S×R 桃鳥連載 | ナノ


間違いなく人生最悪の日だ


そういえば、今日は朝から運が悪かった。

夢見の悪さで目が覚めて、起きてまず最初に汗をかいた不快感に眉を寄せる羽目になった。
春島の冬だというのに。

のそのそと行動を開始して早々向かい合った鏡の中で重力を無視して直角に立ち上がった寝癖を発見したから、ついでに汗も流してしまおうと風呂場に入ったら昨日の夜閉め忘れた窓から冷たい風が吹き込んできて思いっきりくしゃみをした、瞬間にシャワーヘッドに頭をぶつけた。
痛かった。
そういえば頭を洗ってるときシャンプーが目に入ったのも地味に痛かった。

風呂場から出て服を着ていたら久しぶりに袖を通したセーターに虫食いを見つけてしまったし、履いた右の靴下のつま先に穴が空いていた。
着替え直してさてメイク、と思ったらファンデーションが割れていて、メイクポーチのジッパーが壊れた。
そんなこんなで結局朝の準備にいつもより時間をとられてしまって、急いで食パンだけかじっていたらインターフォンの音。
何かと思ったらなんのことはない、最近新しく発行されることになった新聞の勧誘で、いらんと断って追い返していたら出勤の時間。

鞄に必要なものを詰め込んで、さっさと家を出て鍵を締めて、あぁもう、と走って店に向かった。
私が働いているのは昼から営業している個人経営のバーで、料理も美味しいからランチの時間も中々忙しくなるお店なのだ。
早く行って仕込みを手伝わなければマスターが倒れてしまう。
なんせうちのマスターは料理も酒も上等だがしかし体力がないのだ、残念ながら。

そんなこんなで遅刻ギリギリのとこでようやくお店に到着して、今日も元気にマスターに挨拶した。

そのあとはいつものように仕込みを手伝って、12時の開店と同時に来店する馴染みの客からオーダーをとって、調理するマスターをサポートしながら料理を運ぶ。

そこまでは平和だったのに、ランチタイムが過ぎて客も疎らになった頃、久しぶりに入店してきた質の悪い海賊に絡まれてしまって、なんとかかわしながらこっそり海軍を呼んだ。
ちょっとした捕物で野次馬が集まったりもしたけれど、そのあとはまたいつものように夜の営業にむけての準備。


…と、ここまではまぁ、ただ運が悪かったってだけの話なんだろう。



だがしかし今の状況は、はて。
私にはこれが、運が悪いなんて言葉で片付けていいものとは思えません。





「フッフッフッ、捕物があったってのはこの店か?」

日が落ちて、マスターのお酒を求めてお客さんが入りはじめたこの時間帯に。
店の入口が小さく見えてしまうくらい大きな男のシルエットが現れたのだ。
男は目に痛いピンクのもさもさとした上着を羽織り、色の濃いサングラスをかけて、三日月型に大きく口端を持ち上げていて。
疑問形でありながら否定を許さない、そんな確信めいた口調で宣いながら、男の身長には些か低い入口を背を丸めてくぐり抜けた。

「し、七武海…!!」

その扉に一番近い席に座っていた男が顔を青ざめさせながら発した一言で、店内の空気が一変した。
さっきまでカチャカチャと響いていた食器やグラスの音も、男が現れてからヒソヒソと囁かれていた話し声も、全ての音が消えてしまったのだ。
かくいう私も、動きを止めてついでに息まで止めてしまった。
だって、七武海って、そんな。

だけどそんな空気はお構い無しに、男は恐ろしいまでの笑みを浮かべたまま皿と布巾を手に固まった私に近付いて来る。

ちょっと待って、なぜ私に近付くのか。

「海軍を呼んだってのはおめェか?」

私かと思ったら、男の視線の先にはマスターがいたらしい。
そういえば、マスターは今私の隣でグラスを磨いていたような。
男から視線を外さないままちらりとマスターを視界に入れれば、彼はグラスを持ったまま文字通り固まっていた。
言い忘れていたが、マスターは体力がないうえにあまり気が大きくないのだ。

「あァ?聞こえてんのか?」

完全に固まってしまって口も動かせないマスターを、男は首を傾げながら背を屈めて見下ろしている。

あぁどうしよう、七武海だから一般人を手に掛けたりはしないと信じたいけれどこのままじゃ機嫌を損ねること請け合いだ。
そうなったらどうなるか分からない。
もしかしたら店を潰されてしまうかもしれない。
本当にどうしようこのままマスターが連行されてしまうかもしれない。

冷静になればもっとマシな結論に至っただろうに、こんな状況で冷静になるなんて無理な話だった。
ここまでを僅か2秒の間に考え出した私の脳は、そのまま私の声帯にとんでもない指令を出してしまったらしい。


「私です私が海軍を呼びましただからマスターは関係ないんです何でもしますからお店とマスターには手は出さないで下さいお願いします!!」

頭が真っ白だ。
今自分は何を言った。
後悔してももう遅い。
完全に、手遅れだ。

全てを一息で言い切って少し乱れた呼吸をなんとか整えようとしていると、マスターを見下ろしていた男がこっちを見た。
ニタァと効果音が聞こえてきそうな笑みを更に深めた男は、フッフッフッ、と零して一歩。
硬直した私の目の前に踏み出した。

「フフフッ…何でも、ねェ?」

近い近い近い。
あんまり顔を近づけないでほしい。
そう思っても何故か視線は反らせなくて、私は皿と布巾を強く握り締めたまま男と対峙する。

次の、瞬間。

「おもしれェ…フフッ、フフフッ、こいつ借りてくぜ」

カウンター越しににゅっと伸びてきた手に腰を捕まれて、私の身体は宙に浮いた。

「……………えぇ!?」
「フフフッ、あんま動くと落とすぞ」

言われて思わず男の腕にしがみつく。
いやいやなんでどうして。
拉致か拉致なのか。

だけど相手は七武海。
能力者でもなんでもない私が下手に抵抗なんてできるわけがないから、フッフッ、いい子だ、なんて満足そうにほざいたこの男に大人しく拉致られるしかない。

背後で、さっきまで私の手の中にあった皿が床とぶつかって派手に割れた音が聞こえた。
男の小脇に抱えられた状態で店の出入口に向かう途中で、店内からいつの間にかお客さんが消えていたことを知った。
最後に振り返った先で、マスターがさっきと変わらぬ体勢のまま固まっているのが見えた。

そして。
私は気付いた。



今日という日は、
間違いなく人生最悪の日だ

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