春の海
「本当だ。あったかいな」

「でしょ。でも誰もいないね」

「ああ。手、つなぐ?」

「ん」

そっと手を繋ぐと、手の温かさを感じる。
壱琉の手を引き砂浜に降りて、ゆっくり歩いて波打ち際までいった。
静かに寄せてくる波を見ていると、壱琉がタバコをくわえる。


「一服しても?」

「どうぞ」

ライターをつけ、タバコを吸い始める壱琉を隣で眺める。
タバコを吸っている時の壱琉は、どこか違う人のように見えた。
それでも手の温かさは壱琉のもので、むくそっと壱琉の腕に擦寄る。


「タバコ臭い」

「タバコの臭い好きだろ。タバコの臭いついてないと不安そうな顔してる」

「…そんなことないもん」

「はいはい」

ザブン、ザブンと緩やかな感覚で押し寄せてくる波の音に、むくは水平線を眺めた。
雲ひとつない青空はとても綺麗だ。
穏やかに流れていく時間の心地よさに、むくはつないでない手を前に突き出し伸びをする。


「気持ちいいな」

「うん。来てよかった」

「むく、海好きだもんな」

「うん、だいすき」

「俺も最近だいすきなんて言われてないのになー?」

「海と争われましても」

つないだ手を離して、むくはしゃがむ。
打ち寄せてきた海に手を入れて、冷たいと笑った。
壱琉も同じように腰を下ろし、海に触れる。
むくが言ったように海は冷たい。


「風邪ひくなよ」

「むく、もう赤ちゃんの時みたいに風邪引かないもん、大丈夫ですー」

「どうだか。風邪ひくと当分会えなくなる」

「んー」

カバンの中からタオルを取り出して手を拭く。
それから立ち上がって、壱琉の前に手を差し出すと、すぐにつないでくれた。


「飲みもん飲むか」

「うん。なんだかあったかいココアが飲みたいなー。あるかな」

「どうだろうな。もう春だからなぁ」

「あったら、むくココアにする」

「おう」

つないだ手をそのままに、自販機まで歩く。
人の声が聞こえてきて、ふたりはつないでいた手を離した。
少しだけ、寂しい。
そんな風に思い、むくは空を見上げた。


「あ、ココアなかったな」

「…ん」

「むく?」

「何にもない。紅茶にしよ」

「ああ」

紅茶とコーヒーを買う姿をぼんやり眺める。
なんとなく気分が落ち込んでしまった。
繋がれていない手も。
なかったココアも。
よくわからない自分の気持ちも。
全部がぐちゃぐちゃに鍋の中に入れて混ぜられてるみたいだった。


「帰ったら、ココア入れてやる」

そう言って、大きな手のひらがそっと頬を撫でて離れる。
この年上には全部が見透かされているようだった。
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