11
「島が見えたぞー!!」
一人のクルーが叫んだのを皮切りに、数人が走る音が小さく聞こえる。
ごんべは今、そんな騒ぎをしり目に誰もいない後甲板の隅に腰かけていた。
ここは木箱の陰で入口からは死角になっているから、幸いここでごんべを見つける者は誰一人としていなかった。
「(…どうにか、しないと)」
今更になって、カップの破片でそこかしこを切ってしまった掌が痛み出す。
洗い流すこともしていないから傷はそのまま紅茶まみれで、きっと破片もいくつか残っているんだろうな、なんてことを他人事のように思ってしまった。
マスターには、いつか道は見えてくると言われたけれど。
それがこの船に乗り続けることだとは、まだ思えなかった。
そりゃ、海賊暮らしも素敵なんだろうな、とは思う。
昔の話をする時のマスターの目は輝いていたし、いつだったか海を見ながら話したシャチからも、そんな印象を受けた。
それにこの船のクルーは意外にも気のいい人ばかりだった。
中にはひどく無愛想な人もいるけれど、それもまた個性で。
ごんべに酷い扱いをするだとか虐げるだとか、そういうことをする人は誰もいなかった。
むしろ、彼らがこの船の一員としてごんべを迎え入れているような雰囲気さえあった。
…でも、だけど。
この船のクルー達はもう、友達みたいなものだと思う。だから、名残惜しい気持ちはある。
正直なところ、このまま彼らと一緒に海賊になるのも悪くはないかも、と思ったりもした。
これでも悩んだのだ。
けれど、その雰囲気に流されてこのまま船に乗り続けるのと、自分の意思でこの船に残るのとは全く違う。
ごんべは、前者にはなりたくなかった。
「……ここにいたか」
頭上から聞こえた声に、その声の主は分かっているから本当は嫌だったけれど、見つかった以上このままでいることはできないと思い顔を上げる。
そこには案の定この船の船長が立っていて、表情のないその顔からは何の感情も読み取れなかった。
「…何か、用ですか」
他人行儀に言ってみれば、ローは僅かばかり眉間に皺を寄せた。
顔を上げただけで動こうとしないごんべに痺れを切らしたのか、ローはすぐ横にしゃがみ込むとごんべの手をとる。
考え事をしながらまた握り締めていたらしいその手からは、手首の方まで血が伝っていた。
「……来い」
「ちょ、」
それを見たローの眉間の皺は先程より濃くなって、小さく舌打ちをしたかと思えばそのまま腕を引かれて無理矢理立ち上がらせられた。
本気で振り払えば、きっとごんべの力なら腕を自由にすることは出来るだろう。
けれど抗議の声を上げようとはしたものの、これまでにないほど威圧的な目を向けられてスタスタと歩き出されてしまっては、ぐぅの根も出なかった。
「意見はいらねェ。両手出せ」
腕を引かれたまま連れてこられたのは、船長室だった。
てっきり医務室に行くものだと思っていたごんべは初めて足を踏み入れるそこに一瞬躊躇したが、低い声で「入れ」と言われて入らざるを得なかった。
ごんべはこの船から降りたいのであって、死にたい訳ではない。
本気で抵抗したところで敵う相手ではないことくらい、分かっていた。
だから肩を押されてソファに座らされても、両手を出せと命令されても素直に従った。
目は合わせない。それだけが、ごんべに出来る唯一の抵抗だった。
「馬鹿かお前は」
「……」
紅茶とカップの破片まみれだった手は綺麗に洗われて、殊の外丁寧に処置を施された。
しかしその間何を言われても、ごんべは応えなかった。
相変わらず、目も合わせなかった。
「ありがとうございます。もう、行っても良いですか」
最後に包帯を巻かれてローの手が離れたところで、俯いたまま問う。
けれどローからの言葉は何も返っては来なくて、視界に映る足も微動だにしなかった。
「……」
このままローと二人の空間にいるのはどうにも耐えられそうになくて、様子だけ窺おうと見上げてみれば、そこにあったのは無表情。
けれどそれは何かを考え込んでいるようで、ごんべをじっと見つめるその瞳は僅かに揺れているようだった。
船長さん、と。
沈黙に耐えかねて、そう言おうと口を開きかけた時だった。
「……ッ!!」
自分の肩に圧し掛かる力を感じて、ごんべの体がソファに沈み込んだのは。
(20110422)
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