怖い
「ルベルム、この子を傍から離すなよ。誰にも渡してはいけない」
「あぁ」
「そうだな。…君、名前は?」
コマクサにそう聞かれて、頭の中から自分の名前を探す。
不意に頭の中に浮かんだ言葉が口からこぼれた。
「リリー」
「リリー?」
「…多分、リリーだと、思う」
「そっか、リリーか」
「うん」
リリーとよばれれば、違和感はなくて少しだけ安心できた。
自分がこの場にいる人間なんだ、そう思えるような気がする。
コマクサはソファーから立ち上がった。
「どこに行くの」
「君の制服とか、身分とかの準備をしにいく」
「そう…」
「不安なのか」
「…多分、そうなんだと思う…」
腕の中のオトメの頭を撫でる。
鼻先が湿っていて、冷たかった。
どこかに行くような姿を見せるコマクサの白衣をつかんだ。
「ルベルムとルキーノと一緒に、待っててくれ。彼らからこの国のことを教えてもらいなさい」
「わかった…」
コマクサに頭を撫でられて、心が少しだけ落ち着く。
優しい低音の声が心地よかった。
白衣をそっと離し、茶色の髪が遠くなって行くのを眺めてオトメをぎゅっと抱きしめる。
「先生に懐いたね、リリー」
「ディセントラは子どもに懐かれやすいからな。ルキーノ、お茶でも入れてくれ」
「そうだね」
どこかに歩いて行ったルキーノを視線で追っていると、隣にダリオが腰をかけた。
チョコレートの香りが強くなって、お腹が鳴る。
ダリオにもその音が聞こえていたのか、小さく笑うのが見えた。
「腹が空いたのか」
「…うん」
「何か食べたいものは? と言っても、お前の食べたいものがこの世界にあるかはわからないが…」
「チョコレートが食べたい」
「チョコレイトか。ちょうどあったはずだ。お前の望むものと同じかは分からないが…。ルキーノ、チョコレイトも一緒に頼む」
「了解」
どこかから声が聞こえてきて、これで少しお腹が満たされると思った。
オトメは腕の中から出て行こうとしない。
なんども白いふわふわの毛を撫でながら、ダリオに視線を向けた。
「リリー、本当に何も覚えていないのか」
「…うん。覚えているのは、白い乙女百合の花と、あと…リリーって名前だけ。あとは、物の名前しか覚えていないと思う…」
「そうか…。不安か?」
「わからない。…でも、怖い」
「怖い?」
「うん。…だって、あなたたちがいい人なのか、悪い人なのかもわからないから」
そう呟いて、オトメの毛をなでれば、ダリオが苦笑した。
ダリオの肩に乗っているドラゴンが、ソファーの背もたれを伝って近づいてくる。
そして腕の中のオトメに鼻先を擦り付けようとした瞬間、オトメはびくりと体を震わせて固まった。
「…そうか、お前の気持ちは、オトメの様子が伝えてくれる。怖いんだな」
「…うん」
「ロジー、おいで」
ロジーがダリオの腕の中に戻るのを見て、ようやくオトメがまた動き出す。
チョコレートの香りが弱くなったような気がした。
「お待たせ、リリー」
戻ってきたルキーノが、綺麗な百合の模様の描かれたカップを目の前においてくれた。
音を立てずに置かれた皿の中にはチョコレートが乗せられている。
食べていいかダリオを見て確認すれば、頷いてくれた。
震える指先でチョコレートを手に取り口に含めば、想像していた味が口の中に広がる。
「おいしい…」
「そうか、よかった」
「リリー、お茶も飲んで。落ち着くと思うよ」
「…うん」
カップの中のお茶を飲めば、温かさが身体を包む。
オトメもホッとしたのか、くつろぐ姿を見せてくれて、ダリオとルキーノが緩く息を吐き出した。
「もう少し落ち着いたら、この学園とこの国の話をしよう」
ダリオの言葉に小さく頷いてから、もう一度チョコレートを食べた。
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