冷たい言葉を投げかける。

「だが君は運命の番である娘にも惹かれているだろう。同じ狼獣人の娘に。仮にアステリアと結ばれてどうする? 人間と獣人、貴族と平民がうまくいくとでも思っているのか?」

 その言葉に冷や水を浴びせられた感覚に襲われた。テオはぴしりと固まり、その顔からは徐々に血の気が引いていく。

「まだ過去の遺恨は残っているというのに、祝福されるとでも思っているのか? アステリアは貴族の娘だぞ。王太子殿下との婚約話も復活する可能性だってある」

 ぐっと握りしめたその手は震えていて、ぎりぎり音が聞こえてきそうだ。テオは苦悩の表情を浮かべていた。

 毎週、運命の番だというレイラはテオに会いに来る。だけどテオは本能を抑え込んで彼女の好意に応えずにいた。
 運命の番への衝動だけで暴走するのは違うと冷静な自分がささやくのだ。テオが番にしたいのはデイジーなのに、手の届かない相手になってしまったことでテオは苦悩していた。

 運命の番。その渇望は獣人でなければわからないことであろう。
 人間とて身分差やその他の事情により報われない恋をするものがいるが……獣人のそれは呪いのようなものである。

 ディーデリヒはテオの苦悶の表情をじっと観察していたが、見飽きたようで鼻を鳴らすと踵を返した。村に戻るらしい。

「悔しかったら、運命の番の呪いを自ら解いてみろ。その上で妹に求婚するんだな」

 じゃなければ、絶対に認めない。
 妹には然るべき縁を結ばせる。

 脅し文句に似た言葉を吐き捨てたディーデリヒはテオを置き去りにして去っていった。

「…くそっ!」

 ダン! と近くにあった木の幹を殴りつけると、木の枝に留まっていた鳥たちが驚いて一斉に飛んでいく。
 テオだってわかっている。
 身分差がどうのと言う前にまず自分のことを精算しなくては、彼女に求婚する資格すら生まれないと。
 だが、運命の番という存在はテオの本能を高ぶらせ、飢餓感に陥れるのだ。レイラを前にすると、自分の中のケモノが暴れだしそうな衝動を抑えるので手一杯なのだ。

 テオの心はただひとりに向かっているはずなのに。こんなにもいとしいのは彼女だけなのに。

「テーオ!」

 その声にテオの肩はビクリと揺れた。
 甘ったるい香り。
 デイジーの柔らかいいつまでも嗅いでいたい甘い香りとは違う。まるではちみつや砂糖を煮詰めたような甘い匂いを持つのは運命の番の匂い。
 この香りを嗅ぐとテオの頭はぼうっとして、言おうとする言葉が出てこなくなるのだ。

「探したよ! なんでこんな森の中にひとりでいるの?」

 レイラはテオの腕に馴れ馴れしく抱きつくと、甘えるようにすり寄った。

「襲撃の件…大変だったね。テオに何事もなくてよかった…」

 運命の番というだけでフィルターが掛かったように相手が魅力的に映る。自分の本能の衝動に頭がおかしくなりそうだったが、歯を食いしばる。腕に絡みついた彼女の腕をそっとほどいた。

「……テオ?」

 不思議そうにテオを見上げたレイラは首を傾げた。
 同じ狼獣人のレイラ。テオに従順で好意的。魅力溢れる女性だ。運命の番と言ったら、獣人の夢また夢の存在。
 きっとテオのしようとすることは獣人として間違っているのだろう。

 だけどこれがテオ自身にとっては正しいことなのだ。

「……ごめん」

 彼女を拒む姿勢を見せたテオは、目を瞑って、デイジーを思い浮かべる。
 賢くて、努力家で、強がりゆえに無謀なところのある不器用な彼女……ふとした瞬間に見せる表情がたまらなく愛おしい。
 彼女の側にいるのは自分だと思ってきた。ここに来て側にはいられないとわかった瞬間、心が張り裂けそうだった。
 それでも彼女がテオにとっての唯一。
 運命とかそんなものを放り投げてでも、手に入れたい存在。

「悪い、俺はお前とは番えないんだ」

 テオはレイラと目をしっかり合わせた上で、お断りの言葉を告げたのである。

「俺には心に決めた女がいるんだ」

 レイラは目を大きく見開いて呆然としていた。それを見たテオは心が悲鳴を上げたかのようにひどく傷んだが、彼女をその場に残して踵を返した。

 誰かを傷つけてしまうとはわかっていた。
 それでも。
 テオは自分の恋心を裏切りたくなかったのだ。
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