兄
桜庭聖也に引き取られてから、ふたりは離れの和室で過ごしていた。
一階建ての一軒家のようなそこは、ふたりだけの世界だった。
必要以上に、父と名乗るようになった男は関わってこない。
ふたりはただ一緒にいた。
ご飯や身の回りの世話は、桜庭家の使用人が姿を見せずそっと行っていき、必要以上にはかかわらない。
そんな様子を見に来ていた男にも慣れてきた頃、ふたりは小学校を卒業する年になっていた。
小学校はあの事件があってからは通っていない。
ふたりは男から支障が出ないように勉強を教えてもらっていた。
今日も男がやってきて、勉強を教えてくれている。
「…ふたりとも、中学校に通ってみないか」
「べつに、今のままでいい」
「こ、こころも」
そう言って拒絶を見せたふたりに、男が困ったように笑った。
それから、ちょっと待っててねと立ち上がってから、男がココアを入れて戻ってきた。
お盆の中にはマカロンとココアがある。
「俺はね、君たちとずっと一緒にいるつもりだよ。だけど、俺も若くない。いつ君たちを置いて死んでしまうかわからない。…だから勉強して、社会を見て、大人になって欲しい」
「…大人になったら、どうなるの? こどうといっしょにいれる?」
「ちゃんと勉強して、ふたりで一緒にいれるようにたくさん考える知識を増やすんだよ」
「それなら、こころ、学校行きたい」
心路の表情を見た古道もわかったと手を挙げて答えた。
目の前の男が嬉しそうに笑ったのを、ふたりは見つめた。
「…お、お父さん」
「…っ、心路、はじめてお父さんって」
「お父さんって、よんでいい?」
「いいよ、いいんだよ。頼ってくれていいんだよ」
男に心路がぎゅっと抱きしめられた。
戸惑ったように眉を寄せた心路に、古道は苦笑する。
いつのまにかふたりは、この男のそばが心地いいと気づいていたようだった。
「ほら、古道も」
「…父さん」
同じようにぎゅっと抱きしめられて、目頭が熱くなるのを感じた。
ああ、父親ってこんなにあったかいのか、逞しくて、安心するのか。
そう思ったら、となりで泣いている心路と同じように、古道も涙が止まらなくなった。
父に呼ばれて、ふたりは初めて外出した。
手をつないで連れて行かれたのは、広い花畑だった。
広い広いそこは、初めて見る光景はとても綺麗で、心路が嬉しそうに走っていくのを古道は子どもながらに美しいと感じていた。
そして、そのままどこかに消えてしまうんじゃないかって思ったら、大きな声が出ていた。
「心路っ」
驚いたように振り返った心路がすぐに戻ってくる。
それからぎゅっと抱きついてきて、柔らかに笑った。
「ど、どこにも、いかないよ」
そう言って、小さな手が古道の手をギュッと握り締める。
温かなそれに、ひどく落ち着くのを感じた。
「こ、こど、きれーだねっ、きれー」
花畑を指差して、心路が笑う。
いこうか、そういえば、後ろにいる父が笑った。
「好きに遊んでいいよ」
その言葉を聞いて、ふたりは花畑を走り回った。
走り回って、疲れて、芝生の上に寝転がった。
隣の心路の荒い息使いに、思わず笑う。
楽しいねと笑い合えば、ひょいっと見たことのない子どもがふたりを覗き込んできた。
「…っだれ」
驚いた心路が古道の手をギュッと握る。
古道は起き上がって、心路を背中に隠した。
ひとまわりも身体の大きさが変わったから、自分は心路を守れるようになりたい。
「そんなに驚かなくていいよ。大丈夫、僕は何もしない。君たちの兄さんになるからね」
そう言って笑った子どもは、古道と心路に両手を差し伸べた。
思わずその手を取ってしまい、心路も同じように古道の真似をした。
「よしよし、いい子だね。僕の弟たちは」
「だ、だれ」
「桜庭聖。好きに呼んでいいよ」
「お、おにい、さま?」
こてんと首をかしげた心路に、聖と父が笑うのが聞こえてきた。
目の前の兄になったという人の笑う声がとても優しくて、ふたりは握った手を離せなかった。
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