空と喫茶店
「なんだ、今日こっちの仕事だったんすね」

「お、空生じゃん」

椋亮と貝喰が楽屋でテレビを眺めていると、ノックの音とともに明るい声が聞こえてきた。
そちらに視線を向けると貝喰がよく可愛がっている事務所の後輩の新崎空生が立っている。
椋亮は親しそうに話しているふたりを見て、携帯を開いた。
仕事のスケジュールを確認しながら、この間の映画の撮影を思い出す。
ニコの料理を使ったあのシーンは、満足のできるものになったと思う。


「あれっすか、ココロツムギの宣伝用の撮影?」

「おー、そうそう」

「へぇ〜、あれって高見崎監督のやつですよね」

「よく知ってんなー」

「家族ぐるみで仲いいんで」

「あ、じゃあニコちゃん知ってるんだ」

ふと上がった名前に椋亮は思わず顔を上げた。
優しくて柔らかな名前に、あの時の料理の味を思い出す。
自分がいつも求めている味を再現した少年。


「…おっ、椋亮が食いついた。さすが、椋亮の舌にかなう料理を作った子の話」

「椋さんニコの料理食ったんですか」

「あぁ」

「椋亮がわがまま言って監督に頼み込んだんだよ」

「…へぇ、珍しいこともあるんですね」

椋亮は空生と貝喰がまた違う話を繰り広げ始めるのを聞いて、また携帯に視線を戻す。
ちらりと貝喰がこちらを見ていることに気づき、舌打ちを打った。
賑やかなふたりの声がどこか煩わしくて、椋亮は部屋から出ようと立ち上がる。


「椋亮どこ行くんだよ」

「散歩」

「ジジイかよ」

嫌味を言う貝喰を無視して、部屋を出た。
腕時計を見て撮影までまだ時間があることを確認してから現場から抜け出す。
暇つぶしにもなるかと最近できたというカフェをチェックしていてよかった。
そう思いながら、椋亮はカバンの中から手帳を取り出し場所を確認する。


「うあ」

小さくあくびをしながら空を仰げば、仕事をしているのがバカらしくなるくらいの晴天だった。
仕事は好きだが、時々疲れを感じてしまう。
それは一つ一つの作品に向ける熱が本物だからだろうか。
もう一度あくびをしながら歩いていると、その喫茶店の看板を見つけた。
その看板の前に、つい先ほど思い出していた姿が見える。


「…ニコ?」

思わずその小さな彼の名前を呼ぶ。
振り返った彼の重たく切り揃えらえれた前髪からのぞく大きな目が更に大きくなった。
初めてまじまじと彼の顔を見たような気がする。
自分よりもひとまわり小さな体のパーツはどれも綺麗に整っていた。
じっとニコを見ていると、返事が聞こえてこないことに気づく。
パチパチとまばたきした後、ニコは口元を押さえて、一歩後ずさり看板にぶつかった。


「危なっかしいな」

「…っ、」

慌てふためきながら看板を戻したニコはちらりと椋亮を見て、また視線をそらす。
あまりうまく話せないのか、小さな声が何か伝えようとしているのが聞こえた。


「聞こえない。もっと大きな声で話して」

「…っ、こ、んにち、は…」

「こんにちは。話せるじゃないか」

こくこくと大きく頷くニコに、椋亮も頷く。
頷くのをやめたニコは少し緊張が解けたのか、へにゃりと笑った。
その笑みになんとなく疲れていた気持ちが軽くなったような気がする。


「この喫茶店、入ろうとしてたのか」

頷き一つ。
ニコはそれから、もう一度小さく笑った。


「こ、ここ、新しくできたってパパ…、お父さんが言ってたから、行ってみようかなって」

小さくても聞こえる声でニコが一生懸命に答える。
この優しい声の持ち主があの料理を作るのか、そう思うともっと聞きたいと思った。
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