私の名前
重たい瞼を開くと、男はすでに目を覚ましていた。
ゆっくりと体を起すと、すぐに男に抱き上げられる。
男は真昼を抱え、テラスのほうへ向かった。
黒いカーテンを開き、窓ガラスを開く。
テラスに下りてから、男がそっと見えない扉に触れた。
しだいに金色の彫刻が施された扉が真昼にも見えるようになる。
「…この前は、入れなかったんです」
小さな真昼の声に、男はああ、と答えた。
ゆっくりと扉を開いて、男は足を進める。
真昼の目の前に、本物の黒薔薇の庭が広がった。
黒薔薇の香りも、少し冷たい風も感じる。
白い塔が見えて、真昼は息を飲んだ。
男は白い塔の傍まで行く。
白い部屋からは出窓になっているところに真昼を座らせた。
「…ここは、いつでも暗いだろう?」
男の言葉に、真昼は男を見た。
それから頷いて、空を見上げた。
濃いグレーはだんだん黒に近づいていき、闇に変わる。
一度窓から夜に変わる瞬間を眺めていた時のことを思い浮かべた。
真昼の隣に男はゆっくりと腰を下ろした。
「私はとても好奇心の多い方でな。本で知った真昼というものがどのような物か、ずっと知りたかったのだ」
空につい、と伸ばされた手。
何かを掴むように大きく広げられた手のひらを見る。
元の世界で、見た、頭の上に昇る太陽。
真昼は、真昼の太陽が好きだったことを思い出す。
「昼間は、外に出られないのですか?」
「魔族の体は日の光を受けることができないんだ」
男はそう囁くと指先で四角を象る。
煙が浮かび、小さな羽の生えた生き物を映し出した。
白黒の映像の中で、明るそうな場所へ出た生き物はさらさらと砂になって消える。
男は手を解いて、真昼を見た。
「私は、“真昼”を見つけた。本物に負けることのない。私だけの真昼を」
優しい囁きとともに、真昼の頬に大きな手のひらが触れた。
その手は優しく真昼の頬を撫で、髪を梳いてくれる。
愛おしい、そう伝わるような手つきに、目を細めた。
男は立ち上がり、真昼を抱き上げる。
白い塔の鍵を開き、中に入った。
まるで初めて入るような感覚がして、真昼は息をのむ。
そっと、壊れないようにベッドに下ろされた。
「私だけの真昼…。愛している」
そっと髪をなでられ、優しい口付けを与えられる。
ついばむ様な口付けに体の力を抜いた。
「私の名前を教えよう。…真昼。私の名前を、呼んでおくれ」
耳に髪をかけ、男は真昼の頬に口付ける。
唇は頬を撫で、耳に口付ける。
吐息のような囁きは、真昼の頬に涙を零した。
「…シンヤさん」
真昼の唇から紡がれた名前に、男は満足するように笑った。
prev |
next
back