白雪姫にはなれないよ



白雪姫にはなれないよ

帰宅してドアを開けた瞬間、しまったと思った。
廊下の先にある、部屋の電気がついている。
社会人としてきちんと稼ぎはあるものの、一人暮らしをしている身としてはなるべく無駄な出費は避けたい。
テレビはきちんと主電源を切っているし、冷蔵庫だって整理して、電力を抑える努力をしている。自炊なんて当たり前だ。余り物だって何のその、上手く使って調理していると思う。大家族の中で培われた自慢の生活力だ。

だから、ふと足元を見て俺は脱力した。

なんだ、あいつが来ているだけか。
そこには、俺のものではない革靴が綺麗にそろえて並べてあった。

俺はその、『俺のものではない』高そうな革靴を、足で玄関の隅に追いやる。
いつもぴかぴかに磨かれているその革靴からは、持ち主のいかにもマメな性格が感じられた。
……マメな性格、ねえ。
それに関しては、少しばかりあいつに言ってやりたいことがある。
そう、俺は少なからず怒っているんだ。

靴を脱ぎ捨て、ずんずんと勇み足で廊下を進む。
怒っているんだと主張しようと、バンッと音を立てて扉を開けたかったところだが、残念ながら部屋の扉は引き戸だった。
それでも、精一杯力強くガラリと引き戸を開け、開口一番に叫んだ。
「おい!おおい……」
し、とそいつの名前を呼び終える前に、またしても俺は脱力した。
だって、怒りの矛先であるそいつが、ソファの上で昏々と眠りについていたのだから。


何だよ、寝てるなら電気消せよ。これだからお坊ちゃんは……。

荷物を置きながら、心の中で毒づいた。
それから、堅苦しいネクタイを緩めて、静かにそいつの傍へと腰を下ろして顔を見つめる。

……大石。
大石だ。
よく見てみると、目の下に薄らとクマができている。
きっとものすごく疲れているんだろうな。そう思って、俺はこっそりため息をついた。


この二週間ほど、大石とは全く連絡が取れなかった。今まで付き合ってきた中で、ここまで長い期間、電話もメールも、何も無かったのは初めてだ。
一週間経った辺りで、『忙しい?時間あったら電話かメールしてね』なんてメールを送ったけど、その返事すらなかった。きっとその返事も忘れるくらい大変だったんだろう、とは思う。
まさか俺のことが嫌になって避けてるんじゃ……なんてことは思わなかったけどさ。大石はそんな男じゃないし。
それでも、多少なりとも心配してたんだ。なのに、連絡も寄こさずに俺の家のソファで寝てるってどういうことだよ。
俺は、じっと大石の顔を睨んでやった。


……だけど。本当に本心からそう思っているのだけど。
一方で、俺は大石に文句を言ってやろうという気がすっかり失せてしまっていることに気づいた。
会ったら絶対に文句を言おうと思ってたのに、大石が起きても多分何も言えない。

大石の整った顔に似合わない、目の下のクマ。
そんなの見ちゃったら、もうとやかく言えないよ。
疲れ果てた身体で、俺のところに一番に来てくれたのが、悔しいけど嬉しい。
……違うかも。
本当は、ただ顔を見ることができたから。それだけで嬉しいなんてどうかしてるかもしれないけど。
ああ、ほだされている。俺は思った。
惚れた方が負けってよく言うけど、それなら俺の完敗だ。



好きだ。
会いたかった。
顔が見たかった。
声が聞きたかった。

会えて、よかった。



だって、そんな単純なことしか考えられないんだ。
うん。やっぱりほだされている。


つんつん、と大石のほっぺたを指先で突く。
大石のばーか。
心の中で、またこっそり毒づく。
こんなにボロボロになるまで頑張っちゃってさ。俺のことなんかすっかり忘れちゃってさ。
そのくせ会いにくるだけで俺に許してもらえるなんて、なんてラッキーな奴なんだ。
と、そこまで考えて、自分でちょっと笑ってしまった。
まあ、もうどうでもいいや。せっかく会いに来てくれたんだし、全部水に流してやろうじゃんか。……今回だけですけどね。あと、なんか美味いものでいいや。


大石は未だ間抜けな顔をして眠りこけている。
それが悔しいけれど愛しくて、俺は大石の唇にキスを落とした。でもそれでも眠りこけている。


空気読めよ。起きるだろ普通、こういうときは。俺なら多分起きてるよ。そもそも大石ほど忙しくないんだけど。
なんて、またしても心の中で毒づいた。
ああ、こいつにヒロインの素質はないな。俺はそう評す。
そういうことで、俺の手によって(知らないところで勝手に)大石はヒロイン失格の烙印を押されてしまったのだった。

……まあ、あっても困るけど。
俺はそこで大石の女装姿を想像してしまって、必死に笑いをこらえる破目になった。それもこれも大石のせいだ、大石のバカ野郎。

そこで、俺は思いついた。
そうだ、毛布を持ってこよう。ついでに隣の部屋で思いっきり笑ってこよう。
風邪引かれたら困るしね。
そして、今度は起きた時にちゃんと、もう一度キスをしよう。してもらおう。
我ながら名案だな……なんて思いつつ、俺は静かにソファの隣を後にした。



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