黒を纏う男
男は仕事もおざなりにし、書簡を読みふける。
気になることがあると、男はいつも仕事を忘れてしまう癖があった。
そのことは男自身も気づいていたが、止めることなどできないくせだ。
ふと我に返ると、机の上にたまった書類に目がむく。
その溜まった書類はどれもすぐに終わるもの。
再度書簡に視線を戻した。
「これは…、興味深い物ばかりだな」
ノックが聞こえ、扉が開いた。
答える前に開かれたのは、相手が状況を分かっているから。
書簡を読みふけっている男が、ノックの音に気付くわけもない。
男はそのことを気にすることもなかった。
入って来た者の気配はわかるため、男は顔すらあげなかった。
「王、楽しんでおられる最中申し訳ないのですが、泉の反応が…」
その言葉に、男は手に持っていた書簡を机に下ろした。
入ってきた側近の表情と、先ほど感じた不快感で何が起きたかは分かっている。
男は、重たそうな黒いカーテンに視線を移した。
「泉の反応に気づくのに遅れたのだな。向こうの神官にしてやられた」
一瞬悔しそうな顔をする。
表情のめったに変わらない男の新たな一面に、側近は目を見開いた。
男の表情はすぐにまた無に戻る。
表情が変わったのが見間違いだったのではないかと思うくらいに一瞬だった。
いつもと違う男の様子に、側近は目をほそめ浮かんでいた疑問を男に投げかける。
「そんなに、神の子…、泉の神子を手に入れたいのですか?」
側近のその言葉に、男は首を横に振り立ち上がった。
それからカーテンに手をかけて、瞬きをする。
どこか陰鬱そうな表情をしているが、光の加減だろう。
「神子になど、私は興味を持たぬ。今までの神子も本物であるだろうし、力も迷信とは言えないモノであると思う」
「ええ、そうですね。国の歴史、いや世界の歴史が物を言ってますから」
側近も知っているように、この国の古い歴史が泉の神子と国の深い絆を語っている。
こちらの国でも、泉の神子と歴史は深いが、近年では全く神子の話や噂は飛び交うことがなかった。
そのため、側近や、泉を見張っている部下たちは疑問を感じていたのだ。
男はカーテンを少しだけ開け、窓の外を眺める。
「私の国は神子の力がなくとも、伴侶と王の力が育んでくれると思っているからな」
「では、なぜ、泉の神子の気配を探らせるのですか」
「…あれは神子である。だが、それ以前に私のものである」
男の声は低く、水面をゆっくりと揺らすようななめらかさがある。
良い声とはいえない。
じわじわと恐怖を煽るような声だ。
これは、静かに怒りを湛えている音色だった。
「…では、どのようにいたしましょう」
「U区の…特殊部隊を使え。姿を闇に紛れさせることのできる彼らなら、都合が良い。徹底的に、隅から隅まで調べ上げろ」
「我が王のままに」
側近が頭を下げて部屋を去る。
その後ろ姿はまだ聞きたいことがあるような背中だった。
男はその後ろ姿に何も答えず、ドアが閉まるのを確認する。
ひとりきりになった男は、握ったカーテンにもう片方の手をかけた。
「我が伴侶…」
重たい黒地に金糸の刺繍が入ったカーテンを開いた。
カーテンの先で、黒薔薇が舞い上がる。
男はそれを眺め当分眺めてから、まぶたを下ろした。
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