解放
実家の駐車場に車を止めてもらって深呼吸した。
隣の駿さんは時折俺を見て、安心させるように頬を撫でてくれる。
あの時以来、実家には帰っていない。
実家に帰ればまた母親に詰め寄られ、父親から冷たい目で見られる。
またあの飾った爪で引っ掻かれるかもしれない。

「…ッ」

「千陽、大丈夫か」

「…ん、大丈夫。うん、ひとりじゃないから」

大きく息を吸い込んで、深呼吸する。駿さんに笑いかけた。

「何があっても俺を守ってくれるって、駿さんがいってくれたから。俺は大丈夫だよ」

駿さんは驚いたような顔をしてから、嬉しそうに笑った。

車から降りて、玄関のチャイムを押した。
ぎゅっと手を握りしめていると、駿さんが手の甲を撫でてくれる。
ドアが開けられて、背筋が冷えて行く。

「…ッ、あなた、どの顔を下げて…ッ」

「春子、どうしたんだい…。千陽」

「…そちらの方はどなた。あなた、先日の…様に謝罪はしたのかしら。勝手なことをして…、あちらにご迷惑をおかけするなと何度伝えたことかしら」

「春子、客人の前だよ。千陽、お前は部屋に…」

「も、もどりません。きょ、今日は、話を、」

「千陽、いつからそんな悪い子になったのかな、部屋に」

父親の手が伸びてきて、びくりと肩が震えた。

「…私の番に乱暴な真似はやめていただけますか」

隣から伸びてきた腕に体を引かれ、抱きとめられた。
スーツの腕に抱きしめれて、ホッとする。
力強い手が、そっとなだめるように腕を撫でた。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。千陽さんの番として、挨拶に来ました。こちらを」

駿さんが胸ポケットから名刺入れを取り出して、差し出す。
父親がそれを受け取って、目を見開くのが見えた。

「…駒門製薬会社総取締役、」

「最近、就任披露パーティーを開かせていただいたのですが、ご存知ありませんでしたか。駒門駿と申します。千陽さんとのことでお話があり、本日はお伺いしました」

「…、こ、駒門製薬会社の方が、なぜ、うちなんかに…」

「り、李人さん、こ、こんなところじゃなんだから、り、リビングに…」

「あ、ああ、そうだな。すみません、こちらへ」

家の中に通される。
父親と母親の慌てる様子を初めて見た。
駿さんは真っ直ぐにふたりを見つめている。
リビングに入り、ソファーを勧められた。
駿さんと一緒に腰をおろすと、家政婦がお茶を運んでくる。
そのお茶には手をつけずに、隣の駿さんを盗み見た。
どこか怒ったような表情。

「…あ、あの、なぜあなたのような駒門家のお方が…」

「千陽さんとは運命的な出会いをさせていただきまして。そのことはふたりだけの思い出にしたいと思いますので、詳しくはお話ししませんが、よろしいでしょうか」

「はい。…しかし、申し訳ございませんが、うちもこの子が生まれた時から、取引先のαの方に嫁ぐ事が決まっていたので、今更…」

その言葉を聞いた駿さんの眉がピクリと動いた。
駿さんの不機嫌そうな表情に、父親がびくりと身体を揺らした。
駿さんのαとしての威圧はうちの家系のαでは太刀打ちできない次元だ。
隣に座っている番の俺ですら、指先が少し震えた。
父親も母親も同じαとして、羞恥心を覚えたのか居た堪れない表情を浮かべた。

「それは、千陽がどのような扱いをされようと構わないという事でしょうか」

「そ、そこまでは」

「千陽が、…私の番がそちらの取引先とやらに、どのような扱いを受けたのかご存知の上でのお言葉でしょうか」

「で、ですが! あなたが番と決まる前にこの子にとっても、Ωとしての誇りを持って、取引先の方へ嫁ぐことが幸せだと…」

その言葉に、ぐっと苦しくなる。
あの時のことを思い出して、指先から冷たくなっていった。
隣の駿さんの膝にそっと膝を触れさせる。
小さな仕草だったけれど、駿さんは俺の怯えに気づいて、そっと背中を撫でてくれた。

「千陽が傷つくことも、望まない結婚をして子ども産み育てる。それがΩとしての幸せだと、そう考えているということですね。わかりました。鹿瀬の家がそれほどまでに、考え方がお古いとは知りませんでした」

「…ッい、いえ、その」

にこりと笑った駿さんが、鞄の中から書類を取り出した。それから両親の方へ差し出す。

「同意書…、ですか、何の…」

「わかりませんか? 婚姻届の同意書です。今日はこちらにサインをいただきに来ました」

「…そ、そんな…、あなた、おかしいのでは…、こ、この子はまだ17歳ですよ…!」

「その17歳の息子をΩだからという理由で、心もないようなαに売り払ったのはあなたたちではありませんか」

「…っ」

「こんなことを言いたくはありませんが、ご理解されてないようなので言わせていただきますね。今、私は製薬会社のみ任されておりますが、いずれは駒門グループを取り仕切らせていただくつもりです」

駿さんの静かな声がリビングに開いた。
緊張したように喉を鳴らした父親。
母親は父親のそんな姿を見て、顔を青ざめた。

「鹿瀬の大元にも連絡が届いていると思っていましたが…、どうやらまだ届いていなかったようですね。まだ公にはしておりませんが、鹿瀬の医療器具メーカー、鹿瀬メディカルをうちの父、駒門駆の方で買い取らせていただきました。それがどういう意味か流石にお分かりになられますよね、鹿瀬メディカル元次期取締役、鹿瀬李人さん」

そう言って笑った駿さんの顔はとても悪い顔で、両親が貶められているのを気の毒に、とどこか他人行儀に眺めた。
青ざめたふたりの顔。
震える手がサインが書かれ、印鑑が押された同意書。
これでやっと、この家から解放される。
そう思うと、何とも言えない気持ちになった。

リビング end
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