いただきます
「いただきます」
って言葉。
好きな言葉が何かと聞かれたら一番最初に答える。
人に言えば笑われることが多いけれど、この言葉が一番好きだ。
目の前に並んだ料理を見つめて、心を込めて言う。
「カーット、今のとこ撮り直そうか。…椋君、ちょっと」
監督に呼ばれて、小さくため息をついた。
たった数分のシーンを何度も撮りなおしていて、さすがに疲れが見え始めているのだろう。
照明の灯りがやけに明るくて、じわじわと汗がでてきた。
手の甲で汗をぬぐいながら監督のもとに行くと監督はヘラリと笑う。
「うーん、合わないかな、この料理」
「とても美味しくていいんですけど、なんかこのシーンに合わないというか…」
「確かになぁ…。家庭的な感じにしたいんだけど、どこか上品さが残るからな」
「そうなんですよ。すいません、俺がわがまま言うばかりに、撮影が進まなくて…」
「いや、いいんだよ。俺は君がそうだから、選んだんだよ」
目の前に並んだ料理に手を合わせて、作ってくれたフードコーディネーターに礼と謝罪を告げた。
プライベートで食べれたらよかったのに、と思いながら箸を置く。
それから休憩にしようと周りに声をかけた監督に頭を下げてから、席を立った。
「監督、ニコ君がお弁当届けてくれましたよー」
「あれ? 今日はいらないって言ってあったはずなんだけど。まあ、いいか」
助監督の言葉に視線を監督に移す。
可愛らしい淡い水色の弁当袋を見て、何気なくそばに近寄った。
卵焼きのどこか甘い香りに、きんぴらごぼうの香り。
今撮っているシーンのイメージにぴったりな匂いに思わず監督の隣に腰をかけてお弁当を覗き込んだ。
「ニコ君って息子さんですか」
「ん? そうそう。うち父子家庭だから、息子が弁当作ってくれるんだわ。食べる?」
「いいんですか?」
「どうぞ。普段だったらあげたりはしないんだけど、椋君は特別ね。ほら」
箸と弁当を渡されて、ゴクリと生唾を飲む。
今までにないくらい食欲をそそられる香りだった。
一番最初に気になった卵焼きへ箸を伸ばす。
ふたつに切ってから口に運んだ。
「…っ、これ、」
「うまいでしょ。ニコちゃんの作るご飯、世界で一番うまいよ。まあ、親ばかかもしんないけどね」
「いや、これ、世界で一番って言ってもいいくらいうまいですよ。すみません、もうひとつ、わがまま言ってもいいですか」
口の中に広がる、卵に砂糖と牛乳が混じり甘く焼かれた卵焼きの味。
普段は出汁で作られたものを好んでいたが、これもこれでまた美味しい。
さっきまで何度も食べていた料理とは比べ物にならないくらい、このシーン、いや、映画にあっている。この料理で撮ってもらいたい。
そう思うくらい、舌が痺れた。
監督をじっと見つめると、監督はもう一度ヘラリと笑った。
「で、どうした?」
「俺、この料理で、撮ってもらいたいです」
「え?」
「無茶なお願いだってわかってるんですけど、この料理、絶対このシーンに合うと思うんです。家庭的で、どこか甘ったるい…、絶対、合うと思うんです」
この料理で、このシーンを撮ってもらいたい。
初めて、心からうまいと思った料理を食べた時と同じくらい、いやそれよりもうんと心が弾んだ。
「仕方ないな。中本君ー、ニコちゃん帰っちゃった?」
「いや、近くのカフェで待ってるって言ってましたよー」
「ごめん、連れてきてくれる?」
「了解ですー」
監督のその言葉にドクンと心臓が強く動いた。
この料理で撮ってもらえる。
「ありがとうございます…!」
いただきます end
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