ちまちま | ナノ
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俺の背後には、何か切っても切れないものがついてると確信したのは高校に入って1年目のことだった。生まれてからずっと一緒、所謂幼馴染の存在がまずそれだった。保育園も小学校も中学も高校も、通っていた空手道場だって、すべて同じだった。小学校低学年までは、着るものも、小物からなにまでおそろいにしていたくらい、俺達は離れる事を知らなかった。まあ、今の状況からいっても離れることはないんだろうけど。高校も同じ、というところまではまあ今までどおり。で、問題はこのあとにある。いやまあ問題というほどでもないけど。
同じクラスになったことだ。小学校までは同じクラスになることが何度かあって、クラスメートたちにからかわれもしたが、中学になってからは同じクラスになったことがなかった。3年間、隣のクラスになることはあっても同じクラスになることはなかったのだ。今年は、同じクラス。なんだか新鮮というかもやもやとしたものが心の中に広がった。小学生までのコイツしかみてきてなかった俺としては、非常に意識するものだった。学校で話したり帰り一緒だったりとかはあるけど。同じクラスで、隣の席だなんて、非常に、意識するもんだろ。俺は開き直って、改めてこいつを見る。授業を真面目に受けてない俺とは裏腹に、真面目に授業に取り組んでいるこいつがひどくおかしかった。小学生のころはちっとも授業に集中してなかったのだから。人はかわるものだ。

「…………」

こいつも、いつか変わってくのだろうか。そりゃあこの3、4年間で変わったこともあるんだろうけど。今のこの関係が変わることってあるんだろうか。幼馴染としての枠を超えるとか超えないとかじゃなくて、存在が離れていってしまうことはないのだろうか。そういえば、先日、こいつが俺んちに飯を食いに来た時、「お前変わった?」と訊ねたことがあった。返ってきた答えは「はぁ?」だったけど。「女らしくなってねえ?」「なにそれ、一護頭でも打った? 褒めてもおかずはあげないからね。今日はてんぷらだそうですよ」「なんか、変わったよな」「……一護がそれ言うか?」そんな会話をした気がする。俺の返した答えは「はぁ?」だった気もする。そのあとのことはなんとなくでしか思い出せなかった。こいつが切なそうに笑ったのは覚えてるんだけど。 「一護だって、男らしくなったじゃないか」「へー、どこが」「前より、大人っぽくなったね」「そーか?」「うん、」そこまでしか思い出せない。いや、その先がないんだ。その後に交わした会話が真っ白のまま思い出せない。会話をしていたかすらも思い出せない。やっぱそこで会話は終わったのだろう。


シャーペンの、ノックする方で隣でうとうとし始めている彼女の机をたたいてやる。集中力が短いのは今も昔もかわってないみたいだ。なんとなく安心した。

「あ、なに、一護」
「すんげー眠そう」
「眠いです。慣れないことすんじゃなかったー」

一つあくびを漏らして、握っていたシャーペンをノートの中心に置いたのを確認した。

「あたし真面目に授業きいたことないんだよねー、実は」
「あ?」
「一護さあ、あたしのことちょっと優等生とか思ったでしょ」
「まあ。お前でも真面目に授業受けてるんだな、って感心してた」
「はは、ねらったー」

そう言って授業中なのもお構いなしに声を出して笑うもんだから、黒板に向いていた先公の目がこっちに留まった。睨まれてんぞとこそっと言ってみても、隣のこいつは笑みを浮かべるだけだった。

「あのさー、」
「なんだよ」
「今日、一緒にご飯食べようよ、お昼」

授業終了まで、まだ20分も残ってるってのに、ゆるいテンションで黒板に書かれた内容を途中まで写したノートを机にしまってしまった。おいおいコイツこんなんで大丈夫かよ。半分呆れつつ心配してやる俺のことなどお構いなしに、奴は俺の机に広がっていた教材も片付けてしまった。しかも俺のじゃなくて向こうの机に入れてるし。それを止めないでいるあたり俺も人のこと言えない。

「知ってる一護」
「何がだよ」

にやり、いたずらっ子のような顔をして俺の顔を覗きこんだ彼女に、不覚にもドキッとした。にやりってとこじゃねえ。顔を覗きこんだとこにだ。近い。昔から一緒にいるけど、高校に入ってからやっぱコイツかわった。昔から知ってるこいつは今はいなくて、まるで別人のようだ。別人に、なってしまったのかもしれない。なんらかの理由で。そこにある笑顔や仕草も癖も昔と変わらないのに、俺が見てきたこいつそのものなのに、全部知ってるもののはずなのに、どこか違う。表情の変化とか、雰囲気が、俺の知らないものに変わっていた。俺が知らないうちに生まれてしまったもののようで、疎外感が胸を満たした。俺にだってあるように、こいつにだって秘密とか、俺に言ってないことってあるんだろうけど、お前が知ってて俺が知らないのはやっぱ面白くねえ。ガキみてえだけど、ずっと一緒にいて、自分の時間を常に共有していたのだと錯覚しているとこがあった。それでも、―― 置いてかれたなんて変な話なのにな。

ふー、深く息を吐く。そういや、こいつ何か言いかけてたんだよな。未だににやにやしながら口を閉ざしているので危うく忘れるとこだった。何が、‥‥何を、俺が知ってるっていうんだよ。早く言えと急かすように視線を投げれば奴は一層笑みを深めて

「今日ね、売店にイチゴ味のチョコが入ったコロネが限定で売られるらしいんですよ!」
小声で、さも真面目に言い放った隣の女には溜息しか出てこない。マジになることかよ。イチゴチョコが入ったクロネ? コロネ? そんなんがどうした。真面目に言うものだから笑ってしまう。

「……それで?」
「限定なんだよ、限定!」
「だから?」
「わっかんないかなあ。20個しか売られないの!」
「で、お前はそれを食べたいと」
「そうです、」
「……だから?」
「だからぁー!早く行かないとなくなっちゃうんだって!」

普通のトーンで喋る俺に対して小声で返してくる。そんな慎重になるほどのもんなのか。というか未だにこいつの言いたいことがわからない。長年一緒にいるけど、こいつの思考回路は未だに把握できない。たこ焼きを食ってる時にいきなり味噌田楽食べたいだの地球は何故生まれたの、だとかとにかく話題が移る移る。しかも予想できないものが多いから対処に困る。たこ焼きで始まって地球への謎で終わるなんて誰が予想するんだろう。答えを知るのは眉間に皺寄せて周りを睨んでる隣人のみだった。

授業終了まで5分前。
そわそわしている隣人さんを残して、俺は両手を机に置いて窓の外を見つめた。そういや次体育だよな。ちょんちょん、手のひらをつつかれる。勿論つついているのはお隣さんなのだけれど。視線だけで何か用かと伝えれば、彼女は未だに笑顔のままで、「コロネです」と言った。はあ?
面食らった俺を構うこと無しに、彼女は俺の手を握って席を立った。ますますはあ?だ。立ち上がった彼女に倣って俺の体も傾く。こけそうになりながら先を走る彼女の後に続いた。手は未だに繋がったまま。
隣人さん、兼 俺の幼馴染はそうやっていつも俺を見ないで先に進んでく。俺なんてお構いなしにずんずんと先を行ってしまう。今だって一度も俺なんて振り向かないで、購買への道を走ってる。背後に聞こえた教師の叫び声にも、俺の存在も知らん振りで走ってる。走りたきゃ走ればいい、なのに何でいつも俺を一緒に連れてこうとするんだよ。意味わかんねえだろ。先行くんならいっそのこと置いてってくれればいいのに。わざわざ俺を引っ張る意味がわからない。俺は、お前を置いてったのに。たぶん、こいつはそんな俺のことも知ってるから、わざと俺を道連れにするんだろ。自分がされたら寂しいから、自分はしないように俺とは別の行動を取るんだ。わかってる、お前が本当は変わったんじゃないってことも、俺が勝手に変わっちまったってことも。ただ、お前のことは誰より一番でわかってたいから、俺とこいつの立ち位置を入れ替えて考えてただけだ。俺の、たんなるエゴでしかなかったのかもしれない、ぼんやりと考えてたらまたしてもこけそうになった。危ねえ!

「どこ行くんだよ!」
「購買!」
「何で俺まで、つれてくんだよっ!」
「だって、一人はいやじゃんよ!」

そう叫んだ彼女の声は笑ったけど、少しだけ震えたものだった。
先を走る彼女を追い越して、今度は俺が引っ張る形で走る。

「わ、ちょ、何、!」
「昔から! お前は走るのがおせえんだよ!」
「失礼なっ!」
「俺の方がはえーだろ」

ぐんぐん引っ張って、購買の前で止まる。足をもつれさせるようにして俺の背中に顔面からつっこんだこいつが、「ぐえ」と唸った。鼻をさすりながら俺を睨んだこいつに、「早く買え」と促す。恨めしそうに俺を一瞥した後、購買のおばちゃんに笑顔で限定のイチゴコロネ? クロネ? を頼む。
コロネ(だったよな確か)を受け取った彼女が、俺に向き直る。

「足がちぎれるかと思った」

そう言いながら、チョココロネを投げつけられた。限定の方じゃねえのか。案外こいつはケチだ。

「だから、お前は足が遅いんだって」
「うるさいなあ」
「そのくせ、先ばっか行きたがるし」
「遅くないし、速いし!」

パンの袋を掴んでない方の手で、隣にあったこいつの手を握ってやる。

「俺の方が、速かったのにな」
「‥‥一護‥?」
「お前ばっか引っ張ってくから、置いてけなくなっちまったじゃねーか」

不思議に思って立ち止まったこいつの2歩先から、ぐっと腕を引いて隣に並ばせる。前のめりになったこいつを受け止めてやれば、「また鼻打った」とくぐもった声がした。

「あたし、一護のこと置いてってないよ」
「わかってるよ」
「あたしのこと、置いてったのは一護の方なんだからね」
「わかってるよ」
「あたし、怒ってるんだよ」
「‥‥悪かったって」
「なのに、一護が変わったなんて言うなよ」
「‥‥‥‥‥」
「先に変わったのは一護じゃん。先に、何も言わなくなったのは一護でしょ」

おセンチになってんじゃねーよ! そう叫んだ彼女の顔面にコロネの袋を押し当てた。本日3度目のくぐもった声に、やっぱ変わってねえよなあ、なんて安堵感が広がった。
「何すんのさ!」 また赤くなった鼻をさすりながらこっちを睨む彼女の頬に子供じみたキスをした。吃驚して固まった彼女が、限定品のイチゴ(チョコ入りの)コロネを落とした。それを拾ってやるためにしゃがむと、彼女もそれに倣って俺の目線に並んだ。膝を曲げた俺に対して、彼女は膝立ちだった。

「ね、今のって、キス?」
「き、きっ、き」
「ん?」
「きくなっ!」

心ン中であああああああああと叫んでみる。すっきりしたようなそうでないような。
手の中にあるイチゴ(入りの、って一々直すのめんどくせえな)コロネを彼女の手がさらっていく。それをただ見ながら、早く顔の熱どっか行け、と願った。

「ありがと」

そう小さく言った彼女は、嬉しそうに顔を緩めて、触れるだけの口付けを落とした。


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奏さんへ/アクアマリンの恋