電話
「懐かしいことを思い出したよ」

電話越しに聞こえてきた声に、古道はどんなことと問いかけた。
寝室ではココが静かな寝息を立てて眠っている。

「お前と心路と出会ったときのこと。お前がまだ俺に警戒心丸出しだったとき」

「あーわりとずっと警戒心丸出しだったからなあ」

「病院でさ、俺に向かって気安く心路って呼ぶなって怒っただろう」

「ああ、あの時か。麻酔効いてたからあんま覚えてねえけど」

そう言って笑えば、電話先の父も笑ってくれた。
ココが眠ってからかかってきた電話は、長引きそうな予感がする。
寝室を出て共有ルームのソファーに腰をかけて、父の話を聞いていた。

「聖が、お前たちが勉強も、風紀委員会の仕事も頑張っているってよく教えてくれるよ」

「兄さんはさ、俺らに甘いだろ。俺、まだまだ頑張れるよ」

「頼もしいな」

「まあ、時々ハメ外すこともあるけど」

「学生だからな。なんでもやってみるといい。俺もそうしてきた」

父はとても穏やかな人だ。
いざと言うとき、叱ることの出来る人で、古道とココはそんな父だからこそ心を開くことができたような気がする。
懐かしい思い出を思い出して、古道は苦笑した。

「聖はどうだ」

「兄さん? 兄さんはいつでも完璧だな。父さんも知ってるだろ」

「はは、そうだな。セイくんとも会いたいな」

「セイ兄さんも同じこと言ってたよ。今度兄さんと一緒に飯でも行けばいいよ」

ご飯に行きたい、と言っていたセイのことを思い出せば、父の笑い声がよく耳に響く。
いつも笑顔でいる人だけれど、今日は格段と楽しそうだ。
それでもどこか違和感があって、少しだけそわそわする。
どのタイミングで聞き出そうか考えていると、父が黙り込んだ。

「…聞きたいことがあるんじゃねえの?」

そう問いかけると、まいったな、先に切り出されるなんて、と苦笑いする声が聞こえてきた。

「…心路、また昔みたいな話し方をしていたな。…吃音、治ったと思っていたけど。いまでも時々そうなるのか?」

「…ああ、最近はちょっとね」

そう言って濁せば、父は困ったようにそうか、と呟いた。
ココの話し方が昔のように吃ってしまうことには、薄々気付いていた。
過呼吸を起こすことも多くなったし、発作的に泣き出したりすることも増えている。
少しの時間、食事をしただけでも、父は気づいたようだ。

「…花咲桜が学園に来ただろ」

「彼ね」

「ココが納得した形で、ココなりに、過去に向き合ってるんだよ」

「親としては、どういうふうに向き合おうとしているのか、知るべきだよな」

「まあね、親としては」

電話先の父は、大きく深呼吸をしたようだった。
父は古道が濁したとしても、それを許さない。
ココと自分のことを一番深く愛して、育ててくれるのは父であって、古道はそのことをよく知っている。
だからこそ、止めないで欲しかった。
ココがそれをやめてしまったら、どうなるかわからないから、古道は止めなかった。

「俺も、本当は止めるべきなんだよ。ココちゃんとずっと一緒にいるって決めた時から、俺があの子を守らなきゃだってわかってるんだけどさ」

「うん、そうだな。お前が一番心路のことをわかっているし、一番心路のことを愛してるからな」

「…父さんって変な人だよな」

「ん?」

「男同士で、腹違いだけど兄弟で、それなのに好きになって恋人になっている奴らが、自分の息子になったのに、受けいれるって、頭おかしいだろ」

ソファーの背もたれに身体を預け天井を仰ぎ見る。
夜だからか、なんなのか、やるせなさに襲われて思わずつぶやいた言葉。
父はどう受けとめたのだろうか、ぼんやりと考えながら返事を待った。

「誰を好きになるか決めるのは自分だろ。それを周りがとやかく言うのは、野暮ってもんだって俺は思ってるよ」

思ったよりも真面目なトーンで返されて、古道は思わず笑ってしまった。
父のこういうところを尊敬してしまうのだ。
真っ直ぐで、柔らかい心を持っているな、と何かに直面した時にかけてくれる言葉でよく感じた。

「まあ、心路が怪我しないようにしっかり見てておくれ。何かあったらいつでも頼ってくれて構わないからな」

「頼もしいな」

「ああ、俺は聖とお前と心路の父親だからな」

「そうだった」

「あと、お前も無理をしないように。お前が嫌だったら、心路を止めていいんだからな」

念を押すようにそう伝えられて、古道は頷いた。
どこかほっとしたような気持ちになっている。
父とこんなに話したのは、久しぶりのような気がした。

「…俺のことも心配してくれたんだろ、ありがとう」

「ああ、お前も話してくれてありがとう、こんな夜中に」

「いやいいよ、明日も休みだし」

「心路は?」

「寝てるよ。でもそろそろ起きるかもしれない」

「お前が一緒じゃないと寝れないもんな、可愛いなあ」

電話を切るために先の話をしたんじゃないのかと思いながらも、古道は小さく笑った。
少しだけ空けといた寝室のドアから、古道を探す声が聞こえてくる。

「じゃあ、ココちゃん起きたみたいだから。…また、飯でも連れってってくれよな」

「ああ、おやすみ」

「おやすみ」

電話を切って、古道は寝室のドアを開けた。
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