ちまちま | ナノ
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光、ひかる、ひかる。この三文字を、私はこの数時間に何回口にしただろう。何回光のことを呼んだんだっけ。思い出せないくらい呼んだかも。でも光は空返事ばっかで、私のことを一度も見てくれなかった。私に背を向けて、パソコンと向き合ってばっかり。パソコンが光の彼女みたいだね、って言いたくなったけど逆に私がむなしくなるからやめておいた。こっち向いてくれないかな、パソコンいじってるのもいいけどたまには私に構ってくれたっていいじゃんね。私だって拗ねたくなる時だってあるんだよ。パソコンばっかいじってる光の背中を見てるのもそろそろ飽きちゃった。かれこれ2時間、私は待ってるのに。
まあ、お呼ばれされたわけでもなく、勝手に来て勝手に私が待ってるだけなんだけど。それにしても2時間も客を待たせていいものか。

「ひーかーるー」
「んー」
「そろそろ構ってよー」
「あー、ダウンロード終わったらな」
「さっきからそればっかり」

ダウンロードってなんだし。何をダウンロードしてんだし。きっとダウンロードが終わったら今度は「インストール終わってからな」って言って、その後は「ファイル作ってからな」とか「アイコン作り終わってからな」って言うんだ。それからまた別の作業に移っちゃうんだ。ここまで光の先の行動がわかってるのに、未だに光を待ってる私も私でばかだなあ。ヘッドフォンなんてしちゃってさあ。パソコンで音楽聴いてるなら独り占めしてないで私にも聴かせてくれたっていいじゃん。パソコンでえっちな動画でも見てんの、って言ったら「アホ」って言われた。何でそこでマジ返事すんのさ。さっきまで、んー とか あー とか、おう、とかそんな気のない返事ばっかだったのに、アホって! えっちな動画見てないで私の方見てよ、って言いたいんだけど、後でな、って言われるのが怖くて心の中でだけ呟いた。そんなにパソコン好きならパソコンと付き合えばいいじゃん。パソコンと合体でもなんでもしてろバカ光!

「光ってばー」
「るさい」
「暇なんですけどー」
「漫画でも読んどけ」

光はまた、私の方も見ないで返事した。漫画でも読んどけだって。昨日発売したばっかのジャンプもさっき読み終わっちゃったよ。漫画より光とお話したいな、光に構ってほしいな、なんて‥‥言わないけど。ちょっとくらいこっち見ろし。パソコンとばっか見つめ合っちゃってなんなの。ヘッドフォンなんてつけちゃってなんなの。一人で勝手に世界に入っちゃって、私は入れてくれないの? 光の世界に、私は入れてくれないの?

「光、」

お前、2時間も待たせておいてそりゃないんじゃないの。いい加減待つの疲れた。このままじゃ日が暮れちゃう。もう暮れてるけどね。

「光」
「なんや」
「つまんない」
「俺はつまんなくない」

むっかー。つまんなくない、だって! 私がいるのにパソコンいじってばっかのくせになんなの生意気むかつく! むかついたから、ヘッドフォンをパソコンから抜いてやった。

「あ、」
光がびっくりしたように目を見開く。それから何すんねん、ってちょっとだけ機嫌悪そうに私を見た。
パソコンから、英語の歌が流れる。

「いつも何きいてるのかな、って」

えっちな動画は観てなかったようだ。流れてきたのが女の人のあんあんとかそういう喘ぎ声とかだったらどうしようって心配だったんだけど、聞こえてきたのが男の人の歌声で安心した。

「お前に言うても解れへんやろ」
そう言って、ヘッドフォンを外しながら光が溜息をついた。

「ん、」
「ん?」

光の首から私の耳へとヘッドフォンが移動する。それから私の手の中にあったヘッドフォンのコードをひったくって光はパソコンに繋いだ。部屋に流れていた時とは違って今度は直接耳に流れ込んでくる。さっきよりもはっきりと英語の発音がわかるようになって、ちょっとだけ眠くなった。洋楽なんて聴いたの初めてだ。光いつもこういうの聞いてるのかな。ちょっとだけ頭が痛くなってきゅっと目を閉じる。
光が、ヘッドフォンを私の耳から外して机の端に置いた。

「な、お前に聞かせても解らんかったやろ」
「光はわかるん?」

光が、顔を俯かせながら黙る。暫くして、小さく息を吐いて吸った光がパソコンからヘッドフォンを外した。また部屋の中には英語が流れ出す。

「―― 君がいるから僕は笑える、君の笑顔が愛を教えてくれる。どうか願う、僕の隣にずっといてどうか君の一番が僕でありますように、」

光が一拍置いて、「君が好きだよ」って、ちょっとだけ私の目から視線をそらして、言う。その奥で、パソコンのスピーカーから“I love you”の言葉が流れて、光の頬がほんのちょっと赤くなる。あ、かわいー。光は安心したようにはあと息を吐いた。

「ずいぶん、キザな歌詞なんやな」
「んなこと言うなや」
「こんなん言われたら照れるわ」
「言う方が照れるに決まってるやろ」
「あ、うん、そうだね」

光が椅子から立って、そばに座ってる私の隣に腰を下ろす。私の顔を見るなり溜息を吐いて、膝に顔を預けた。何だよせっかく隣に座ったんだから私のこと見てよ。私に構ってくれるんじゃないの。そんながっくりしたように溜息吐いたり顔隠されたりしたら傷付くんだからね。

「光?」
「嘘」
「え?」
「これ、普通に恋の歌とちゃうで」
「は? ええっ、で、でもちゃんとアイラブユウって歌ってた‥‥え?!」
「せやから言うたやん。自分には解れへんって。アイラブユウは物に対して言うただけで別に誰かを愛してるとかそういうんちゃうねん。いつも助けられてますー感謝してますーいう意味や」

何か嬉しいことあったら大好きーとかお前も言うやろ、と上目遣い気味に光が言った。言ってから、また顔を腕で覆ってしまったけど。

「じゃあ今の何の歌だったの?」
「……俺の?」
「……はい?」


「いつも、待っててくれておおきに」


不意打ちだよね、そういうの。突然光が素直になっちゃうから、こっちはぽかーんってなっちゃう。光の顔を覆っていた腕が私の首の後ろに回されてそのまま光に抱き寄せられた。ぎゅうって光が腕に力を入れる。なんだか照れ隠しみたい。私の方が照れ隠ししたいよ。ぎゅうってされるたびに恥ずかしくて、嬉しくて死にそうだよ。ゆっくり、光の背中に腕を回したらまたぎゅうってされた。苦しいけど幸せだなあって、光の匂いを肺にいっぱい吸い込みながら思った。




たくさんたくさん大好きだよ


/アクアマリンの恋