自由って
昔この家に住んでいた頃、父と母は顔を見合わせることがなかった。
父は風太には笑いかけて愛してくれたけれど、母が風太に笑いかけたことも愛をくれたことも一度もなかった。
だから昔から、母親が嫌いだった。

リビングの扉を開けば、豪華な高いソファーに腰を下ろし、東条と母親が向き合っていた。
テーブルの上に置かれた書類は離婚届と、この家から出ていかなければいけない旨の書かれた書類。
風太はその紙きれを一瞥してから、東条に挨拶をした。


「お前が何でいるかしんねーけど、こいつ連れてきてくれて助かった。ありがとな」

そう伝えてからポンと肩に手を当ててから、その場を入れ替わる。
東条と汰絽は顔を見合わせてホッとした。
汰絽の顔色が家にいた時よりもうんと良くなっている。
風太が礼を言うのと一緒に、汰絽も頭を下げた。


「俺は親父に似てよかったよ。…あんたに似てるところがひとつもなくて」

「何が言いたいの、風太」

「親父に婚約を迫ったのはあんたなのに、あんたが裏切るなんて滑稽だななんて思って」

「風太、あのね」

「圭十と親父さんをおばさんから奪っといてまだあんたは俺の母親になりたいのか」

「風太っ、私はっ」

そう言って口元を押さえた母親は目元に涙を浮かべた。
その様子を見ながら思わず舌打ちが漏れる。
テーブルに置かれた紙を見て、それを差し出した。


「親父は一応俺のことを考えて、あんたにこの紙を渡さなかった。けどけじめがついたみたいだ。あんたを捨てて、新しい家族と生活することにした」

「今更、私のことを捨てるの。ずっと私を見てくれなかったのに、風十さんが私のこと見てくれないから、あの人に縋るしかないじゃない。どうして、私のあなたまで、そんなことを言うの」

「俺はあんたのものじゃない。俺がついてきたのだって、あんたとのけじめをつけるためだ。俺はもう、あんたに縛られない」

「風十さんと、会えないなら、こんな紙、出せないわよ」

「親父の居場所は教えない。弁護士とそう話しただろ」

風太はそう言って苛立ったように机を叩いた。
机の上に飾られた花瓶が倒れ、カーペットの上に水たまりを作る。
その水たまりを眺めながら、汰絽は風太の肩に触れた。
その肩が少しだけ震えているような気がする。


「…、わかったわ。あなたの新しい家族は、後ろの子かしら」

「あぁ。あんたよりよっぽど俺のことを考えてくれる。親父のことも、家族が何かを知ってる。あんたと違って」

「…私は何を間違ったのかしら。あの人にただ、愛してもらいたかったのに」

そう言って俯いた女に風太は舌打ちをした。
細くしなやかな手がボールペンを握り、離婚届に情報が書き込まれていく。


「圭君」

「はい」

女に呼ばれて近づいてきた圭十は、汰絽と出会った時のような爽やかな笑みを浮かべていない。
静かに近寄ってきた圭十に持たれて女が静かに泣く。


「…お前、早く自由になれよ」

風太の言葉に、圭十が苦笑するのが見えた。
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