とびきり甘いのをお願い
夜も更けて、月明かりさえ遮るほど分厚い雲からは絶え間なく雨が落ちている。
その雨が寝室の窓ガラスを叩く音を聞きながら、鏡に映る自分の顔を見詰めて溜息をついたのは他でもない、ごんべだった。
はぁぁ、と吐きだした重たい溜息が鏡を曇らせたが、その代わりにごんべの心が晴れるなんてことはなくて。
『溜息をつくと幸せが逃げる』なんていうのも満更嘘ではないのかもしれない、と思ってしまうくらい、考えれば考えるほどごんべの心は重たくなるばかりだ。
何故こんなにもごんべが落ち込んでいるかといえば、原因は夫であるミホークとの喧嘩…という訳ではない。
むしろミホークとの関係はいたって良好だ。
今日だってミホークの仕事が早く終わるから、夕食でも食べに行かないかと誘われてデートしてきたくらいだ。
いつも忙しそうなのに、たまに空いた時間ができるとこうして自分の為に使ってくれる。
休みの時くらい、気を使わずにゆっくりしてと言ったこともあったけれど、「一人で休むよりごんべと過ごす方が良い」なんて言ってくれたりして、とにかくそんな惚気がすぐに頭に浮かぶくらいには彼との関係は良好。
…なのだけれど。
事件はその、デートの帰り道に起きた。
駐車場までは少し歩く距離にあって、けれど急に雨が降り出してしまったから傘なんて持っていなかった。
まだ小雨だから走ろうか、なんて笑ってみたけれど、ミホークに車を回すから待っていろと言われて大人しく待っていた時。
一体何年ぶりかと思ってしまうほど、久しぶりに“ナンパ”というものをされたのだ。
こんな高そうなお店が並ぶ界隈にもいるもんなのか、とむしろそっちに驚いたくらいだったのだけど。
何やら早口に捲し立てる二人組の言葉は全て聞き流して、ミホークはまだかな、なんて暢気に考えていたら突然腕を掴まれて。
どうしたものかと困っていた所で、路肩に止めた車から降りたミホークに助けられた。
と、ここまでは良かったのだ。
問題はその時、ナンパしてきた男達が発した一言にあった。
『なんだ親父と一緒かよ』
もしかしたらミホークは聞こえていなかったかもしれない。
けれどその一言はごんべの耳には届いてしまって、それが原因で今こうして沈んでいるのだ。
ドレッサーの前で生乾きの髪に櫛を通しながら、再び溜息を吐く。
あれが親子という意味なのか、援助交際という意味なのかは分からない。
けれど、どちらにしても良い意味ではない。
昔から童顔だとは言われてきた。
ごんべもそれは自覚していたし、元々年齢の離れているミホークと並ぶと夫婦に見えないこともあるんだろうとは思っていた。
しかし、それを他人に指摘されてしまうとこうも心が痛むものなのか。
「……いっそ整形したい」
櫛を置いて、目を伏せながらそう呟く。
そこまで子供に見えるだろうか、ともう一度鏡を見上げたところで、その端に無表情ながらも目を見開いたミホークが立っていることに気がついた。
「ミホーク?」
「……」
あまり表情を変えない彼にしては珍しいと、ごんべは背もたれに手を掛けながら振り向いた。
首にひっかけたタオルで髪を拭いていたところなのだろう、けれどその手は頭の上で静止していて、ミホークは驚愕の表情を浮かべているようだった。
「…どうしたの?」
そのただならぬ様子にごんべも不安になってきて、ミホークに近付こうと立ち上がる。
けれどごんべが一歩踏み出すと同時に、長い足を大股に踏み出したミホークにあっという間にがっちりと両肩を掴まれてそれ以上身動きが取れなくなってしまった。
「み、ミホーク?」
「一体どうした」
どうしたと聞きたいのはむしろこっちだったのだけれど、ごんべはあまりに真剣な眼差しで問い詰めてくるミホークに二の句が継げなくなってしまう。
思わず眉を寄せてしまったけれど、次にミホークが発した言葉で、ようやく彼の言いたいことが理解できた。
「整形とはどういうことだ」
どうやら、独り言ちたのを聞かれていたらしい。
ポカンとするごんべだったけれど、尚も真剣な眼差しを向けてくるミホークにはっとして、おずおずと事情を説明することにした。
「…それで、その…いっそのこと整形してしまいたいくらいだ、と、思って」
「……そうか」
ごんべは長くなるから、とミホークを促して、ベッドに隣同士に腰かけていた。
そこであの発言をするに至った経緯を説明する。
最後まで説明し終えたところで、ごんべは隣に座るミホークに顔を向けた。
対する彼はずっとごんべを見詰めていたようで、見上げた瞬間その視線がかち合った。
「やっぱり、子供に見えるのかな…」
勝手に気まずくなってしまって、ぺたりと自分の頬に手を当ててまた俯く。
けれど完全に視線が床を捉える前に、ごんべの顔はその小さな手ごとミホークの大きな手に掬い上げられた。
「ミホーク、」
「おれはそうは思わない」
強制的に合わせられたミホークの目は少しだけ細められていて、ごんべはその視線にふと涙腺が緩むのを感じる。
「子供だと思っているなら…」
多分嬉し泣きなのだろう、目頭が熱くなってくる。
けれどもう少しで涙が零れそうだと思った瞬間、強い力で腰を抱き寄せられて、視界がミホークの顔でいっぱいになった。
「おれはこんなことはしない」
頬にあてられていたミホークの手が髪をかき分けるようにして後頭部に移動して、それと同時に息が止まった。
正しくは、呼吸を奪われてしまった。
ごんべの唇を覆うように塞いできたのは他ならぬミホークの唇で、最初から何もかもを奪う様なその口付けは身体中を熱くする。
「…そうだろう?」
ちゅ、と音をたてて下唇を吸われて、吐息のかかる距離で口端を持ち上げたミホークにそんなことを言われてしまっては。
「…ミホークのばか、大好き」
「知っている」
そのままベッドに押し倒されたって、何も文句は言えないのだ。
とびきり甘いのをお願い
(全部全部、忘れさせて)
Title>>確かに恋だった
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50000打アンケートでネタを提供して頂きました。
現代夫婦パロで童顔妻が勘違いされる筈がどうしてこうなった。←
ネタ提供ありがとうございました!!
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