男の怒鳴り声が聞こえてきた。
そのあとに女の泣き声。
今の事実上の父親と母親が喧嘩をしているようだ。
布団の中に入って声を潜めていると、隣で同じようにしていた心路が古道をじっと見つめてきた。


「どうして、ママはいつも、悲しいんだろう」

そう小さく呟いた声が、悲しい。
心路の鼓動の音が聞こえてくるようだ。


「抱きしめて」

自分より少し小さな心路を抱きしめる。
柔らかな身体が抱きしめ返してきた。


「古道、ママは大好きな人と一緒にいても悲しいのかな」

「どうだろう」

「こころはね、古道と一緒にいると幸せだよ。幸せだし、大好きでいっぱいになる」

「俺も、同じだよ、心路」

「なのになんでママは、悲しいんだろう」

そういった心路は小さく泣き声を上げ始めた。
腐っても、心路にとってはあの女は母親なのだ。
幼いながら、古道は悲しい事実に気づいてしまった。


「古道、出てきなさいっ」

大声が心路と古道の部屋の前で聞こえる。
その声に心路の身体また震えた。


「出てこないのなら、私が入るわよっ」

バンッと大きな音が聞こえて小さな悲鳴が腕の中から聞こえる。
それから、ゆっくりと布団の中から出て行った古道は小さくため息をついた。


「なんでっ、私ばかり、あの男に、苦しめられなきゃいけないのっ」

自分よりもうんと大きな女に手のひらで頬を叩かれる。
それを甘んじて受けるのも、怖さからじゃない。
愛しい弟が、こんな目にあわなくてよかったと思う。
きっと自分が心路の兄になる前は、心路がこんな目にあっていたのだろう。
もう怖い思いなんて二度とさせない。
そう誓った。


「もううんざりよっ、心路でも手一杯なのにっ、あんたみたいなのを押し付けてきてっ」

「ごめんなさい」

「謝って済むと思ってんのっ、私を苛立たせないで!」

「ごめんなさい」

床に押し倒されて、そのまま頭を踏まれる。
痛みは感じにくくなってきて、もう何ヶ月が経ったのだろうか。
女に対する恐怖も心路への愛情で塗り替えられた。




「古道、ごめんね、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」

ぎゅっと抱きついてきて泣いている心路の声で意識を取り戻した。
どれくらいあの女に殴られていたのかすら思い出せない。
痣のできた腕を見て、小さくため息をついた。
身体を起こして、心路を抱きしめれば、心路が涙を止めた。


「心路がもっと、ちゃんとしてれば、古道がこんな目に合わないのにっ」

「心路、心路が笑ってくれてるなら俺はそれでいい。心路、いつものアレして」

「うん」

頷いた心路は笑ってから、震える手で古道の頬に触れた。
それから古道の額にキスをして、それから唇にもう一度キスをする。


「心路の一番は古道だよ、ママよりも、お父さんよりも、学校の先生よりも、大好き」

「俺もだよ、心路。大好きだ」

キスをくれた心路を抱きしめれば、優しいバニラの香りがした。



「古道…、どうしたの。またねれないの」

「ココちゃんよりは眠れてるよ。ココちゃんはどうしたの」

「甘いの食べたくて」

「ちょうど副委員長様にもらったマカロンがあるよ。アイスココアも入れてあげるから食べようか」

「うん」

ココは古道に笑ってソファーに腰を下ろした。
小さな鼻歌が聞こえてきて、懐かしいメロディーに古道は口をつぐんだ。

悲しく熱く泣きたくなる end
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