S×R 桃鳥連載 | ナノ


時間を自在に操れたなら


慣れ親しんだ町の、オレンジがかかった港の明かりが徐々に遠くなっていく。
雲の広がっていない空では月がこれでもかという程に明るく存在を主張しているけれど、夜の海というのは思っていたよりずっと暗いものだ。

そんな中やっとこさ人生初の船酔いの治まった私は、テーブル越しにドフラミンゴさんと向かい合ってやたらと豪華な船室でお茶を嗜んでいるのだが(当たり前と言うべきか、ドフラミンゴさんは高そうなお酒を飲んでいる)。

「……で?」
「……はい?」

猫舌の私がカップのお茶を冷ましていると、グラスのお酒を半分ほど残してドフラミンゴさんが唐突に話を振ってきた。
いや、正確には話を振られたんじゃなく、私は何かを促されているらしい。
だとしても「で?」だけでこの人の言わんとするところを理解するなんて芸当は私には出来ないから、恐る恐る聞き返すしかないのだけど。

「お前ェ、名は?」
「あ……権兵衛、です」
「権兵衛、ね」

私の名前を復唱して、ドフラミンゴさんは口角を上げたままサングラス越しにこっちを見ているらしい。
お店に現れた時のお客さんの反応とか、これまでにほんの少し聞き齧った話からして聞き返すなんてしたら「俺の言いたい事くらい察しやがれ」とか何とか傍若無人なことを言われるかもしれないと構えてはいたけれど、そんなことはないようだ。
意外にも普通の反応に、じっと見つめられている気配を感じても居心地の悪さはあまり感じない(私を拉致してる時点で普通ではないんだろうけど)。

「あの、ドフラミンゴさん」
「なんだ?」
「この船、何処に向かってるんですか?」

拉致といえば。
実は呑気に茶など嗜んでいる場合ではないことを思い出して、慌ててカップをソーサーに戻し少しだけ身を乗り出す。
ドフラミンゴさんはグラスを片手に一人掛けのソファに背中を預けていて、三日月を描いた唇はそのままに頬杖をついている。
心なしか、その表情は私の言動を面白がっているように見えた。

「フッフッフッ、何処にも向かっちゃいねェよ」
「…は、え?」
「もともと俺の旗を掲げる奴がヘマしたって聞いて出てきた退屈凌ぎの航海だからなァ。そのあとどうするかなんざ決めちゃいねェ」
「マジですか」
「マジだぜ、フフフッ」

ドフラミンゴさんの回答に、開いた口が塞がらなくなってしまう。
本当に私は、いつになったら帰してもらえるのだろう。
行くべき場所があるならいざ知らず、目的地のない航海なんていつ終わるかも分からない。
本当にこの人は、私を“借りた”つもりでいるのだろうか。

「どうしたよ権兵衛チャン?」

んん?と、不敵な三日月はそのままに、ずいと顔を近付けて来る。
5分前までの私ならコンマ1秒で後ずさっていただろうに、今の私はそれにすら反応できずにいた。

頭に浮かぶのは優しく笑うマスターと、身寄りのない私によくしてくれた常連さん達の姿。
それとなぜか同時に、初めて私が名前を呼んだ時に満足そうに笑っていたドフラミンゴさんの顔と、酔った私の背中をさすってくれた大きな手の感触も。
全部が浮かんでは消えて、浮かんではまたゆらゆらと漂う。

一体私はどうしてしまったんだろう。
本当なら泣いて喚いて帰してくれと懇願したっておかしくないのに。
さめざめと涙して、人形みたいに黙ってふさぎ込んだって変ではないというのに。

「…権兵衛?」

そんなふうに優しい声色で名前を呼ばないで欲しい。
騙されているだけなんだと思いながらも、その声を信じたいと思ってしまう。

私の目は、きっとゆらゆらと揺れているんだろう。
ドフラミンゴさんの三日月は徐々に新月に近くなっていって、色の濃いサングラスには私の顔が映っている。
けれど、私ってば随分マヌケな顔をしているな、と人事のように思ったところで、私の体は金縛りにあったように動かなくなってしまった。

「え…」

手も足も動かせないのに、私の意思に反してゆっくりとソファから立ち上がる体。
唯一自由になる視線でドフラミンゴさんに何が起きているのかと訴えかけた時に見えたのは、くいくいと小さく動く彼の長い指だった。

「…まァ、すぐに帰してやるからそう不安がるんじゃねェよ」

そして次の瞬間、私の視界は一面ピンク色に染まってしまった。

あぁこれは、船に連れてこられる間中間近にあった感触だと。
それに包まれていると理解したのと、一気に緊張から解き放たれたような気がしたのは同時だった。

それは、得体の知れない恐怖から逃れられたからなのか。
それとも、着地地点がドフラミンゴさんの腕の中だったからなのか。


時間を自在にれたなら

時間を戻して今日という日をやり直すのか、
時間を止めていつまでもこの感触に浸るのか。
自由なはずの体を動かせずにいる私は、一体どちらを選ぶんだろう。

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