ごめんなさい、ごめんなさい。
今日は家族のみんなが帰ってくるのが遅いと聞いていた。
作楽も壱琉の出張について行っているからか連絡が取れない。
しょんぼりとひとりで家へ向かっていると、見覚えのある車が目に入った。
壱琉と一緒にいた女の人の車だ。
「…あ」
走っていく車を眺めてしまった。
壱琉の部屋でずっと前に見た胸の大きい女の人の写真。
不意に思い出してしまって、自分の胸に触れる。
車の人もとても胸が大きかった。
長い黒髪を束ねていて、前に見た写真の女の人みたいだ。
壱琉の家のある方へ走っていく車に余計な詮索をしてしまう。
「あとどれくらいで帰ってくるんだっけ」
小さく呟くと、携帯が鳴った。
電話を見ると、結之の名前が表示されている。
すぐに電話に出ると電話先で結之が笑っていた。
『早かったね』
「うん、ちょうど手に持ってたから」
『そっか。明日の授業なんだったか忘れて、教えてほしいんだけど』
「ん。えっとね、数学と英語と国語、社会かな。あとはHRだったと思う」
『ありがとう、助かったよ』
結之がまたね、というのを聞いて、むくは携帯を切った。
まっすぐに家に帰ろう。
心の中で小さく呟いてむくは、家路に着いた。
家の鍵を開けて部屋の中に入ると、置き手紙が置かれている。
手紙を見ると、今日は汰絽と風太は旅行に行くようで、父も仕事が遅くなって帰れないようだった。
寂しさが募って、ため息がこぼれる。
お風呂に入ってベッドに入ろう。
そう思い、むくはお風呂場へ向かおうと鞄を椅子の上に乗せた。
不意に手紙が風にあおられて床に落ちる。
落ちた手紙の裏側にまだ文が書かれていた。
「…なんだろ」
手紙を拾って、後ろの小さな文字を見る。
その文に思わず口元を押さえた。
壱琉さん、今日の夕方の便で帰ってくるそうです。
むくの机の上に空港までの電車の切符と、バスのお金置いてあります。
むくの好きなように、思ったままに。
すぐに部屋に向かった。
テーブルに置かれた汰絽がいつもお小遣いを入れてくれる財布を手に取り、家を出る。
「いち…っ」
口から漏れた名前があまりにも恋しくて、涙がこぼれ始める。
自転車に乗って駅へ向かう途中、何度も壱琉の名前を心の中で呼んだ。
早く、早く会いたい。
空港について、急いでゲートに向かう。
乱れた髪を手ぐしで整えてから、暗くなった窓ガラスに映った自分を見た。
表情は優れていない。
不安が一杯ある。
壱琉が、もしかしたら怒っているかもしれない。
そう思うと呼吸が乱れそうになる。
携帯で夕方の便を調べるともうすぐにつくようだ。
腕時計を見たり、壁に背中を預けたり、そわそわするのがやめられない。
「まもなくー…」
到着の案内のアナウンスが聞こえてきて、むくはゲートの方を見る。
スーツケースを持った人々がたくさん降りてきた。
「…っ」
たくさんの人の中から、壱琉の真っ黒な綺麗な髪を探す。
不意に携帯が震えて、むくはすぐに電話に出た。
『…もしもし、むく?』
「…ん、うん」
『やっと出たな』
「うんっ…っ、」
『泣いてるのか』
「泣いてないっ、ん」
壱琉が小さく笑う声が耳元で聞こえる。
電話先の声が嬉しそうで、涙がこぼれた。
ごめんね、あの人は誰?
むくに嘘ついたの?
聞きたいこと、言いたいことがたくさんあって、言葉にならない。
『今どこにいる?』
早口で聞こえてきた言葉にむくは当たりを見渡した。
ゲートの奥に壱琉が歩いているのが見える。
「ここにいるよ」
そう小さく囁くと、壱琉が足を止めた。
それからむくを探すように当たりを見渡す。
むくを探す壱琉の姿に思わず小さく笑った。
『迎えに来てくれたのか』
また歩き始め、早足で探す姿に、胸が締め付けられた。
むくも歩き始め、壱琉の方へ向かう。
早足で歩きながら、壱琉の名前を呼んだ。
「壱琉っ」
電話を切って、大きな声で呼ぶ。
むくの方を見た壱琉は驚いたように目を見開いた。
駆け寄って、腕を前に出すと壱琉もすぐにむくのを引き抱きしめる。
強い腕の力に、むくはポタリと頬を流れる涙に気づいた。
「ごめんなさい…っ、ごめんなさいっ」
大きな腕の中で、泣きながら壱琉のぬくもりを感じた。
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