ありがとうさようなら



ありがとうさようなら

大石が結婚する。

その話を聞いた時、俺は意外と冷静でいた自分自身に驚いた。
しかし、その時の大石の言葉は妙に印象深く俺の心に張り付いて、俺はこの時の大石の声柄を一生忘れることはないだろうと頭の隅で思った。

お気に入りの喫茶店だった。
珈琲が美味しくて、店の調度品も洗練されていて、静かに流れるジャズピアノが心地良い。俺はよくこの店に通っていて、大石とも何度も一緒に来たが、それら全ての思い出が今の言葉で塗り替えられてしまったような気がする。
「もしかして、デキちゃった?」
もうこの店には来ないかもしれないな、などと考えながら、大石に聞いてみた。
「いや、そうじゃないんだけど。もう付き合って長いし、彼女も早くしたいみたいでさ」
「ふーん、そっか。おめでとう。いつするの?式は?」
「まだ具体的には決まってないんだけど、まあ、来年のうちかなあ?式は、向こうがしたがってるけど」
「そりゃ、女の子だし、したいものなんじゃない?」
「だよなあ。俺は、ちょっと恥ずかしいんだけど」
「お前らしいな」
「英二、もし式をするんだったら友人代表で挨拶してくれよ」
「……えー、やだよ、恥ずかしい」
というか、冗談じゃない。
「何を柄でもないこと言ってるんだ」
「……じゃあ、大石の昔の恥ずかしい話をたくさんバラしてやるよ」
「え!やめてくれよ!」
「じゃあ手塚にでも頼めばー?」
「手塚がOKしてくれるかなあ?そもそも日本に帰ってきてくれるかも分からないし」
「いやいや、あいつは意外と義理堅いやつだって」
確かにな、と大石は相槌を打って、ちらりと腕に嵌めた時計に目をやった。三年前、彼女から送られて以来、俺は一度たりとも大石がその時計を外しているのを見たことはなかった。
「なに、そろそろ時間?」
「あ、ああ。四時に駅で待ち合わせているんだ」
「じゃあ、そろそろ出た方がいいかもな」
俺は伝票を手にして立ち上がった。
「今日はお祝いに俺が奢ってやろうじゃあないか!」
大石の方を振り向かずに、少しおどけた声を出す。
「ああ、悪いな。次来た時は俺が奢るから」
「うん、頼むわ」
次はないよ、大石。
心の中だけで呟いた。

会計を済ませ、外へ出る。すっかり外気も冷たくなり、そろそろ冬の気配を感じるようになった。もう冬なんだな、何だか今年もあっという間だ。
俺の後に続いて、大石も店のドアから出てくる。寒気に身をすくませると、「寒いなあ……もう冬か、何だか今年もあっという間だったな」と俺に言葉を掛けた。
その言葉が、なんだか悲しかった。
「そういえば、英二に会いたがっていたよ」
大石の彼女とは、しばらく会っていなかった。肩までのまっすぐな髪が印象的な、綺麗な人だ。大石と同じように非常にしっかりしていたが、たまに天然なところもあって、そこがとても可愛かった。
「じゃあ、よろしく言っといてよ」
「うん、また三人で飲みにでもいこうよ」
大石のその言葉を俺はとっさに肯定できず、
「あ、そろそろ行かなきゃ遅刻するぞ」
なんて言って誤魔化した。

駅へと向かった大石と別れて帰り道を一人歩く。心ががらんどうになったようだ。何も考えずに歩き続ける。

ふと、そのがらんどうになった心に、ある光景が飛び込んできた。
並木道の楓や銀杏の葉が、見事な赤や黄に色づき、町を彩っている。
瞬間、俺の脳裏にある思い出が浮かび上がった。今まで思い出したことなんてなかったのに、なぜかひどく鮮明だった。


中学一年生の秋のことだった。
その日は部活が午前中で終わり、学年のみんなでファミレスに昼食を食べに行った。その後、大石が、趣味でやり始めたアクアリウムの水草を近くのホームセンターまで買いに行くと言うので、俺も一緒に付いていった。アクアリウムのコーナーの近くに、ペットコーナーもあったからだ。俺はその当時お気に入りにしていたボーダーコリーに会いに行こうと思った。それから、俺と大石はよく二人でそのホームセンターに通うこととなったのだった。
その日、俺はそのコリーに勝手につけた名前を呼びかけて遊んでいた。確か、ジローと呼んでいたと思う。名の由来は特にはなかったはずだ。用事がすんで近づいてきた大石に「どうしてジローっていうの」と聞かれたが、「何となく」と答えた記憶がある。

寄り道をしたため、いつもの通学路とは違う道を帰っていった。よく晴れた昼だった。寒くなるにつれて段々と日が傾くようになり、少し眩しく、目を細めて歩いた。
ある角を曲がった時、俺の目に色鮮やかな光景が飛び込んできた。
並木道の楓や銀杏の葉が、見事に赤や黄に色づいていたのだった。
「うっわぁ!すごいキレイ!」
俺が思わず感嘆の声を上げると、大石も、
「ああ、すごいな」
と目を見張らせていた。
「なんだか魔法の世界みたい」
「なんだか絵画を見てるみたい」
俺たちは同時に別々の言葉を発した。でも、それぞれ感じた思いは同じだったと思う。
「魔法の世界なんて、英二は発想が豊かだな」
大石はそう言って笑ったけど、俺はなんだか大人みたいなことを言う大石の方がすごいと思った。
「秋っていいな」
俺は高くなった空を見上げた。そういえば、最近急に冷え込むようになった。もう冬になるなあ、何だかあっという間だった、なんて考えながら、俺は中学に入ってからのことを振り返る。
友達がたくさんできた。何となく始めたテニスはもう俺の生活の中でも欠かせないものとなっていて、毎日の部活が楽しくて仕方なかった。背も小学生のころより大分伸びたんじゃないかと思う。入学当初にあんなにぶかぶかだった学ランも、今では袖が少し足りないくらいだ。
そして、大石とダブルスを組むことになった。
「随分寒くなったよな。もうすぐ冬なんて、何だか中学に入ってからあっという間だなあ」
隣にいた大石が呟く。
その言葉が、なんだか嬉しかった。気持ちが繋がったみたいだった。
「うん、そうだね」
「もうすぐ二年生だな。レギュラー、獲れるといいな」
「うん!そしたら一緒に試合に出ような!」
「ああ、頑張ろうな、英二!」
「うん、頑張ろう、大石!」

そしてまた大石と一緒に帰り道を二人歩いた。心が満たされたようだった。これから迎えるたくさんの季節を思いながら歩き続けた。そんな記憶だった。


もう、随分昔のことになっちゃったな。

並木道の赤や黄、肌にふれる温度、空気の匂い、空の上の風の音。
そのどれもが、あの頃と同じようで、でも、全てが変わってしまったようにも思えた。

戻りたいとは思わない。俺だって、これまでの十数年間たくさんのものを抱えて生きてきた。
でも、こんなにも懐かしい。
俺はその光景から目を離し、歩みを再開させた。あの街路樹から少しずつ遠ざかっていく。でも、……。
俺はもう一度最後に立ち止まり、その景色を振り返る。


でも、あの色とりどりの光景を、大切な絵画みたいに胸に焼き付けて、俺はずっと覚えているよ。


俺だけは、覚えているよ。










ありがとうさようなら。

本当はずっと、だいすきだったんだ。



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