優しい右手
祖母に引き取られたふたりは、すくすくと育っている。
むくの苗字は市川から六十里に戸籍上、変わった。
日に日に目に見えるむくの成長に、汰絽は姉の面影が見え、胸が温かくなるのを感じる。
いつの間にか、姉と義兄に似ていくむくの世話をすることが、汰絽の生きがいになっていた。

汰絽とむくの祖母は自らの死期を悟っていた。
具合が悪くなる回数も増え、咳も重くつらそうなものに変わっている。
その変化に気がついた汰絽は、不安になり、いつも枕をぬらす。
祖母がいつからか、一生懸命掃除の仕方や洗濯の仕方を汰絽に教え込むようになった。
ノートに書き込まれていく、生活の仕方。
料理のレシピ。
棚にこっそり隠されていたけれど、汰絽はそのことを知っていた。
汰絽とむくの両親が残した財産のことも。
祖母が必死に、汰絽に生きる術を教え込もうとしていることも。
全部全部、汰絽はわかっていた。


「…むくちゃん」

「ばあば、むうね、たあちゃんんとポカポカねんねなの」

「そう、汰絽ちゃんもお昼寝したのね」

祖母とむくが楽しそうに話すのを、汰絽はいつも眺めていた。
不安そうに笑うことしかできない自分よりも、むくと笑っていたほうがいい。
いつからか、そんな風に思うようになっていた。
病院に行くのをかたくなに拒む祖母は、いつの間にか汰絽よりも小さくなったような気がしている。
不安な表情をしてはいけない。
わかっているけど、怖くて仕方がなかった。


「汰絽ちゃん。おばあちゃんねぇ、もう少しでお別れなの、知ってるのよ」

内緒話をするように囁く祖母に、汰絽はぎゅっと歯を食いしばる。
病院行けば、治るよ。
小さく押し殺すように呟いた言葉に、祖母は首を横に振る。


「もう、十分。十分よ。最後に大好きな孫とひ孫に囲まれて、幸せだったわ」

「悲しいこと言わないで…! おばあちゃんがいないと、嫌だよ…っ」

「大丈夫よ。おばあちゃんがいなくても、汰絽ちゃんは大丈夫」

涙で、祖母の顔がぼやけた。
しわしわの優しい右手が、汰絽の蜂蜜色の髪を優しく撫でる。
それから、ぼんやりとした視界の中で、目をつぶってにっこりと笑った。


「汰絽ちゃんが高校決まって、むくちゃんの幼稚園も決まって。安心できたわ」

「幼稚園…」

「そうよ、幼稚園。汰絽ちゃんの学校の近く。だから、大丈夫よ、毎日お迎え行けるわ」

「…そうだけど…でもっ…!」

「大丈夫よ、汰絽ちゃん。ね、春休みなんだからむくちゃんといっぱい遊んで、ね。おばあちゃんから、お願いよ」

祖母の優しい右手に、汰絽は我慢していた涙をぼろぼろと零した。
祖母は汰絽の髪を撫でて、もう寝るね、と立ちあがった。
汰絽の涙は気付かないふりをしてくる。
小さくなった祖母の背中。
温かい背中を見つめ、汰絽は嗚咽を漏らした。
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