雨の日



雨の日

午前で練習が終わるから、久々に二人で出掛けようかと約束していた日曜の午後。
しかしその約束は、練習終了間際に振りだした雨で敢え無く反故となってしまった。

「たっだいまー!」
と大石の自室に勢いよく入っていく英二に、大石は『ここは俺の家だろう』と思いつつ、内心悪い気はしなかった。
「大石ー、さっき買ったの見して?」
英二曰く『俺専用のクッション』を抱いて寝そべり、早くもくつろぎ始めた英二が、大石へと手を伸ばす。
……今から読もうと思ってたのにな。
しかし、大石はそんなことを口にはせず、先程買ったばかりのテニス雑誌を英二へと渡した。
「サンキュー」
英二は雑誌を受け取ると、待ってましたと言わんばかりの笑顔で、わき目も振らずに次々とページをめくっていく。
その一挙一動全てに英二の気分が表されているようだ。声には出さずとも、英二が嬉しそうに「やったー」と叫ぶ声が聞こえる気がした。
そんな英二の様子が何とも微笑ましくて、大石はこっそり笑みを浮かべた。そんな英二を見るのが好きだった。

英二にはいつだって笑顔でいてほしい。
その、少しわがままで、純真無垢で、ありのままに振舞う姿を壊したくない。そう大石は思っていた。そのためならまだ読んでいない雑誌を譲るなんて朝飯前だ。英二のためというよりも、自分のためかもしれない。
ある友人には、あまり英二を甘やかすな、なんて苦い顔をされるのだけど。

「……さて、と」
手持ち無沙汰となった大石は、腰を下ろして自分の鞄の中を探り、中から白いブックカバーの掛けられた本を取り出した。空いた時間に少しずつ読み進めていた恋愛小説だ。物語はちょうど佳境に入った辺りだったため、今この時間に全て読んでしまおうと大石は考えた。
本を開き、挟んであったしおりを取り出す。
そうそう、ここからだったな。
大石はその続きから読み始めると、英二と同じように、すぐにその物語の世界に熱中しだした。部屋の中は二人のページをめくる音と、窓の外から聞こえる雨の音だけに包まれる。

雨の日のデートは、いつもこのような感じだ。
せっかく二人でいるのに別々のことをするのは勿体ないような気もするが、大石はこんな時間が好きだった。
一緒のことをする訳ではないけれど、英二の存在がすぐ傍に感じられる。一緒にいることが特別ではなく、当たり前となった二人の関係が心地良かった。
以前そうを英二に話したら、年寄りみたいだなんて笑われてしまったのだが。
けれど大石は、こんな風に穏やかな時間を、英二とずっと過ごしていけるといい……なんて、真剣に思っていた。



ふと、大石は熱中していた本の世界から、現実へと意識を戻した。
……英二がやけに静かだな。
いつもなら、そろそろ雑誌を読み終わり、構ってくれと言わんばかりに大石の読書を妨害しにくるのだが。
そう不思議に思った大石が英二の方に視線を向けると、英二は雑誌を放って、仰向けに寝転がっていた。どうやら夢の世界へと旅立ってしまったようだ。
近頃は随分と暑くなってきたが、今日は雨のせいか些か肌寒い。風邪をひかれては大変だと、大石は立ち上がり、ベッドに掛けてあるタオルケットを手に取った。
英二の傍まで近寄り、彼を起こさないようにそっと、タオルケットをその身体に掛けてやる。そして、寝顔を覗き込んでみた。
さっきまではくるくる変わっていた表情が、今ではすっかり安らかだ。少し開いた唇から、小さく寝息が聞こえる。無防備とはこんな姿のことを言うんだろうと、大石は思った。
それにしても、英二は起きていても可愛いし、寝ていても可愛いんだな。
大石はそう考えた後、自分のあまりの英二への惚れ込みように気づき、少し可笑しくなった。
その思いを自覚してしまうと、英二への思いがどんどん溢れてきて、どうしようもなくなって、大石は英二の、前髪の向こうにちらりと見えるなだらかな額へと唇を寄せた。




額に訪れたやわらかな感触に、英二は目蓋を持ち上げる。
起きぬけの呆けた顔で目の前にいる大石を見つめると、彼は少し罰の悪そうな顔をした。
「ごめん、起こした」
ああ、キスされたのか。
英二は今のこの状況を理解した。だけど、大石はどうしてこんなことをしたのだろうと不思議に思った。
「……なんで、いきなりおでこにちゅー?」
寝起きのせいか、そう尋ねた声は少し掠れていた。大石はその質問に答えあぐねる。どうしてと言われても、困る。……好きだから、なんて言えない。
「いや、なんとなく。おでこが出てたから」
もう少し上手い言い訳ができなかったものかと大石は後悔したが、英二は特に気にも留めない様子で、
「ふーん」
とだけ呟いた。
そして英二はゆっくりと起き上がり、窓の外を眺める。
「雨全然止まないな」
との呟きに大石は、
「そうだな。明日の朝練大丈夫かな」
と返事をするが、それに英二は「うん」と曖昧に答えるだけで、会話はそこで途切れてしまった。どうやら英二はまだ十分に目が覚めていないようだ。
大石はなんとなく英二の傍を離れがたく思い、英二の隣に腰を下ろした。読みかけの本は先程までいた場所に置いたままだったが、わざわざ取りに行こうとは思わなかった。続きはまた今度読めばいい。
英二が放ったままの雑誌に手を伸ばし、読みたかった特集のページを探し始める。
その大石の様子をぼんやりと見ていた英二が、ふいに口を開いた。
「今、俺汗臭いからあんま近づかないでよ」
練習後ということもあってか、少し気になるのだろう。しかし大石は、その英二の言葉を、
「何を今更」
と軽く笑い飛ばした。
「いつも試合の後でも関係なく抱きついてくるじゃないか」
「そりゃあまあ、そうだけど」
それに、二人で汗をかくようなことだってしているだろう?
そんな言葉も頭をよぎったが、大石は口に出すのは止めた。
「そもそも、別に汗臭いとか気にならないよ」
「本当?」
「うん」
「じゃあいいや」
英二はそう言うと、また視線を窓へと移した。


「おでこが出てたからって言ってたけどさ、お前の方がよっぽど丸出しにしてるじゃん」
暫くすると、英二は頭が冴えてきた。先程の大石の言葉を思い出し、気になったことを指摘する。
しかし、大石は既に雑誌の特集に釘付けになっているようで、
「んー」
と、ないがしろな返事を寄こした。
これは何を言っても駄目だ、と英二はため息をつく。大石は今は自分に構う気がなさそうだ。
あーあ、つまんないの。雑誌は大石に取られちゃったし、大石の部屋は難しそうな本ばっかで俺の読めそうな漫画とかないし、ゲームだってないし。……まあ、雑誌は大石のものなんだけど。

そこで英二は、何となく、耳をすまして雨の音を聞いてみた。
ざーっと絶え間ない音が聞こえる。大石がページをめくる音が聞こえる。アクアリウムのモーター音が聞こえる。自分の呼吸の音が聞こえる。耳の奥で、キーンという音が微かに聞こえる。聞こえてくるのはただそれだけ。隣に大石がいる。ただそれだけ。

なんだかのんびりしてて、いいな、と感じた。
たしか大石も以前同じようなことを言っていた。ただ一緒にいる時間が好きと、そう言っていた。その時は笑い飛ばしてしまったのだが、今ならその気持ちが分かる気がした。たまにはこんな時間もいいかもしれない。そう英二は思った。
そして、暫くその静けさに浸ることにした。

……しかし、気まぐれで気分屋な彼は、すぐに飽きてしまったのだった。


英二は腕を組んで、この退屈さをどうしようか考える。隣に座る大石を盗み見ると、まだ熱心に雑誌を読みこんでいた。英二の好きな顔だった。真剣な表情に、胸がどきりとする。
こういうしたのんびりした時間もいいけどさー、……俺たちまだ若いんだし、もっと刺激的なのもよくない?
そう結論付けた英二は、急に大石の首筋に噛みついた。

理由は、なんとなく。首筋が出てたから。



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