彼はもっと適当な人間ではなかっただろうか。 もっと潔く物事に対して深くを語らない人ではなかっただろうか。目を細めながら一人ごちった後、ああそれは私たちの前でだけだったということを思い出した。 人の熱気と湿気でむしむしする体育館のステージの真ん中で全校生徒の注目を浴びている今の彼は、私たちの前の彼なんかじゃなく万人用の彼としてそこに存在していた。おなじみの王子モードを全身に貼り付けながら、全校生徒の目をすべて受け止めている彼は今どんな気分なのだろうか。とても上機嫌のような気がする。 「我が校の生徒という自覚と誇りを持ち、何事にも責任を持ち行動することを……」 校長の無駄話と同じくらい堅く、校長のそれより長い挨拶を全校生徒を前に熱弁する王子をここまで面倒だと思ったことはきっとなかっただろう。まさか王子モードの彼がここまで完璧かつ真面目を貫くなんて…感服したわ本当に。実際の彼だったらこんなくっそ長い挨拶なんて放り出して"問題は起こさずに楽しんできてください"の一言で済んだだろう。彼は基本自分に害がなければ何でもいいような性分なので十中八九こんな挨拶で締め括られたに違いない。それなのに98%くらい自分を隠しながら"生徒会長"の仮面を被った彼ときたらもう…一言、十行の比ではない。汗と一緒にため息も出た。ため息をつかずにはいられないね、まったく。 私たちは、明日から夏休みを迎える。 終業式での生徒会長の挨拶はとうに校長の挨拶を越え、すでに20分近くは続いている。あのチャラい頭と中身をした奴が、どこにこんな真面目さを隠していたのだろうか。さすが我が校の生徒会長である。王子様様だわほんとに…。 女子たちはこんな時だっていうのに、顔に汗をじわりとかきながらキラキラとした目でステージ上の太陽を見上げている。おいおいあんたらいくらなんでも騙されすぎじゃないですか? ただ顔がいいってだけで、こんなくそだっるいスピーチをこのくっそ蒸し暑い体育館に篭って黙って耳を傾けることする厭わないだなんて…何かがおかしい、間違っているこんなの違うね私は認めないわ。 漏れる声は非難のものじゃなく賛美の声ばかり。ありえない。彼のせいで私たちの夏休みは1分1秒と消費されているというのに。まことに信じがたし。 いつまで続くんだこの地獄は。苛立ちを感じつつ時計へと目をやる。突如バターンと大きな音が耳に入ってきた。一瞬にして静粛した体育館にざわめきが生まれた。どうやら1年生の誰かが倒れたらしい。そりゃこのむんむんな室内にこんだけ長くいたら倒れるわな。 「ちょぉっとぉー、王子のスピーチの途中で離脱とかマジありえないんだけど!」 「せっかく桐重君があたしたちのためにお話してくれてるのにねー」 「もったいないよね、超ありがたいお言葉を最後まで聞けないなんて」 ありえないのはアンタらだからあああああ! 超ありがたいお言葉って何!? あれのどの辺がありがたいの!? よくあの金髪の言葉を聞いてよね、俺に危害が及ばない程度に好き勝手しろよ、って言ってるだけだから! 要約するとそんな感じのことしか言ってないから! 同じようなことを言葉を微妙に変えながら延々喋ってるだけですからあああ!! アンタらさっき校長引っ込めとか言ってたじゃん態度180度くらい違うじゃん! 校長にちょっと同情しちゃうよ。 あの人もう王子じゃないよ、ただの教祖様だよ! 締めはやっぱらんらんらるーなのかしら!? それだったら今日のこと許しちゃうけどねっ! 王子マジック超やばいマジ怖い。 一人の女子がステージに上がり王子のもとへ駆け寄る。誰だろ…今の彼女さんかな? 「あの女なんですかー誰ですかー邪魔なんですけどぉー」 「あれ副会長じゃん?」 「あー、ね。つうか退いてくれないかなぁ」 「ねぇー」 ステージに上がった女子(副会長らしい…けど、王子とは対照的な…感じだ、うん)は慌てた様子で王子に何かを説明している。さしずめ倒れた一年生のことだろう。 「お暑い中みなさん話を聞いてくれてありがとうございます。やるべき事は全うし、自己の責任をしっかりと持ち行動することを忘れず夏休みという期間を思う存分楽しんでください。俺も勉強に全力で取り組みつつ精一杯楽しみたいと思ってます。では新学期にお会いしましょう」 大きな拍手に包まれながら、ステージを降りる王子の顔はとても誇らしげで、満足感でいっぱいだった。そんな恍惚感に浸りながら歩く王子を見てこめかみに青筋が浮かんだ。 各々教室へ戻る中、人ごみの波に逆らって誰もいないステージの上に立ってみた。何故か人に必要とされてるような気がして、そんな自分を誇りに思うのと同じくらい悲しくなった。王子はここに立っている間、どんな気持ちだったんだろう。一つの物が半分になるような、気持ちは彼にはあったのだろうか。 きっとこれは教祖様の呪いに違いない。自分の宗派じゃないからって呪うなんて教祖様ったら怖いわね。 体育館が私一人になる。さっきまであんなにうるさかったのにこの数分でここまで静かになってしまうのが、当然のことなのになんだか不思議に思えた。 ステージの裏のドアから外へ出ると、すぐそばの体育倉庫前でイジメを目撃してしまった。うわお。 「テメーよぉ、ああ?」 「なん、何ですか!」 「何ですかはお前だろ? 何だお前、誰よお前…校長気取りかああ? お前は生徒会長だろうが、ただの生徒会長だろうがよー。自分のナリ見てみろや、チャラ男じゃねーか。チャラ男はチャラチャラしとけばいいんだよ」 「チャラチャラチャラチャラ何すか、キーホルダーでもいっぱいぶら下げてるんすか」 「チャラ男はチャラ男らしく"じゃっ、みなさん気をつけてお帰りください"の一言できめろや…それを同じことを何度も何度も言いやがって」 「ひいっ! 何、何なの!? 俺は生徒会長として一生懸命自分の使命果たしただけじゃん、自分の仕事して何がいけないっていうんですか」 「20分30分ダラダラ語りやがってよぉ…一年の奴がそのせいでぶっ倒れたの知ってんだろああ!? このクソあちー中延々と喋ってた誰かさんのせいだよねーほんとぉー」 胸倉を掴みながら壁へ何度も相手の背中を打ち付けているのは、紛れもなく藤城君で。涙目になっているのは先ほどまで誇らしげにステージ上でくそダルいスピーチをしていた生徒会長様だった。 ていうか藤城君キレてるよ。怖いよあの人、テンションマックスなうだよ。王子涙目だよさっきまであんなにドヤ顔で何百人の前で話してたのに。欠片もないよ。 生徒会長いじめられてるよ、生徒会長いじめるなんて藤城君ったら……気持ちは分からなくないけど。 「こらっ二人とも何してるの!」 「菊崎さんっヘルプ!」 「何だお前は」 「女子!」 「じょ、女子って…!」 「あれツボッた…って、え、あれ、ええ?!」 「わーお驚きー」 「何だよ」 「藤城君が笑ってる!」 「俺今めっちゃ機嫌いーからぁ」 「そーだね」 「よくないよね、悪いよね、不機嫌だよね!?」 「お前に関してだけな」 夏休みが始まるのだ ← 44 → |