悔しいけど貴方が好き
コンコン、コン
あぁほら、また。
「よォごんべちゃん、遊びに来てやったぜ」
自室と隣接した執務室であるこの空間と廊下とを隔てる扉が独特のリズムを奏でてすぐ、1秒と経たないうちに開け放たれればそこにあるのは相変わらずのド派手なピンク色。
もちろん、決して気配を事前に察知した私が喜び勇んで迎え入れたという訳ではない。
このド派手なピンク色を纏った大男が勝手に、そう勝手に侵入して来るのだ。
勝手に入り込んでおいて遊びに来てやったといけしゃあしゃあと宣うこいつは、泣く子も黙る王下七武海が一角、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
いや、もう、フラミンゴでいい。
「返事する前に開けたらノックの意味がないって何度言わせりゃ気が済むの…この鳥頭が」
「あァ?なんか言ったか?」
「何も」
このやり取りをするのももう何度目になるだろう。
絶対に聞こえている筈のフレーズを惚けて受け流して、この男はフッフッ、と零しながら執務室の真ん中に配置された3人掛けのソファを陣取るのだ。
あぁほら、やっぱり今日も。
「フフフ…相変わらず忙しそうじゃねェか」
「分かってるなら来るな。今すぐ帰れ」
「聞こえねぇなァ?」
「……白々しい」
無意識のうちに、はぁ、と重たい溜息が唇から漏れる。
本当にこの男は何がしたいのだろう。
突然現れたかと思いきや、軽口を叩くだけ叩いて何をするでもなく茶を飲んで帰る。
そうして毎度毎度忘れた頃に現れては、私の記憶に留まりつづけるのだ。
自分の記憶力が、この男のために休むことなく使われていると思うとなんだか面白くない。
しかもつい最近少将に昇格したばかりの私には、今まで回って来なかった膨大な量の“仕事”がやってくるようになっていて。
自分にそのつもりがなくても疲労は溜まっていくのだから尚更だ。
現に今まさに向き合っている私のデスクには、判を捺されて提出されるのを待つ書類が積んであって。
あ、ほら、早く判を捺してしまえと訴える一番上の書類と目が合ってしまった。
「何だよごんべチャン、机と睨めっこか?」
机じゃない、書類だ。
そんなツッコミさえ口に出すのが億劫になってくる。
そもそも書類と目が合うとか思ってしまう時点で重症だったのかもしれない。
ふと壁に掛かっている時計を見上げて、あぁ、この男が来なくともそろそろ休憩を入れる時間だったのかと気づく。
三人掛けソファのど真ん中に無駄に長い足を組んで座るピンクの鳥がチョイチョイと手招いているのが視界に入って、誘いに乗るのは癪ではあるけれどこれ以上書類と目を合わせないようにと立ち上がった。
「なんでそっちに座るんだよ」
「アンタがど真ん中陣取ってるからでしょうよ」
「ここが空いてんだろ?」
「断る」
これまた癪ではあったけれど、ついでだと自分に言い聞かせて二人分のコーヒーを入れてテーブルに置く。
そのままフラミ…ドフラミンゴの向かいの一人掛けソファに腰を下ろせば、奴は背もたれに預けていた左腕を上げてここが空いてるとほざいたもんだから、誰が好き好んで貴様の隣に収まるかとコーヒー片手に睨みあげた。
「フフッ、おォ恐い」
「煩い静かにコーヒーを飲め」
「どちらかといえば酒がいいんだがなァ」
「文句があるなら帰れ」
いつものように芝居じみた大袈裟な所作で両腕を持ち上げ、三日月のような口端もくいと上げるこいつは本当に質が悪い。
フッフッフッ、と笑いながら楽しんでいるのだ。
私の反応を。
「……何すんの」
コーヒーカップとソーサーがカチャリと音をたてた瞬間、私の身体はカップから手を離した状態のまま固まった。
考えるまでもない、目の前で相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべるこの男の仕業だ。
背もたれに両腕を預けた体勢は変えぬまま、左手の指だけがひょこひょこと動く。
そのリズムの通りに、私の身体はテーブルを迂回してピンクの塊に近付いていく。
「…意味わかんない」
「フフフッ、素直じゃねェな」
そのまま左腕に抱き込まれて、私はフワフワしたピンクの羽毛に沈むことになった。
されるがままに顔を埋める私を見下ろして、ドフラミンゴが満足そうに笑ったのがわかってしまう。
抵抗しないんじゃない、できないんだ。
私は疲れてて、この男に操られてて、この男の腕の中が思いのほか心地良かったから。
すでに身体はこの男の支配から放たれていることは分かってる。
それでも、ずっと前から知っているようで実は知らなかったこの感触に、酔いしれてしまう。
「眠い」
だからこうして、全ては疲労からくる眠気のせいにしてしまえばいい。
「フッフッフッ、いいぜ、寝ちまっても」
「書類…」
「起こしてやるよ」
なんなんだ、一体。
こんなふうに甘い声で囁いて、こんなふうに優しく髪を撫ぜるなんてことをするような奴だったのか、この男は。
そこでようやく、私はドフラミンゴという男についてあまりにも知らなさすぎたことに気付いた。
海軍に身を置く中で耳にした良くない噂、それが今までの私の中で、この男の全てだったのだ。
「良い夢見ろよ、ごんべ」
それでも会う回数が増すごとに無意識下でドフラミンゴを受け入れ始めていたことに思い至ってしまった時点で。
私はもう、深い眠りと自分の髪にキスをしたこの男に
堕ちてしまっていた。
目が覚めたら伝えよう。
悔しいけど貴方が好き
だからそれまでは、この不思議な心地良さに目を塞がせて。
「…起きろよごんべ」
「ん…良く寝、た…ってちょっと、終業時間過ぎてるんだけど」
「フッフッ、起こしただろ?」
「遅すぎるわ!!あぁぁあぁ書類の期限が!!!」
「フフッ、フッフッフッ(あんだけ気持ち良さそうに寝られちゃァ起こすに起こせねぇよ)」
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