知らない人
「帰るか」

風太の一言で、杏もそうだね、と答えた。
お皿とコップをカウンターまで運び、汰絽は斜め掛け鞄を担ぐ。


「途中までは一緒だから、みんなでかえろーね」

と、杏が顔を覗き込んできた。
汰絽はニコニコと笑っている杏に笑みを返しながら頷くと、風太が肩を叩く。
もうじきむくを迎えに行かなければならない。


「井川さんごちそうさまでした」

「おう。また来てな」

「はい」

夏翔と挨拶を交わしてから黒猫を後にする。
黒猫に続く路地裏から大通に出る少し前で風太が立ち止った。
3人で横一列になると狭いくらいの道で、風太の雰囲気が変わったのを感じ汰絽はびくりと動きを止める。


「汰絽、後ろにいて」

「よし君も」

言われた通りに後ろに下がって好野に視線を寄せる。
隣の好野はああ、と少しだけ困った表情をしていた。


「…どうしたの」

「多分、出待ちがいるんだと思う」

「出待ち?」

「ああ。ほら、お前と春野先輩が一緒にいるとき絡まれたことないって言ってたろ。今、多分、春野先輩たちと敵対してる人がいるんだと…」

「あ…」

汰絽が理解したように顔をばっとあげたのをみて、好野はそうだよ、と頷いた。
風太と杏の雰囲気が今までのゆったりとしたものと変わっていて、少しだけドキリとする。
不安そうな様子の汰絽に好野は大丈夫、あの人たち強いからさ、と苦笑いした。
じっと黙って前を見つめるふたりは、後ろのふたりのことなど気にしていないようだ。


「杏」

「ん?」

「お前がやれ」

「…いいけどさー、はるのん最近さぼり気味だから鈍ってんじゃないの」

「あ? …わかったよ。お前も下がれ」

杏の肩を押して汰絽たちの方へ寄せる。
黒猫の方も一応警戒しておいた方がいいかも、と杏は汰絽と好野の後ろまで下がった。
その様子に汰絽が不安になったのか、杏の服をぎゅっと握る。


「あの、風太さん、あの…!」

不安そうに揺れる瞳でじっと見つめられて、杏はにっこりと笑い返した。


「だいじょーぶ。うちの総長、ここら締めるトップだからさ」

汰絽の頭を撫で、だいじょーぶだいじょーぶと軽い声で言う。
杏の言葉だけでは安心できないけれど、風太の後ろ姿を見つめた。
いつもとは違う、とても逞しいように見えて、汰絽はこくりと頷く。
それでも路地裏の涼しさとは違う涼しさを感じずには入れなかった。


「出てくるの待ってたぜ」

「俺は待ってろなんて言ってないけどな」

「うっせ! てめぇに借りがあんだよ!」

ガラの悪い金色に染められた短髪の男が鉄パイプ片手に出てきた。
その後ろには金属バッドを持っている男が3人程いる。
汰絽がひっと悲鳴を上げたのを聞いて、杏が好野に耳打ちをした。


「手をつないであげて」

杏の言葉に頷いて、好野は汰絽の手を取った。
好野の手の冷たさに汰絽ははっとして好野の方を見る。
こちらを見ている好野は、怖かったら目を瞑っていなよ、と微笑んでくれた。
しかし後ろに立っている杏の冷たい声が耳元で聞こえる。


「駄目だよ、見なくちゃ」

その言葉に、好野は杏をにらみ、杏はへらりと笑った。
囁かれた汰絽はまっすぐに風太を見つめる。
汰絽の手が震えているのを知り、好野は杏を再度睨み付けた。

風太は木造の建築物に生えていた錆びたパイプに手を添えて、ぐっとそれを抜き取る。
バキっと大きな音がして、目の前の男たちが息を止めたのを感じた。
こういう時の昂揚感がたまらなく好きだ。
目の前の威勢のいい男たちが、怯えを隠しているのを見るのも好きだ。
風太は鼓動が緩やかになって消えていきそうになるのを感じる。
鉄パイプの先を上に振り上げ、地面に叩きつけた。

その音が心臓をドクンと跳ねさせるような大きな叫びにかわり、汰絽は目を奪われた。
風太はただ静かに叫びながら走ってくる男たちを待ち、近づいてきたところで鉄パイプを振り上げる。
相手の鉄パイプに自分の鉄パイプを力いっぱい振りかざし払ってから、その鉄パイプで相手の腕を強く打った。
柔らかなものに硬い無機物があたり、跳ね返ってくる衝撃がたまらない。
風太は無表情のまま、息も上げることなく静かにひとりひとり相手にしていった。


「…風太、さん?」

隣の汰絽が困惑したような声を出すのを聞いて、好野は汰絽を見た。
目の前で繰り広げられる様子に情報が処理しきれてないのか、汰絽はぼんやりとそれを眺めている。
握られた手の温度がどんどん下がっていくのを感じて、好野は汰絽の頭に触れ下を向くように少し力を込めた。


「杏先輩、」

「ん?」

「なんで、見せたんですか」

「…知ってもらわなくちゃでしょ。あの人、こうせずにはいられないから」

「…それでも、汰絽がこういうのに疎いって…」

「いずれ…、いつかきっと見ることがあるから」

杏はそういうと汰絽の頭を撫でる。
汰絽の頭が震えていて、杏は後ろから汰絽を抱きしめた。
耳元でそっと囁く。


「これでもはるのんと一緒にいれる?」

杏の言葉に、汰絽の身体が震えた。

風太が怖かった。
無表情で鉄パイプを振り上げる様子が、怖かった。
知らない人のように感じたのだ。
自分の知らない風太がいるのが、嫌だった。


「…汰絽、」

汰絽が泣いているのがわかり、好野は汰絽を抱きしめる杏の腕を払った。
それから、好野が汰絽を抱きしめる。
ずっと、こうしてきた。
汰絽が泣いている時は好野が抱きしめる。


「大丈夫だよ、大丈夫」

ぽんぽん、と背中を撫でられて、汰絽はぎゅっと好野の背中に手を回した。
ごめんなさい、と小さく謝る声が聞こえ、好野はもう一度大丈夫、と返事をする。
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