太陽のデイジー | ナノ
紳士絶滅危惧種説
令嬢たちのお相手をしたせいか、周りから不躾な視線が送られていた。
貴族社会では身分が上のものから声を掛けなくては会話できないマナーなので、声を掛けてくる貴族はいない。周りからはチラチラと見られるものの、私は何も気づいていないふりをしていた。
そこそこ高い身分だとその辺、気が楽である。
王太子から念押しされたため、パーティに参加したが、よく知らない貴族令嬢に早速喧嘩を売られた。もう帰りたい。
入場した後に挨拶を交わした王様には誕生日おめでとうとお祝い言っておいたからもう帰っちゃ駄目だろうか。
「美しいお嬢さん、よければ私とあちらでお話しませんか?」
突然道を阻むようにヌッと現れた青年の姿に私は目を丸くして固まっていた。金髪碧眼の青年はニッコリと微笑み、私を見下ろしていた。
…初対面のはずなんだが、その顔立ちはどこかで見たような気がした。貴族図鑑に載っていただろうか……
「せっかくのお誘いですが、お断りいたします」
なにやらお誘いを受けてしまったが、面倒なことはゴメンである。これで誤解されたら結婚コースじゃないか。私はやんわりとお断りをすると礼をして踵を返した。
「せめてお名前を」
しかし相手はそれじゃ引いてくれなかった。回り込むようにして通せんぼされた。…貴族女性のドレスはこんな時小回りがきかないから困る。
「…アステリア・フォルクヴァルツです」
人に名乗らせるなら先にそっちが名乗って欲しい。とは思ったが、聞かれたので私から名乗ってあげた。こちらの名前が自分の本当の名前ではあるが、私にとって愛着はない。それと同時にこの会場の誰かに名乗られてもどこどこの貴族かと納得するだけ。興味なんて湧くはずもない。
──なのだが、目の前の青年は目の色を変えた。
「そうですか、あなたが噂に聞くフォルクヴァルツの消えた姫君…」
姫とか言われると背中が痒くなるのは私だけだろうか。色んな敬称で呼ばれて落ち着かない。デイジーだったころはもっとシンプルだったんだけどなぁ。
青年貴族はシュバッと手を伸ばすと私の手を取り、手の甲に口付けを落としてきた。されるがまま固まっていた私は、先日のラウル殿下と大巫女様を思い出して半眼になってしまった。
「ここで会えたのもなにかのご縁です。私にあなたと踊れる名誉を与えていただけませんか?」
「…申し訳ありません。場の雰囲気に酔ってしまったので踊れませんわ」
教本に書かれていたお断り文句をそのまま吐き捨てる。そうすれば紳士は身を引いてくれると書いてあった。
「ならば別室に参りましょう。安静にしたほうがいい」
あいにく彼は紳士ではなかったようだ。
とてつもなく嫌な空気を感じた私は彼に掴まれた手をほどこうとしたが、しっかり握られていて離れない。
さっきから断り続けてるのに、なんなのだこの男は…!
「嫌です、行きません。ですので離してくださいませんか」
「強がらずとも大丈夫、さぁ」
拒絶しようにも手を離してくれない。これは魔法を使っても許される? でも王宮のパーティ会場のど真ん中で行使するのは褒められたことじゃないし……どうしたものか。
「──何をなさっておいでです!」
悲鳴のような女性の声に私はビクッと肩をはねさせた。振り返ると後ろに大巫女の礼服に身を包んだ彼女が神殿騎士2名を引き連れて立っていた。
可憐な印象だった彼女は怒りの形相でズカズカとこちらに近づくと、貴族青年から私を引き離してきたではないか。びっくりした私は目を丸くして彼女を見下ろす。
「彼女がどこの誰だかわかった上での狼藉ですか!?」
「…人聞きが悪いな…兄に対して何だその口の聞き方は」
……兄。
私は貴族青年と大巫女様を見比べる。
……見たことがあると思ったのは、大巫女様のお兄さんだからか。持つ色もだが、顔立ちも似ている。
しかし、性格は全くの正反対のようである。
「だまりなさい。この場で勝手な真似は許しませんよ」
大巫女様はいつになく威圧的だった。
いくら貴族でも、実のお兄さんだったとしても、神殿の最高神職者になった大巫女様のほうが地位は上だ。神に身を捧げることになった日から兄も妹もないだろう。
お互いしばらく睨み合いをしていたが、神殿騎士がズイッと前に出て大巫女様を守る素振りをしたのを見た青年貴族は引いた。
そして私に向かって「またいずれ」と言葉を残すと去っていった。
…いや、またもなにも諦めてくれないか。今度なんてないよ。
「申し訳ありません、アステリア様。あれは私の不肖の兄でして」
「ははは…」
「本当に、嫌な部分ばかり父に似て……」
身内の恥を晒してしまって恥ずかしいとばかりに大巫女様は顔をしかめると、拳を握りしめて震えていた。
……仲が悪いんだな、お兄さんと。多分その言い方ではお父さんとも反りが合わないのだろう。
「ご兄弟はお兄さんだけなのですか?」
私も兄がいる。育ての家族の兄ふたりと、血のつながった兄がひとり。見事に男兄弟ばかりだ。
「…いえ、父が他所で生ませた弟がおります」
そうなの?
いや、知らないのは私だけかな。世間では有名なのに、私がゴシップにはあまり興味なくて聞き流していただけかもしれない。
「ひとつ下の腹違いの弟ですが…この子がとても優しい子で。私を支えてくれると言って、今は神殿騎士になるべく騎士育成校で奮闘してるところです」
意外や意外である。両親が同じお兄さんよりも、腹違いの弟とのほうが仲がいいみたいだ。
「母親に捨てられるようにして屋敷にやって来た弟の面倒は私がみていました。…父や兄のような不誠実な男にしたくなかったのです」
大巫女様の表情は暗かった。
彼女の父親と兄の女癖は悪く、彼女のお母さんは幾度となく苦しめられてきたという噂は有名だ。彼女はそんな家に嫌気が差して飛び出してきたのだという。
……苦労してるんだな、彼女も。
「…やさしい弟さんが神殿騎士になる日が楽しみですね、大巫女様」
私はなんて声を掛けたらいいのかわからなくなり、当たり障りのない言葉をかけた。私の事情とは形は違うけど、なぜだか彼女の事情を他人事と思えない。
私と大巫女様は同い年だ。性格や趣味嗜好は恐らく正反対だけど、なんとなく波長が合うと感じていた。
彼女はお勤めに忠実で努力家だから? 苦労を知っているから…? 普通に過ごしていたらきっと出会わなかったであろう存在。一緒にいても息苦しくないと感じる珍しい存在である。
「…良ければ気軽に私のことをサンドラとお呼び下さい」
彼女からの申し出に私はきょとんとする。そんな、大巫女様を愛称呼びとかしたら不敬とされるのでは…
「私はデイジー様と呼ばせていただきますね。あなたの大切なお名前ですもの」
数回、顔を合わせて言葉を交わしただけの相手だ。だけど彼女は私の葛藤を感じ取っているかのようだ。
それは大巫女の能力なのだろうか。それとも彼女の本質がそうさせているの?
捨てたはずのデイジーという名を呼んでくれると言われて、私はなんだか泣きたくなってしまった。私が泣き笑いみたいな笑顔を浮かべていると、後ろで招待客がざわつくのが聞こえてきた。
「アステリア」
……こんなところで堂々と話しかけないでほしいんですけど。出そうだった涙が引っ込んだ。しかも…目立つじゃないか。
「さっきしつこく声をかけられていたようだったが、大丈夫かい?」
彼は何を思ったのか、私の手を持ち上げ、顔色をうかがうように屈んで覗き込んできた。そして、ちらりと大巫女様の反応を伺っている。
……この人大巫女様の反応見るために、私を当て馬にしてないか?
「君は私のそばにいるといい。守ってあげよう」
私は胡乱な目でその男を見上げた。
胡散臭い……
手を振りほどこうとするが、力を入れられておりほどけない。おい、手を離さないか。
「大巫女様、申し訳ありません、少し…」
「はい」
大巫女様の反応は鈍かった。不思議そうに私たちのやり取りを首を傾げて眺めていた。…残念でしたね、脈はなさそうですよ。
彼女が人に呼ばれて席を離れたのを見送ると、私はバッと乱暴に手を振りほどいた。
「あの、当て馬にするのやめてもらっていいですかね?」
私を巻き込まないでくれないか。人の気に障ることばかりして…
「ばれた? ごめんね、君は私には興味なさそうだから丁度いいと思っていたんだけど」
何が丁度いいんだ何が。私からしたらいい迷惑です。
悪びれた様子のない男……この国の王太子殿下は世の女性が見惚れるという笑顔を私に向けてきた。周りにいた貴族令嬢、貴族夫人の妬みの視線が私に刺さってくる。
「私と君の婚約は白紙になってしまったけど、うまくやれそうな気がするよ。今からでも婚約の話をするかい?」
「はぁ?」
ついつい地が出てしまった。私は咳払いをしてごまかすと、目の前の男を軽蔑の眼差しで睨みつけた。
「お断りします。他所の女を想ってる男なんぞまっぴら御免です。…あの方を愛妾にでもするおつもりですか? そういうの、いちばん嫌われますからね」
王妃とか地獄じゃないか。絶対に嫌だよ。今の生活よりも更に拘束されるに決まっている。夫は別の女に夢中とか最悪じゃないか。なんだそのドロドロ婦人小説みたいな話。
ラウル殿下は私から注意を受けて肩をすくめている。もしもそれが冗談でもたちが悪いから。
「ラウル様! そんな子とよりも、私とお話しましょう」
「そうですわ、せっかくラウル様にお声掛けいただいたのに失礼な方ね!」
ありがたいことにその辺にいた令嬢がラウル殿下を連れ去らってくれた。
いいぞ、もっと遠くへ連れ去ってくれ。
私の目の前に現れるとこっちを苛つかせてくるから私に近づけてくれるな。悪口を言われたことには目を瞑っておいてやる。
「あら、殿下はどこかへ参られたのですか?」
「華やかなお花たちと戯れに行かれましたよ」
用事を済ませて戻ってきた大巫女様は何も知らないようだ。あの男が最低発言したことも何も。
女に囲まれて去って言ったことを包み隠さず教えてやると、彼女は関心なさそうに頷いていた。
「…大…サンドラ様は、ラウル殿下をどう思われていますか?」
何となく彼女の本音が気になったので、聞いてみた。
大巫女様は碧の瞳をパチパチさせて、数秒考え込んだ。彼女の癖なのだろうか。どんどん首が傾いていく。
「とてもお優しい方ですよね」
彼女の返事に私はついつい素が出た。
「どこが?」
彼女は不思議そうにこてんと首を傾げている。その瞳に嘘偽りはない。「失礼しました」と咳払いして誤魔化したが……あの男、私には曲者にしか思えんぞ。
あれか、好きな子の前ではいい人ぶってるだけかな。