愛してる
紅葉を眺めながら、ぼんやりと眺めた。
真っ赤な紅葉と黄色い紅葉。
チラチラと視界に降ってくる紅葉を綺麗だと思う。
鼻歌が溢れて、首をかしげた。
この曲、どこで聞いていたんだっけ。

「…また、紅葉を見ているんだな」

バニラの香りと、低く甘い声。
優しくて、包み込んでくれる雰囲気。
振り返った先には、この間ここで会った泣いていた人がいた。

「今日は、泣いてないんだね」

隣に座って来たその人の頬に触れる。
温かい頬に指先を這わせて、目元をなぞった。
切れ長の眉を撫でて、笑いかける。
そうすれば、少しだけ怖い顔をしていたその人は、笑ってくれた。

「…紅葉、好きなのか」

「んー、どうだろ…。この病院でひとりでいると、胸がざわざわして落ち着かないから、だからここでぼんやりしてるだけ」

「そうか。今日はひとりで来たのか」

「うん。あんたは?」

「俺もひとりだ」

指先を離して、その人を見つめる。
名前も知らないその人のことが気になってしょうがない。
甘いバニラの香りが心をくすぐる。

「ねえ、あんたの名前教えてよ」

「…教えない」

「けちんぼ」

「…ち…」

その人が何か小さく呟いた。
何を呟いたのかはわからなかったけれど、また紅葉に視線を戻す。
隣のバニラの匂いが心地よい。
また頭痛が治まっていることに気づいた。

「紅葉、綺麗だな」

「そうだな」

ぼんやりとした時間が終わる。
もう少しで午後の診察の時間だ。
週に一回、一日をかけて、検査をしたり先生と話したりして過ごす。
三回目でもう一度会えるとは思わなかった。

「俺、行かないと」

「…、また、ここで」

「うん、またね、センセー」

そう声をかけて、中庭を後にする。
また会えてよかった。あの人と一緒にいると、ざわざわと波立っていた心が落ち着く。
バニラの優しい香りが心地よくて、ずっと一緒にいたいって思った。

「また会いたいな」

金内先生の診察室へ向かいながら、小さく呟いた。
中庭へ見て手を振ると、少しだけ悲しそうなそれでいて驚いているような、不思議な表情。
手を振り返してくれたあの人は、悲しそうに笑って同じように手を振り返してくれた。
病院に来るときは、金内先生と話しているときは楽しかったけれど、他の時間は退屈で、胸がざわざわとしてしまう。
それでもあの人に会えるかもしれない、そう思うと悪くないと思う。
金内先生に、あの人と会ったことを話したい。
そう思うと足早に診察室へ向かった。

「金内先生」

「おかえり。何か食べてこれた?」

「んー、今日はあんまり」

診察室の椅子に座って先生と話す。
先生は優しくて、話していても楽しい。

「今日も点滴する?」

「そうだね、今日も」

悲しそうに微笑んだ先生に頷いて、ベッドに横になった。
ちょっと待っててね、と席を外して点滴を準備しに行く先生の背中を見送る。
最近は、病院で過ごす以外、家にこもっている。
学校もいつのまにかやめていたし、いつのまにか実家に帰っていた。
何もない実家の部屋で意味もなくぼんやり過ごす。
何のために生きているのかなんて、とっくにわからなくなっていた。
それでも、生きなきゃいけない。
そう思った。
なぜそう思ったのかはわからない。

「お待たせ。また眠くなったら眠っていいからね」

「うん」

「チクっとするよ」

「はーい」

二の腕をぎゅっと締め付けられて、やがて来る痛みに備える。
ツキンと痛み、点滴が始まった。
その間は、先生は一緒にいてくれる。

「今日さ、また泣いてた人にあったんだ」

「今日も泣いていたの?」

「ううん、今日は泣いてなかった。紅葉の話して、ほんのちょっとだけど一緒にいた」

「そっか、よかったね。他にも何か話したのかい?」

「んー、名前教えてって言っても教えてくれなかった。意地悪だと思う」

「ふふ、そっか。千陽くんが楽しそうでよかったよ」

「そ? でも、もう一度会えてよかった…。頭痛、また少し良くなって、落ち着くから…」

話している途中で、眠たくなってきた。
先生に小さく謝ると、ゆっくり休んでね、と声をかけられる。
こくりと頷いて、目を瞑った。


「千陽」

誰かに名前を呼ばれる。
懐かしくて、とても大好きな声。
名前を呼ばれるたびに、胸が締め付けられる。
大切なこと、大切なもの、大切な…人。
忘れてることは何のことなのだろう。

「千陽」

温かい。
優しくて、温かくて。
甘い、香り。
愛おしい、って包まれているような、声。

「千陽、愛してる」

俺のことを優しく包んでくれて、名前を呼んでくれるのは誰?



「駿くん、診察室に入ったら。千陽くん今眠っているから」

「…いや、いい」

「君がすぐそばにいれば、彼は安心して休めるから」

背中を押されて、診察室に入る。
静かに寝息を立てている千陽のそばの椅子に腰をかけた。
スヤスヤと眠る千陽の眉間には皺が寄っている。

「…千陽」

小さな声で名前を呼ぶ。
いろんな思いがこもった声は、愛おしさが溢れて甘かった。
そんな自分の声に、苦笑する。
千陽や柔らかな髪を撫でて、眉間の皺を伸ばすように触れた。

「千陽」

それ以上は何も言えない。
名前を呼ぶのが精一杯。
昼間にあった千陽に「センセー」と呼ばれた時、また泣き出してしまいそうだった。
今のこの子は俺をセンセーと呼ばない。
そうわかっている。
わかっているけれど彼の記憶の欠片に俺がいて、無意識の中でも俺を呼んだこの子をどうしようもなく愛おしいと思う。

「千陽、愛してる…。俺の番」

絞るように漏れた声が、千陽に少しでも届けばいい。
届いて、この子を愛している人間がいることを、自分に価値があることを知ってくれればいい。

「駿くん、そろそろ」

「…ああ」

千陽の頬をそっと両手で包む。
親指で頬を撫でる。

愛してる。

何度も心の中で呟いた。
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