ありがとう
「おいしかった。ありがとう」

杏がにかっと笑ったのを見て、汰絽は小さく笑った。
こくりと頷いてから、杏の手をぎゅっと握る。
ご飯を食べたのにまだ冷たい手を温めるようになんどか握ったり離したりした。


「杏先輩、大丈夫」

「…うん。本当にありがとう。汰絽ちゃんが風太の恋人になってくれてよかった。じゃあ帰るね」

そう言って玄関のドアノブを掴んだ杏に、汰絽はもう一度大丈夫、と呟いた。
後ろからむくがバイバイと大きな声でいうのを聞きながら杏はドアを閉めた。

むくを抱き上げて部屋に戻る。
リビングでは風太がソファーに座ってテレビを見ていた。
隣に腰を下ろして、こてん、と風太の肩に頭を預ける。
ほっと息をつきながらむくの髪を撫でた。


「心配か」

「…はい、心配です。あんなに落ち込んだ杏先輩、初めて見たので」

「そうだよな。俺も初めて見たわ。まあ、大丈夫だろう」

こくりと頷いて見せると、風太は汰絽の頭をポンポンと撫でた。
その手のぬくもりに目を瞑る。

好野から連絡が来ないのがとても気がかりだった。
杏は好野に失礼なことをしたと悩んでいたけれど、杏があんなにも悩んでいるなら好野が何かしら思うことがないはずがない。
ならない携帯をポケットの中から取り出して小さくため息をついた。


「たーろ。あいつらのことはあいつらで解決しなきゃだろう。…むくが心配してる」

「…それも、そうですよね。…むくごめんね、たろは大丈夫だよ」

いつも風太にされるみたいにむくの頭を撫でてから微笑む。
むくの髪質が心地よくてもふもふと遊んでいるとむくの小さな寝息が聞こえてきた。
その穏やかな音色に思わず笑ってしまって、知らせようとそちらを向いたら優しい顔をした風太がそこに居た。


「…っ、」

「むく、寝たみたいだな」

よっと身体を軽く起こした風太はむくの顔を覗き込む。
それから肘置きにかけてあるブランケットを取って汰絽の膝に乗っているむくにブランケットをかけた。


「すごいはしゃいでた。水族館、楽しかったみたいだ」

「よかった」

「でもやっぱり汰絽が居ないとやだなぁって言ってたぞ」

「…」

風太の言葉に少しだけ泣いてしまいそうになった。
むくの髪を撫でる手を止めて、きゅっと優しく抱きしめる。
あたたかな子ども体温が心地よい。
ありがとう、と小さく囁いてむくの手をそっと握った。


「汰絽」

不意に名前を呼ばれ、汰絽はそっと風太を見る。
風太の手のひらが伸びてきて頬を撫でられた。
その手の温かさにトクトクと血液が身体の中を流れていく音を感じる。


「ん…」

触れるような、いつくしむようなキスが送られる。
唇が離れてから、軽く抱きしめられるような形になった。


「今度は一緒に行こうな」

風太の優しい声に汰絽は小さく頷いて笑った。

変わっていくもの end
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