ちまちま | ナノ
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「危ない!」

誰かが叫んだ。その叫びが私に向けられていると解ったのは1秒もしない内。校庭でサッカーをしていた男子の一人が蹴ったらしいサッカーボールが私目掛けて飛んでくる。一瞬にして視界に入ってきたそれを、瞬時に避けるような俊敏さは生憎持ち合わせていなかった。出来たことといえば目を瞑って腕で頭を覆う事くらいだ。そのまま前に倒れこんだりした方がよかったかもしれない。
バシン、弾かれるような音が耳元で響く。耳のすぐ側。痛みはない。痛みはないのだけれど、心臓はバクバクと動くし(心臓の音が聞こえそうなくらい)、足は震えるし、汗も噴き出てくる。一言で表すなら“混乱”。

「っ、つ…!」
「し、しらいし、?!」

呆気に取られて対応が遅れたが、私は痛みを感じてない。でも、ボールが激突したような衝撃音は確かにあった。気付くのも遅れたけれど、目の前には顔を歪める白石。左手を押さえている。

「怪我、してへん?」
「う、ん…大丈夫」
「よかった…」

相当痛いのだろう(勢いもあったし、結構近距離からのものだったし)、息が荒い。白石の頬を汗が伝う。

「白石、手!」
「や、犬ちゃうんやけど」
「そうじゃなくて…手!大丈夫?!」
「おん。平気平気」

痛みに顔を歪ませながら、でも私を気遣ってか無理に笑ってみせる白石。大丈夫なわけがない。サッカーをしていた男子達が集まってくる。口々に吐き出されるのは謝罪のものばかり。今はそんなことよりもする事が、言う事があるはずでしょう?!

「…保健室、行こ!」
「え、ちょ…まっ!」

有無を言わさず左手で白石の右腕を掴んで、左手でサッカーボールを集まっていた男子の一人に押し付ける。性格が悪いと思われるかもしれないが、周りの数人の男子を思い切り睨んでやった。事故にせよなんにせよ、この人達は責任転換しているように見えたのだ。俺のせいじゃねえ、俺がやったんじゃない、関係ないんだよ。私は、…白石だってあんた等を責めたわけじゃない。まだ何も言ってないのに。まずは白石の心配を優先するものじゃないのか。

保健室に入ると、間の悪いことに誰もいない。あ、そういえば白石って保健委員だったっけ。手当てする人がケガ人じゃあどうしようもないけど。ほんとに、私が怪我すればよかったのに!

「手、見せて」

慣れない手付きながらも左手の包帯を解いていく。手の甲が紫に変色していた。これがマジもんの毒手だよ。もうなんで手のひらじゃなくて甲で受け止めるの! 手のひらだったら、こんなあざにならなかったかもしれないのに。甲なんて、もしかしたら、折れちゃうかもしれないのに。何処が大丈夫なんだ。鬱血してるし腫れてるのに、なにが大丈夫なんだ。痛々しくて、白石に不釣合いのものを見ていると泣きたくなった。私があそこにいなければ、白石が助けようとしなければ、白石があの場にいなければ、こんなことにはならなかったのに。
泣いてる場合じゃないと、奥歯を食いしばって氷やら湿布やらを捜す。まずは冷やさなくちゃ。手当て、それに慣れてない私の頭はまさに混乱状態だ。言いようのない切迫感と、焦燥感に駆られる。(ちゃんと袋に入れてから)氷を白石に渡すと苦笑いでそれを受け取り、鬱血している手の甲に置いた。

「そんな泣かんといて」
「泣いてなんかない!」

空いていた白石の右手が目じりを掠めた。怖い怖い怖い、白石の手が、私のせいで、私のせい、で…
腫れ上がった左手が、目の前にある。白石の包帯の下にあるのは白くて綺麗な手だったはずなのに、紫がそこに広がっていた。

「私の、せい…っ」

左、手‥‥‥そうだ、左手。左手って‥‥‥白石の利き手だ。それを、私のせいで怪我させてしまった。

   テニス

頭の中に浮かんだ単語と、白石の姿に、ハッとした。私のせいで彼からテニスを奪ってしまったら、テニスが、出来なくなってしまったら…最悪のケースを思い浮かべたら、自然と体が震えだしてしまう。白石の手を握った私の手が、小刻みに揺れる。このままじゃ、手当て出来ない。白石の手が、怖い

「左…手…っ、白石、ごめん 、ごめんな さ い…!」

彼からテニスを奪ってしまったら、それがどうしようもなく怖い。本当は彼の方が怖いのかもしれない。右手が、頭の上に置かれ、ポンポンと軽く撫でられる。

「自分のせいちゃうって」
「私のせいだよ! …白石が、テニスできな、なったら…」
「平気やて、骨も折れてへんし、ちょっと怪我しただけで、な?」
「…バカなんちゃう、」
「え?」
「私なんかのために、アホや、白石…アホ!」
「‥‥‥」
「私がボール当たってたらよかったんや!」
「それじゃ、俺が守った意味ないやーん」
「守らなくてよかったんや!アホ!アホや、白石、ほんまに」
「‥‥落ち着き、」
「私なんかよりも、ずっと、ずっと…白石の左手の方が大事やのに。どうして庇ったんよ、アホ石…」
「(アホ石…)そりゃ、俺の左手も大事かもしれへん。けどな、女の子がそんな事言っちゃアカンやろ…」
「左手、大事なんちゃうん」
「大事やけど、お前に傷が付く方が大事やん、女の子の顔に傷作らせとうない」
「アホ石…こんな時に、笑わないでっ」
「(まだ言うか) アホはどっちや。俺が大事やと思ったから助けたんに、アホアホ言われると傷付くわ。あー、傷に言葉が染みるー」
「アホか!どうして、私なんて助けたの…助けようと思ったの」
「知りたい?」
「‥‥‥‥‥」
「んー、せやな」

白石の問いに素直に頷く。少しの間、考えるように視線を持ち上げていた白石が、俯いて氷の乗った左手の手の甲を見詰める。痛そうだった。…白石のおかげもあって、私はだいぶ落ち着いてきたし、気持ちが軽くなった。自分を責める事を白石が許さなかったのだ。

「好きな子を守るヒーローになりたかってん」

私と目線を絡ませながら、ニカっと笑う白石に落ち着きかけていた頭と細胞が一気に掻き乱される。白石によって。ボッと効果音がつくくらい一瞬にして赤く染まる顔をみて白石が笑った。

「ア、アホ!からかうんもええ加減に…!」
「さっきっから、アホアホ言うてるけどな、次アホ言うたらその口塞ぐで?」
「あ、な、な、ふさ…?!アホやん!…あ、」
「アホやなぁ…そんなとこかわええけど」
「白石、嫌い!」
「ああー、手に染みるわー!いったー!いたた、これアカン」
「わざとらし!」
「俺は好きやで」



君なんか嫌いだと呟きながら

(惚れさしたもん勝ちや)
背中に腕を回した


彼は無駄に有言実行な人でした。

「次アホ言うたら、塞ぐ言うたやん」
「口でなんて一言も言わんかった!」
「そうハッキリ言われると照れるわ」
「アホ!」
「実はわざと?」
「んなっ、ち、違う!」


潤ちゃん/Better than nothing