幸せの印
「…つかれた…」

柔らかいベッドに沈み込んで、小さく呟く。
その疲れにウトウトとしていると、ベッドヘッドに背中を預けて水を飲むセンセーが笑った。
ポンポンと頭を撫でられる。
大きな手のひらを心地よく受け入れた。
長かった熱い時間が少しだけ恋しい。

「…立てなさそう」

「だろうな」

「まだセンセーの、中に入ってるみたいだし…、足が閉じにくい」

閉じにくい足をゆっくり閉じて、横向きになる。
センセーを見上げて、小さく笑う。
ペットボトルをベッド脇の小さなテーブルに置いたセンセーは、隣に寝転がってきた。
それから大きな手が伸びてきて、うなじをくすぐる。

「千陽」

「んん…?」

名前を呼ばれて、センセーを見上げた。
優しくキスをくれて、ぎゅっと抱きしめられる。
センセーの腕は温かくて、冷房で少し冷え始めている身体に心地よい。

「疲れたな」

「ん、そだね」

「千陽」

「んー?」

抱きしめてくれたセンセーは、そのまま俺を抱きしめて寝息を立てる。
そんなセンセーに思わず笑い、キスをした。
温かい体温に包まれたまま、幸せを感じる。
センセーの綺麗なアッシュグレーの髪を指先で撫でた。
スルスルとすり抜けて行く髪に胸が締め付けられる。
すぐに皺を作る眉間。
すっと通った鼻筋。
薄い唇。
男らしい喉仏。
指先で撫でて行けば、センセーが寝息をこぼす。
嬉しくて、苦しいくらい…。

「好き」

小さく漏れた声。
ぎゅっと締め付けられる胸が、嬉しかった。
この幸せがいつまで続くのだろう。
疲れと、心地よさに意識がぼんやりとしてくる。
何も考えられない頭の中に、少しだけ不安が浮かんだ。
それでも苦しいくらい、愛おしくて、嬉しくて、たまらない。
うなじにある幸せの印を撫でた。

「駿さん、ありがと…」

目を瞑って深呼吸すれば、すぐに深い暗闇に意識が落ちていった。

電話の音で目を覚ました。
センセーはまだ眠っている。
腕の中から抜け出して、シワの寄った眉間にキスをした。
それから電話を手にリビングへ向かう。
足腰がガクガクしているけれど、センセーを起こしたくない。

「もしもし」

“千陽?”

「…はい、母さん」

電話先の声に身体が冷えて行くのを感じた。
さっきまでセンセーに抱きしめてもらい、温かくなっていた身体はこんなに簡単に冷えてしまう。
冷たい母の声に、指先が震えた。

“千陽、嶺緒君から聞いたわよ。ヒートがきたんですって? 私、ヒートが来たらすぐに教えなさいって言わなかったかしら”

「…、はい」

“あなたは家の為に名家のご子息様の子どもを産んでもらうのだから、ヒートが来たらすぐに教えるように言っていたでしょう。どうしてかしら。私や李人さんを困らせたいの?”

「そんな、ことは、」

“…いいわ。すぐに帰って来なさい”

「…ッ、で、も、お、俺、あの、」

“すぐによ”

すぐに切れた電話に、膝が折れた。
ポタリと頬を涙が伝う。
このあたたかい時間も、もう終わりが近づいていた。
センセーの腕の温もりは残っていない。
止まらない涙を何度も拭いながら、寝室に戻った。
センセーの寝顔を眺めると、笑みがこぼれる。

「駿さん、ありがと…、大好きだよ、俺の番」

そっとセンセーの眉間にキスをした。
ぼたぼたとこぼれる涙をもう一度拭いて、センセーの寝室に置いた自分の荷物を静かに取り出した。
何も、残さない。
センセー、ごめん。
ごめんなさい。
大好き。
ありがとう、大好き。
何度も心の中で呟いて、震える足でセンセーの部屋を後にした。
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