頭痛
何度かセンセーの家に行ったり、うちに来てもらったりしながら夏休みを過ごした。
始業式を終えてから、放課後になりセンセーの元へ向かう。
ぼんやりと残暑が厳しい窓の外を眺めた。
心配していた両親からの連絡はまだ来ていない。
次のヒートまであと一週間をきり、身体のだるさを感じ始めた。
化学科資料室のドアをノックすると、すぐにドアが開く。
センセーの表情が一瞬崩れて優しく微笑んだ。
「どうした」
「んー…、ヒート、きそう。だるい」
「予定日まであと一週間か。明日、休みだから金内のところに行くぞ」
「ん。ちょっと休んでっていい? 頭痛い」
「ああ、今日泊まってくか」
こくりと頷いてから、ソファーに腰を下ろした。
横になれば、タオルケットをかけてくれる。
「仕事終わるまで、寝てろ」
頭を撫でられると、少し落ち着く。
目を瞑ると、そのまま眠りに落ちた。
目を覚ませば、あたりは暗くなっていた。
腕時計を見れば、時計が19時を指している。
ディスクの方を向けば、センセーが書類と向き合っていた。
「せんせ、もうくらいよ」
身体を起こし目をこすりながら、そういえば顔を上げてくれた。
少し疲れたように眉間を指先で揉むセンセーを見ながら、立ち上がる。
そばに寄って、隣に座った。
「…悪い、お前があんまりにも静かに寝てるから、時間のことを忘れてた」
「いいよ、ゆっくり寝てたら頭痛いの良くなった」
「それならよかったが…、帰るか」
「仕事、終わった?」
「あぁ、終わってる。自分の研究進めてた。今支度するから待ってな」
こくりと頷いて、あくびをする。
センセーはカバンにパソコンを片付けた。
それから、書類と資料を棚に片付ける。
終わったのを見てから、立ち上がってカバンを担いだ。
「千陽、夕飯食えそうか」
「あんまり食えなさそう」
「そうめんにするか」
「そうめんばっか」
「簡単だからな」
化学科準備室をでて、鍵を預かる。
玄関で靴を履き替えると、人気を感じた。
振り返ると、いつぞやを思い出す光景が目の前に広がる。
「鹿瀬」
「…ッチ」
「鹿瀬、甘い、香りがする…」
「キモい」
そう吐き捨てながら靴を履き替えて、後にする。
急ぎ足で進むが、腕を掴まれて後ろに引っ張られた。
振り返ると、息を荒くした辰城がいた。
「…ッ、んだよ、離せッ」
拳を握りしめて、殴りつける。
すぐに腕を掴まれて、下駄箱に背中を押し付けられた。
「いたッ…」
「鹿瀬、俺、ずっと鹿瀬のこと、可愛いって、」
目の前のαの香りを感じ、身体が震えた。
力では敵わない。
α特有の威圧感に圧倒されて力が抜けた。
「やめろ、やめろ、お前なんかに…ッ、触られたくない…」
「鹿瀬、俺の番に、」
「…ッ」
背筋が震え上がる。
恐怖と嫌悪感に、吐き気がこみ上げてきた。
それなのに、身体が熱くなる。
発情期を無理やり誘発されるような感覚にめまいがした。
息を荒げながら、唇を噛み締める。
腕を振り払ってから、首を隠した。
センセー、センセー、センセー。助けて。
「何をしている。離れなさい」
聞きなれた低い声。
辰城よりもずっと強い威圧感を感じて、力が抜けた。
掴まれていた腕の力が抜けて、振り払う。
すぐにもつれる足で離れて、センセーの腕の中に逃げた。
辰城は座り込んでセンセーを見上げている。
「千陽、大丈夫か」
「…ん、ん、」
センセーは俺の頬を両手で挟み、見つめる。
ボロボロとこぼれていた涙を温かい指先がぬぐい、抱きしめてくれた。
バニラの香りに包まれて、少しだけ落ち着いた。
落ち着いてから、誘発されかけているヒートを抑えようとカバンに手を伸ばす。
金内先生に処方してもらった薬を取り出して、飲み込んだ。
その様子を見守っていたセンセーが、座り込んだ辰城を睨む。
「…お前、何をしたのかわかっているのか。Ωの生徒への威圧は停学、場合によっては退学処分だぞ」
「…、すみません、」
「生徒指導の先生に報告するからな」
「せんせ、いいよ。お前、…俺に二度と話しかけるな。関わるな、視界に入るな」
「鹿瀬、」
手を伸ばしてきた辰城に、ぞっと血の気が引く。
センセーが俺を背中に隠してくれた。
しゃがみこみ、センセーは辰城に何か話す。
その後、辰城はガクンとうなだれた。
センセーに背中を押されて、その場を後にする。
まだ身体は小さく震えていて、うまく歩けない。
薬の副作用か、また頭痛が始まった。
職員用の玄関へ行き、センセーが靴を履き替える。
頭痛がひどくなってきて、下駄箱に寄りかかった。
「副作用か」
「ん、頭痛いし、気持ち悪い…」
そばに来たセンセーに抱き上げられた。
バニラの香りを吸い込んで、息をつく。
センセーにぎゅっとしがみつくと、そのまま車へ向かってくれた。
「…ちょっと、楽…」
小さな声しか出ないけれど、そう伝えればセンセーがポンポンと背中を撫でる。
そのリズムが心地いい。
車にたどり着いて、下ろしてもらう。
乗り込んでから、背もたれに身体を預けた。
センセーもすぐに車に乗り込む。
「…センセ、あいつに最後に何言ったの…」
「そんなことどうでもいい。今は休んでいろ」
「ん…」
背もたれを倒して、目元を腕で覆う。
頭痛と吐き気は少しずつ収まっているが、まだ辛い。
車に揺られているうちに、目を瞑る。
気づいたら、センセーのマンションについていた。
車から降りて、ゆっくり部屋へ向かう。
「千陽、大丈夫か」
「なんとか、吐き気は治まった…」
「このままヒートが早まりそうだな」
部屋に入ると、一気に疲れが押し寄せて来た。
すぐにリビングに入り、センセーがエアコンをつけるのを眺める。
ソファーに座ると、センセーも隣に腰を下ろした。
冷や汗をかいて濡れた髪を指先で払ってくれる。
それから、頭を撫でてくれて胸が締め付けられた。
ぎゅっとセンセーに抱きついて、首筋に顔を埋める。
「…千陽」
センセーも同じようにぎゅっと抱きしめてくれた。
その腕の力強さが心地よくて、目を瞑る。
センセーはソファーに寝転がって、俺もそのまま寝転がる。
落ち着いた心音に耳を当てた。
「風呂は明日入ろう。…今はこのまま寝れそうなら眠れ」
「ん…、センセー、ヒートの時、ずっと一緒にいてくれる?」
「当たり前だろ。理事長にお前のこと話して休みをもらった」
センセーがゆっくりとした口調で話す。
背中を優しいリズムで叩かれて、ウトウトし始めた。
「話したの…?」
「あの人は理解ある人だからな」
「知ってる…、バース検査の後、面接したから…」
「そうなのか」
こくりと頷くと、センセーがつむじにキスをくれた。
最後に甘くて低い声が名前を呼んだ。
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