悪夢
「心路?」
真夜中、静かに眠りについたと思っていたら、隣から泣き声が聞こえてきた。
うなされている心路に視線を移せば、ぎゅっと唇をかみしめている。
時折漏らされる苦しそうな声は、冷めない悪夢から喘ぐようだった。
真っ青な顔色に恐怖を覚えた古道は、心路の肩を揺らす。
「心路、起きろっ」
それでも目を覚まさない心路の柔らかな頬を軽く叩く。
大声をあげ、名前を呼べば、心路の唇から力が抜けた。
じわりと滲んだ赤い血が、柔らかな桜色の唇を彩る。
荒い息を吐き出して、苦しそうに小さな手が古道に伸びた。
その手を掬ってぎゅっと握り、真っ赤に彩られた唇を綺麗にするように舌で拭う。
鉄の味が口の中に広がり、古道は眉を潜めた。
「あっ、こ、ど…」
「落ち着いて、ゆっくり息を吸って、そう。吐いてね」
深呼吸を促して、髪をなでて、頬を撫でる。
うつろな視線がようやく定まってきて、額に浮かんだ汗を拭ってやった。
ようやく落ち着いた心路の額に口付ける。
「どうしたの、嫌な夢でも見た?」
「…、ん、いや、んん」
なかなか口を動かさない心路が考えるように瞬きをした。
促すように唇をなでれば、じわりとまた血が滲む。
「何とも言えない夢?」
「…幸せが、壊れるちょっと前の夢」
そう言って、心路は古道にキスをした。
触れ合った唇が温かい。
古道の唇は、心路の唇と同じように赤く染まる。
「いつもより落ち着いてるね」
「…うん、でも、なんだかずんって沈んでくみたいに、胸が重たい」
小さく呟いた心路の髪を撫でる。
疲れたように、目元をこすった心路の髪を梳く。
「疲れた」
「横になるだけなろうか」
「…ん」
もう一度、横になり、心路の頭の下に腕を差し込む。
柔らかな髪を指先で梳いて、つむじに口付けた。
「今眠ったら、やな夢、見る気がする」
「眠らないでなにか話そうか」
「…うん」
古道の声は優しく低く、ゆっくりとした心臓の音が心地いい。
「冬になったらさ、温泉旅行でも行こうか」
「…温泉?」
「内風呂付きの部屋取ってさ、ふたりでゆっくりしよ」
「たのしそう」
「でも心路、のぼせちゃうか」
「のぼせても、古道が面倒見てくれるでしょ?」
そう答えて、古道を見上げる。
優しくとろけた瞳が目に入って、心路は小さく笑った。
「当たり前でしょ」
「ん、大好き」
「俺もだよ」
額に柔らかな感触を感じた。
とても眠たくなってきて、心路は目を瞑る。
今なら悪夢を見なくて済みそうだった。
あの理不尽に恋心をかざした、とても汚い行為を強いられた春の暑い日の夢を。
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