ふたりだけ
風太さんと汰絽が付き合ってから5年目
「もーっ、よしくんなんて知らないからっ」
顔を赤くして怒る杏に、好野もカッと頭に血が上った。
杏に向かってうっかり勝手にしてくださいといってしまえば、杏は好野を睨みつけて部屋を出ていってしまう。
その背中を追いかけようとは今は思えない。
どうせ、また黒猫に行くのだろう。
そう思って好野は携帯を手に取った。
「もしもし、汰絽?」
『もしもし? どうしたの、今日あん先輩が久々に帰ってくるっていってたのに』
「いやー…、ちょっと喧嘩しちゃってさ」
『喧嘩?』
汰絽に電話をかければ、電話先の汰絽がいぶかしむような声で聞いてくる。
電話先は賑やかで、時折小学3年生になったむくの大きな笑い声が聞こえて来た。
「んー。話聞いてくれない?」
『いいけど…、あん先輩は大丈夫なの?』
「どうせ黒猫いってるよ」
『わかったよ、でもちゃんと話聞いたら仲直りしてね』
「うん」
『ちょっと待ってね、…風太さーん、今からよしくんくるけどいいですかー?」
汰絽と汰絽の恋人で社会人2年目になる風太の話す音が聞こえた。
少し経ってから、汰絽が笑いながら、好野にいいってと返事をくれる。
「車で行くからすぐ着くと思う。いつものところに停めればいい?」
『うん、そうして、待ってるね』
汰絽の声にホッとしながら、好野は電話を切った。
少し怒りは落ち着いたが、喧嘩の原因はとうに忘れている。
おそらく杏も同じように喧嘩の原因は忘れているだろう。
ただただ相手に対するムカつく、という気持ちだけが残っていた。
汰絽の家と好野が高校を卒業してから住んでいるアパートは近い。
車で10分のところのため、すぐについた。
車から降りて、インターホンを押せば、汰絽の返事が聞こえてくる。
オートロックを解除してもらい汰絽たちの住んでいる部屋へ向かった。
エレベーターに乗り込んで降りると見知った髪色が見えてくる。
なんでここにいるんだ、と思いながら、好野は頭を抱えた。
「…杏さん」
「わっ、…よ、よしくん…、なんで」
「なんでって、杏さん黒猫行くかと思ったから、アパートにいても苛立つだけだし…」
「な、なにその言い方、よしくんのそういうところ嫌い」
「俺も杏さんのそういうところ嫌い」
お互いに顔をそらせば、玄関のドアが開いた。
おう、と手を挙げたのは、風太でその顔はニヤニヤと笑っている。
汰絽やむくにはよく表情を帰る風太は、5年経ってから好野にも変わった表情を見せてくれるようになった。
「まあ、はいれば? たろが準備してる」
そう言われて室内に入れば、杏がホッと息をついていた。
好野とふたりで話しているのが辛かったのだろう。
部屋に入れば、気まずい空気も関係なくむくが楽しそうに汰絽に話しかけていた。
「あっ杏ちゃんとよしくんだっ」
近くに寄って来たむくが両手を広げるのを見て、杏がしゃがみこむ。
ぎゅっと杏がハグをすれば、むくが嬉しそうにきゃっきゃっと笑った。
「あん先輩、よしくんも座ってください」
ふわっと笑った汰絽がソファーに促す。
その手にはいい香りのコーヒーと紅茶が用意されていた。
ソファーに腰をかければ、風太が汰絽の隣に座り腰を抱く。
その様子に、好野は思わず苦笑した。
相変わらず仲がいい。
五年経っても、何年経ってもその先も、ふたりはきっと、ずっとこんな関係を続けて行くのだろう。
それに比べて、自分は、久しぶりに帰って来た杏に対してあんな態度をとってしまって、落ち込んだ。
コーヒーと紅茶の香りが香った。
「あ、このクッキー、むくと一緒に作ったんですよ」
そう言って差し出されたクッキーを見て、杏がちらりと好野をみた。
杏の目元は少しだけ赤くなってた。
「たろ、はちみつ取って来て」
「はい、あれ、むくも紅茶飲むの? じゃあ、むくの分も入れなきゃだね。ついでに作りかけのお菓子も作っちゃおっか」
「飲むー! むくもついてく」
キッチンへ立ったふたりに風太が笑って、俺はトイレ行ってくるな、と立ち上がった。
ふたりきりになって、好野はちらりと杏をみる。
杏の赤い目元が気になった。
「…杏さん、すみません。勝手にしろなんて言って」
小さな声で思わず漏れた言葉たち。
杏がパッと顔を上げて、それからくしゃっと綺麗な顔が歪んだ。
「お、俺こそ、ごめんなさい、嫌いとか、言って、嫌いじゃない、嫌いじゃないよ」
「俺も」
そっと手を繋いで、杏を見れば、嬉しそうに笑っていた。
きっと、この中で変わったのは、自分たちなんだろう。
好野は強くそう思った。
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