バニラの香り
午前の診察を終え、午後までゆっくりしてきてと言われ食堂へ来た。
最近食欲がなくて一日に一食食べるか食べないかで生活していたが、今日は少しだけ食欲が湧いた。
食堂に行く前に、少しだけ中庭でぼんやり過ごしていた。
その時に会った名前も知らない男の人と過ごした少しの時間が良かったのか、頭痛が治まっている。
食堂で小さいうどんを頼んで、席に座り中庭を眺める。
あの人はどんな人なんだろう。
懐かしいような甘いバニラの香り。
好きな香りだなって思った。

「お待たせしました」

運ばれて来たうどんは、美味しそうに見える。いただきますと呟いて、口に運んだ。うん、食べれそうだ。

「あの人、なんて名前の人なんだろう」

思わず小さく呟く、もう一度、会いたい。
そう思った人は初めてだ。
それなのに、初めてじゃないと感じるのはなぜだろう。

「千陽」

不意に名前を呼ばれ、振り返る。制服を着た嶺緒がそこにいた。

「お前学校は」

「早退、した。千陽、心配」

「…別に平気だよ。病気でもねーし」

「でも、心配だよ」

そう言って隣に座って着た嶺緒に舌打ちをうつ。
うどんはもう半分くらい食べた。
お腹はだいぶお腹いっぱいになっている。
嶺緒の方へ寄せて、もういらね、と呟いた。

「…千陽、食べれたの」

「少しだけ」

「少しでも食べれたなら良かった」

「あっそ」

嶺緒が残りのうどんを食べるのを眺めながら、また中庭を眺めた。


「千陽くん、最近どうかな」

「んー、変わんない。寝付きは最悪、寝れたとしてもすぐ起きるし、それに飯がうまくないから食欲もわかない」

「そっか。体重少し落ちていたし、脱水傾向にあるからね。今日も点滴をしないと」

「うげー」

「点滴しながらゆっくり話そうか」

「ん、」

診察室に戻ると、金内先生がコーヒーを飲んでいた。
千陽の隣には嶺緒が腰をかける。
金内先生に促され横になる。
嶺緒がタオルケットをかけてくれた。
先生が点滴の準備をして戻ってくる。
点滴を始めてから、先生は笑いながら頭を撫でてくれた。

「よし、またゆっくり話しながら過ごそうかな」

「んー」

「食堂で何を食べてきたのかな」

「うどん。美味しかった」

「そうか、それは良かった。ここのうどんは美味しいからねえ。あ、中庭の紅葉は見たかな?」

「見た。中庭にも出て見た。すごいね、綺麗だった」

そうやって話していると、金内先生は優しく微笑んだ。淡いピンク色の瞳が綺麗だなと思う。

「中庭でぼーっとしてたらさ、泣いてる人が来たんだ」

「泣いてる人?」

「なんか泣いてた。でもバニラの香りがして、居心地のいい人だった。ちょっとしか一緒にいなかったんだけど、懐かしい感じがしたんだよね」

「そうなんだ」

瞬きを何回か繰り返すと眠気が襲ってくる。
金内先生は少しだけ驚いたような表情をしていた。

「…あの人に会った後、頭痛が治ったんだ。だから、うどんも食べれた。また会えたらいいな、って約束じゃないけれど、そう話した」

小さく呟いて、目を瞑る。
先生がゆっくり休んでと囁く声が聞こえた。
眠りにつく前に音楽が聞こえてくる。
何の歌だろう。
でも知ってる歌。


「千陽くん、起きて」

目を開くと先生が微笑んでいた。
点滴が終わったようで、先生が後始末をしている。
二時間近く眠っていたようで、嶺緒が帰る支度をしていた。

「…寝てた?」

「寝ていたよ。少し顔色が良くなっている」

「そっか。ちょっとスッキリした気がする」

「それは良かった。千陽くん、何か会ったらいつでもここに来るんだよ」

大きな先生の手のひらが頭を撫でてくれた。
その感覚はどこか違うような気がするけれど、心地よい。

「先生、ありがとう」

「うん、またね、千陽くん。いつもの鎮痛剤出しておくね」

「ん、また来週、お願いします」

頭を下げてから嶺緒と一緒に診察室でた。
これからまた、あの窮屈な家に帰らないといけない。


「駿くん、いいよ」

「…すまない」

カーテンで仕切った先で、千陽の話を聞いていた。
診察室に入り、椅子に座る。
千陽の言葉が嬉しかった。

「駿くん、泣いてたんだ?」

「…うるさい」

「千陽くん、君のこと本能でわかっているみたいだね。思い出すのもすぐかもしれない」

「…そうならいいと思う」

小さくそう呟いて、千陽の横たわっていたベッドに触れた。
まだ温もりとバニラの香りが残っている。
あの子との未来を諦めたくない。
心がそう叫んでいた。
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