思い出の木の下で
風に舞った桜の花びらが、頬を掠めて地に落ちる。
故郷の小さな公園、そこにたった1本だけある大きな桜の木の下に、ごんべは立っていた。
「…やっぱり、無理だったなー…」
つい昨日のことだ。ごんべが失恋をしたのは。
付き合った期間は半年。
これが中学高校なら十分長いと言えるのかもしれないが、思春期なんてものはとうに終えてしまったごんべにとっては決して長い期間とは言えない。
しかも、1年も続かない関係がこれで3人目なのだから尚更だった。
毎回付き合いを申し込むのは相手の男性で、別れを切り出すのはごんべの方だったから正確には失恋とは言えないのかもしれないが。
それでも、一つの恋愛が早すぎる終わりを迎えたことに変わりはない。
「(どうしても、比べちゃうんだよね)」
3連続の短い恋愛の前、ごんべには長く付き合っていた相手がいた。
昔からの顔馴染みで、自分よりも遥かに大人で、纏っていた独特の空気は人を寄せ付けないようで惹きつける、そんな存在。
もう終わった関係なのに、終わらせたのは自分なのに、どうしても思い出しては自分の隣にいる人と比べてしまう。
そんな、存在。
別れた原因は単純だった。
大学を卒業して互いに自分のことで忙しくて、それでも彼は自分を気にかけてくれて、弱い自分はそれに耐えられなかった。
ただそれだけ。
自分は一杯一杯で、会いたいのにその時間が取れなくて、会いたいと願うだけで彼自身を気にかける余裕がなくて、そんな自分が嫌になった。
だから向こうに愛想を尽かされる前に、こちらから別れを切り出した。
自分の心を守るために、そうするのが“お互いの為に”一番なんだと思い込むことにして。
本当は引き留めて欲しかったのかもしれない。
けれど彼は一言、「そうか」とだけ答えて身を引いた。
彼は、どこまでも大人だった。
「…ミホーク」
無意識に漏れたその名前に、は、と口を引き締める。
自ら別れを切り出しておいて未練たらたらとは、なんて傲慢で惨めなんだろう。
頭上に咲き誇る桜の花を見上げて、思わず苦笑する。
…ここは、ミホークに突然呼び出されて告白された、まさにその場所なのだ。
あの時も確か、こうして桜が咲いていた。
その時のことをはっきりと思い浮かべることができるくらい、ミホークとの思い出は鮮明に残っている。
昨日別れた相手と初めて出会った場所すら、うろ覚えだと言うのに。
「(確か、高校の卒業式の次の日に呼び出されたんだよね)」
『もう来ていたか』
『昨日ぶりだね』
『そうだな……ごんべ、』
『ん?』
『好きだ』
同じ大学に進学が決まっていたミホークに突然呼び出されて、冗談交じりの挨拶をしたかと思えば二言目に想いを告げられて。
最初は何が起きているのか分からなくて戸惑ったけれど、ミホークのことは友達以上の存在として気になっていたから同じ言葉を返して、そうしたら遠慮がちに抱き締められた。
最初こそ友達感覚が抜けなかったけれど、ごんべがミホークに恋以上の感情を抱くのに時間はかからなくて、そういうのも全部含めて彼はごんべを受け止めてくれていた。
こんなことを思い出しても仕方がないことは分かっている。
それでも思い出は色濃く残っていて、それはつまりミホークに対する想いは未だ消えていないという意味で、見上げた桜の木から花びらが舞い落ちるたびに色んな記憶が甦ってきた。
風に舞う花びらを掴もうと、手を伸ばしてみる。
けれどそれは自分の手が起こした僅かな風にも反応して、中々捕まえることができない。
「(ミホークは、上手かったんだけどな)」
掴もうとした花弁が地面に落ちたのを見届けて、ごんべはようやく桜の木に背を向けた。
これ以上ミホークのことを考えないように、小さく頭を振って。
「……久しぶりだな、ごんべ」
「え…」
一歩、公園の出口へと足を進めたごんべの耳に、聞き違える筈のない声が届いた。
別れてから、一度も聞いていない声。
相変わらず抑揚の少ない低い声は、甘くごんべの鼓膜を揺さぶった。
「なんで…」
「色々と、話を聞いたものでな」
一歩を踏み出したまま固まったごんべにゆっくりと近付いてくるのは間違いなくミホークその人で。なんで、どうして、と思っても、ついさっきまで想っていた相手を目の前にして上手く言葉が見つからない。
「3人目だそうだな」
「なんで、知って」
「分かるだろう」
「…まさかシャンクス、」
「本当は奴に感謝などしたくはないのだが」
今回ばかりは仕方がない、と苦笑して、ミホークがすぐ目の前にやってくる。
見上げた先にあるのは信じられないくらい穏やかな瞳で、自分から別れを切り出した筈なのに、それを見た瞬間何故だか涙が零れてしまった。
「…あの時は、おれも引き留められるほど大人ではなかった」
「違う、私が…!!」
「二人分の将来を背負えるようになるまではと思っていたが…奴から新しい男の話を聞くたびに気が気ではなかった」
「だって、」
「…だが」
ミホークの大きな手が頬に添えられて、その親指が目尻に溜まっている涙を掬い取る。
優し過ぎるその仕草は、新しい恋をして押し込めようとしていたごんべの気持ちを掘り起こすには十分すぎて。
「まだ、心は変わっていないらしいな」
一枚も二枚も上手を行くミホークに何もかも見透かされているような気がするけれど、なんだかもうそんなことはどうでもよくなってしまって。彼の腕に促されるまま、その胸に飛び込んだ。
「ごめん、なさ…ごめんなさい…!!」
「泣きながら謝られては格好がつかんだろう」
「だって、私…っ」
「折角迎えに来たのだ、笑え」
「ぅう…ミホーク…」
涙を拭われながら、ぐに、とごんべの頬を持ち上げるミホークは何処か楽しそうで。
きっと涙のせいで顔はぐしゃぐしゃなんだろうけれど、ごんべはここ数年で一番の笑顔を作れたような気がした。
「わた、私、あんな事したのに…またミホークの隣にいていいの?」
「当たり前だろう」
「私、ミホークのこと好きでいていいの?」
「無論だ」
満足げに笑ったミホークに、もう一度強く抱き締められる。
懐かしい香りに頬だけでなく涙腺まで緩んでしまって結局笑いながら泣きじゃくれば、今度は涙の跡を伝って下りてきた唇によって吐息を奪われてしまった。
「主を幸せにできるのはおれだけだ」
ゆっくりと離された唇は触れるか触れないかの距離で止められて。
いつの間に嵌められていたのか、左手の薬指に光るシルバーリングに気付いたのと同時に贈られた台詞が、ごんべの涙腺を崩壊させるのに時間はかからなかった。
思い出の木の下で
(涙脆いところは変わらんな)
(だってぇぇ…!!)
(まぁ良い…ところで新居だが)
(…ミホークも変わんないね)
(何がだ)
(そのマイペースなとこ)
(そうか?…何か言いたげだな)
((気付いてないあたりがミホークたる所以だよね)…ん。やっぱ大好きだなって)
(…そうか)
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みにら様からリクエスト頂きました。
台詞は「主を幸せにできるのはおれだけだ」でした。
ミホーク現パロで、元恋人というリクでしたが…ムダに長いうえに、イメージ的に若い感じになってしまいました、すみません。
しかも最後、危うくただのバカップル…ご、ご希望に沿えていれば幸いです。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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