S×R 外科医連載 | ナノ


09


久しぶりに地に足を着いた感覚はどうにも変で、特にこれといった鍛錬をしている訳ではないごんべが普通に歩けるようになるまでは大層な時間を要しそうだった。

ローに腹を捌かれたことを知ってから1週間が経って、ごんべはようやく動きまわることを許可された。
まずは念願のシャワーを浴びて、それまでは拭いてもらうだけですっきりしなかった身体中をじっくり丁寧に洗い流した。
その時気付いたのは、海賊に襲われて付いた傷以外に捌かれたような痕が見当たらないことだった。
一体どんな手を使ったのかごんべにはさっぱり分からなかったが、ロー曰く何処をどうやって“見た”のかは企業秘密らしいので知らない方が身の為かもしれないとなるべく考えないことにした。

そして現在、ごんべはベポの手を借りて船の中を甲板に向けて歩いているところだ。
いい加減、太陽の光を浴びないと体が萎れてしまいそうな気分だったのだ。

「まだ無理しちゃだめだよ、おれがキャプテンに怒られるから」
「大丈夫、リハビリは早めにやらないと…っとと、」

あぁもう言ってる傍から、とベポに支えられて、何とか体勢を立て直す。
実はこんな時も発揮される世紀の馬鹿力によって何度かベポごと引っ張り倒しそうになっているのだが、そろそろベポも慣れてきたらしい。
最初こそ「そんな怪我してるのに!?」と驚いていたベポだったが、ここに来るまでに何度も同じ目にあわされて踏ん張るタイミングを習得したようだ。

「ご、ごめん」
「おれは平気。あ、甲板はあの扉だよ」

途中すれ違うクルー達は、2週間にわたる停泊中酒場でお馴染みの顔ばかりだったから、もう大丈夫なのかーと気さくに話しかけてくれた。
何度も言うがあの町の酒場はごんべの働いていたあの店しかなかったから、船長が連れていかなくともクルーはクルーでやって来ていたのだ。
だからいつの間にか、ごんべも彼らに対して敬語を使うことはなくなっていた(ただし船長さんは別だ。あの人にタメ口なんて恐ろしい)。

「はい、甲板」
「…海、だ」

そうこうしているうちに甲板に辿り着いて、ベポによって開け放たれた扉の向こう側には見渡す限りの海、海、海。
少しフラフラと歩いて後ろを見ればそこには風にはためくジョリーロジャーがあって、ここにきてようやく、ごんべは自分が本当に海賊船に乗ってしまったのだということを実感した。

「…島は、見えないね」
「ごんべが寝てる間に一つ泊まったところはあったんだけど、次の島まではもう暫くかかるみたい」

ジョリーロジャーから視線を外して、もう一度見渡す限りの大海原へと目を向ける。
ごんべは自分の生まれ育った島のことを言ったのだが、ベポはその言葉を、周りは海しかないね、とその程度に解釈したらしい。
けれどごんべは敢えてそれを訂正することはなく、そっか、とベポの言葉に頷くに留めた。
ここで故郷を懐かしむ言葉を口にしたところで、変な空気になるだけだろうと思ったのだ。

「ここにいたか」
「あ、キャプテン!!」
「船長さん…」

いつの間に来ていたのか、聞こえた声に振り返ればそこには扉の脇に寄りかかる様にして立っているローがいて、彼は二人が振り返ったのを見届けるとこちらに近付いてきた。

「もう歩けんのか」
「まだフラフラですけど、ベポに助けてもらって何とか」
「女にしちゃ大したもんだな」
「ごんべってばこんな時でも凄い力なんだよキャプテン」
「ほぉ…そりゃ興味深ェな」
「あれ、なんだか嫌な予感」

いつものように肩に担いだ刀をトントンと動かして、ごんべの頭のてっぺんから爪先まで観察するように眺めたローの表情がベポの一言によってニヤリと歪んだのを見て、ごんべは背筋がゾワリとなるのを感じた。
いやな予感、嫌な予感。
しかし、じりじりと後退りながら警戒して見せたごんべにクツクツと笑って、ローは意外にもすんなり扉へと向き直った。

「残念だがその話はまた後だ。ベポ、お前はおれと来い」
「アイアイ!!」

無理しちゃだめだよ、と最後にまた念を押されて、ローの後に付いて去っていくベポに手を振って見送る。
その話はまた後だ、ということは後でまた捌かれでもするんだろうかと若干の不安を感じたが、ごんべはなるべく考えないように頭を振ってもう一度海へと視線を戻した。
そして今度は、ゆっくりゆっくりと足を踏みしめて甲板の縁に近付いてみる。
縁に手を掛けて下を覗き込んでみれば、船に掻き分けられた波が白い飛沫を上げているのが見えた。
その波を追うようにして、そのまま視線を船の後方の地平線に向ける。
そこから見える海は何処までも広がっていて、世界の果てなんて本当にあるんだろうかとさえ思ってしまうほどだ。
故郷の島の山向こうの町におつかいに行くのに、船に乗った事はある。
けれどごんべにとっての船旅なんてたったそれだけのもので、自分がこんな大海原にいるところなんて想像したこともなかった。

「…帰れるのかな」
「そりゃ船長の気分次第だな」

ぽそりと呟いた独り言に返事が返って来て、ごんべは不思議に思いながら声のした方向を振り返った。
船の後方を眺めていたごんべの後頭部側には、いつの間に近付いていたのかシャチが立っていた。
彼もまたごんべと同じように縁に肘を付いて、海を眺めている。

「この船が逆走することはまずないだろうけどなぁ」

シャチの視線を追って見れば、彼は船の進む先の地平線を見ていた。
ほんの少し見える口元は笑っていて、あぁきっとこの人はこの航海を心から楽しんでいるんだろうなと、そう思った。

「…それは当たり前だよ。海賊、だもんね」

ごんべの反応に驚いたのだろう、シャチが自分の方を見たことには気が付いた。
けれどごんべはそれと目を合わせることはせず、ついさっきまでシャチの見ていた方向…この船の進む先に広がる地平線を眺めて、唇を緩く持ち上げた。



(20110417)

[*←] | [→#]
Back




「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -