ただいま
「むく」
肩を揺すられ、むくはハッと目を覚ました。
いつの間にかマンションについていたようで、むくは運転席の壱琉を見る。
壱琉はむくがきょとんとしている顔を見て笑った。
「あ…、本屋さんは…?」
「行ってきた。買うものは決まってたから」
「なら良い、けど…」
「よく寝てたな」
「気持ちよくて」
「抱っこして連れてこうか」
「ん」
うんと腕を伸ばすと、一瞬壱琉がポカンとした。
その表情にハッとして、むくは気まずそうに伸ばした手を引っ込める。
少し赤く染まった頬に、壱琉は口角が緩んだ。
「本当可愛い」
声にならないくらいの声で壱琉がつぶやいたのが聞こえ、むくはカッと頬が赤くなるのを感じた。
それから壱琉から顔をそらし、車から降りる。
先にマンションのエントランスに入っていくと、すぐに壱琉が追いかけてきた。
「むく」
「ちがう」
「むく、あのな」
「違う、そんなんじゃないっ、べ、別に抱っこして連れてって欲しいとか、思ってないっ、もう赤ちゃんじゃないしっ」
興奮したように話すむくの手を取り、指を絡める。
指が絡み合って瞬間、びくりと体を揺らし、むくは話すのをやめた。
静かになったむくの手を引き、エレベーターに乗る。
15階を押して、部屋の階に着いた。
ふたりは何も話さずに部屋に入る。
「…壱琉、手、やだ」
「やだっていう顔かよ、むく」
「だって、も、赤ちゃんじゃないのに、壱琉、むくのこと、そ、うやって」
グズグズと泣き出したむくは壱琉の手の甲に爪を立てた。
甘い痛みに壱琉は小さく笑い、むくをそっと抱き上げる。
抱き上げられたむくは壱琉の首に腕を回ししがみついた。
「いちのばか」
「うん」
「ばか、あほ」
「ごめん」
「つかれた」
「そうだな、風呂入って、ゆっくりして、ココアな」
頷いたむくは壱琉にすり寄った。
大きな手が優しく何度も背中を撫でる。
その手のぬくもりが心地よい。
抱きかかえられたまま風呂場に向かう。
服を脱いでから、ふたりで浴室に入る。
壱琉がむくの髪を洗っていると、むくがため息をついた。
そのため息を聞き、壱琉が笑う。
「かゆいところあるか」
「ない…」
「じゃあゆすぐ」
髪を流して、体を洗ってふたりは湯船に浸かる。
伸ばした壱琉の足の間に座ったむくはまっすぐに壱琉を見つめた。
仕事の時や公的な時にはあげている前髪が降りて、時折顔にかかる。
濡れた黒髪が大人の男に見えて、むくは膝を抱えた。
「おふろあがったら、ココア入れてね」
「あぁ。甘いやつね」
こくりと頷いて、むくは壱琉に手を伸ばした。
それから濡れた髪を払い頬に触れる。
むくとは違って硬いその頬を撫でて小さく笑った。
「むく、壱琉の入れるココア大好きだよ」
思ったよりも甘ったるい声でつぶやいてしまい少し恥ずかしくなる。
照れ隠しするように上がるね、と早口で言ってから先に湯船から出た。
体を拭いて、部屋着を着ていると、風呂場から笑い声が聞こえる。
その笑い声が嬉しそうで、むくも笑った。
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