いいこ
「いのち、短し、恋せよ…。飼い主様、どうしたの」

ソファに横たわりながら、絵本を眺める。
ココの一番好きな歌を歌っていると、不意に飼い主様の動きが気になって視線を向けた。
歌をやめれば飼い主様は小さく笑って、ココの側にやってくる。
それからココの頬を撫でて、起きてと囁いた。
優しく甘い声につられて体を起こすと、飼い主様はココをぎゅっと抱きしめる。


「…ココ、いいことしてないよ」

「可愛い弟に、いいことしないとぎゅっとしてあげないなんて、僕はいつ言ったのかな」

「言ってない…。聖お兄様、」

「可愛い僕の弟」

温かいお兄様の腕の中で、ココは目を瞑った。
小さい頃からの癖で親指を口元に持っていき、ずっと我慢していた癖が蘇る。
お兄様の腕の中は古道の腕の中と違う。


「今日は可愛がりたい気分なんだ」

「…ん、頭、いいこってして」

ここにいていいんだって。
優しく撫でて、と瞳で訴えれば、お兄様はすぐに撫でてくれた。
心地よいその感覚に身を委ねていると、風紀室に取り付けられている電話がじりじりと音を奏でる。


「心路、電話が終わったらね」

そう言ってお兄様はまた飼い主様の姿に戻る。
電話は生徒会からだったようで、ココは興味を失った。
もう一度絵本へ視線を移し、ソファーの背もたれに身体を預ける。

電話を終えた飼い主様は今度は違う人へ電話を掛け直す。
それからすぐに電話を切り、少し怒ったような顔でココの隣に座った。
どうしたことかと飼い主様を見つめれば、飼い主様は苦笑いのようなよくわからない笑みを浮かべる。


「心路、いつもなら可愛い君にこんなことを任せたり、絶対にしないのだけれど、今は皆が出払っている。それに私もこのあと理事長と謁見しなければならない。お願いしても良いかな」

「なに、飼い主様」

「この書類をね、生徒会室に持って行ってもらいたい。生徒会長に渡してもらいたいのだけれど」

「…、ん、大丈夫。ココできるよ。古道は一緒?」

「古道は今、副会長の親衛隊の制圧に出てるよ。本当に申し訳ないね、心路。…榎本くんも生徒会室にいるから、安心して」

こくりと頷いてから、ココは書類を持って部屋を出た。

古道がいない廊下はとても静かで、広い。
急に心細くなって風紀室のドアを見れば、飼い主様がちょうど部屋から出て来た。
携帯で誰かと連絡しながらココに手を振る。

行かなきゃ。
飼い主様の言うこと聞かないと。

小さく頷いてからココは廊下を歩いて行った。
しんとした廊下の床は絨毯が敷き詰められている。
その絨毯に足音は座れ、ココの出す音はすべて消えてしまった。
生徒会室や風紀室のある特別棟の作りは一般棟とは違って作りが来賓向けになっている。
それでもいくつか廃止された委員会があるため、空き教室がある。
その空き教室の前を通るのが、ココはとても嫌いだった。
背中がざわざわと嫌な感覚が走って、急ぎ足になる。

嫌な感じ…。
早く古道に会いたい。
ぎゅってしてもらって、それから…っ。

心臓が止まった。
ぎゅっと氷の手に掴まれたような感覚にとらわれる。
手首を掴まれて、強い力に引きづられ空き教室の中に引きこまれた。
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