あなただけ
「千陽、今度どこに行きたい?」

海を見て旅館を後にして、帰りの車でセンセーに尋ねられた。
運転しながら問いかけて来たセンセーの口元には、キャスターが小さな光を灯している。
隣でセンセーの様子を眺めていれば、小さく笑い頭を撫でてくれた。

「センセーと一緒ならどこでも。…どっか行くのも楽しそうだけど、早く噛んでね」

そう言って笑う俺に、センセーは呆れたように笑った。
その表情が好きで、俺はまたセンセーを好きになる。
この時間が永遠に続けばいいのにって思った。

「お前は、本当にそればかりだな」

信号で止まった車の中、センセーとキスをする。
軽く触れ合った唇が熱かった。

「次は、遠くへ買い物にでも行くか」

「いいね、俺靴欲しい」

「そうか、欲しいの考えておけよ」

「えー、センセーが俺に似合うの見つけてよ。あ、青」

車が動き出して、帰り道を進んで行く。
帰りたくない。
そう思う心を抑えて、窓の外を眺めた。


「…結局、行けなかった。次の約束」

目を覚まして、見上げた天井。
この天井を眺めて、一ヶ月経つ。
慣れないその色に、もう一度目を瞑った。
この先何度、センセーと過ごした日々を思い出すのだろうか。

「千陽、おはよう」

「…まだいたのかよ」

「気分転換、買い物行く?」

「行かねえ。外に出たらまた引っ掻かれる」

そう言ってタオルケットに包まる。
この家に来てからずっと頭痛が治らない。
時折吐き気もこみ上げて来て何度か吐いている。
ヒート前なのか、その症状はひどくなって来ていて、そばにいる嶺緒の香りだけでも気持ち悪くなった。

「…千陽、大丈夫? 具合、だいぶ悪そう」

「…まあ、」

身体の奥が熱を持ち始める。
じわじわとその熱は強くなり始めるが、嶺緒は反応しない。
番になってから、Ωのフェロモンは番のαにしか効かない。
小さく丸くなって荒い息を吐いていると、嶺緒がそのことに気づいた。

「もしかして、ヒート?」

「…かも」

「…千陽、」

「…んだよ」

タオルケットから顔を出せば、嶺緒が不安そうな表情をしていた。
センセーと番になった俺のフェロモンは、αしかいないこの家の中では誰にも通用しない。
このフェロモンが効くのはセンセーだけだと思うと、少しだけ嬉しかった。

「千陽、千陽のαはどこにいるの」

「…そ、れを、知って、どうすんだよ…。ン、もういいんだよ、どうせ、こうなるってわかってた」

ノックの音がして、嶺緒が表情を暗くした。
この音を立てるのは両親のどちらかである。
ああ、とうとうこの時が来るのか。
そう思うと、頭痛が強くなった。

「千陽、千陽…、千陽のαは、」

「…、嶺緒」

「千陽がこんなに辛いのは、俺の望んだことじゃない…」

「…もう、いいから」

ドアが開き、両親が入って来る。
嶺緒が頭を下げて、俺のそばから離れた。
母親が笑顔を浮かべているのが見えて、気持ち悪くなる。
ヒートの熱と、気持ち悪さで意識が飛びそうだった。

「ヒートが来ているみたいね。嶺緒、千陽の荷物をまとめなさい。千陽立ちなさい。行くわよ」

「嶺緒、悪いね。私と春子は先に行ってるから。お前も荷物をまとめておきなさい。千陽のそばにいたいんだろう」

震える足で立ち上がり、母親の後ろを歩く。
ゆったりとしたものを着ていてよかった。
浅ましく勃ち上がったものを見られなくて済む。
もうセンセーしか求めていない身体を引きずって、知らない男の待つ場所へ向かっていた。
そのことを頭が受け入れられない。

「センセー、ごめん、な」

小さく漏れた声は誰にも届かなかった。
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