002
「…おい、聞こえているのか」
次に男性の声が聞こえて、私はようやくその声が聞こえた方向に顔を向けた。
彼は、さっき周りを見回すときに素通りしていた方向に立っていた。
一体いつからそこに、なんて疑問は私の口からは出てこなくて、ただ茫然と、静かにそこに立つ男性を凝視することしかできなかった。
つばの広い飾りの付いた帽子に、前の肌蹴た黒いコート。
背中に大きな十字架を背負っていて、素肌の見える胸元にもまた、金色の十字架が太陽の光を反射している。
どうみても普通の人じゃない。
日本語を喋っているのに、どうみても日本人ではない。
服装から顔立ちから、すべてが私の常識とはかけ離れている。
男性はそのまま私の様子を窺っているようで、鋭い視線が逸らされることはない。
よく見ればその瞳も、帽子の陰で金色に輝いていた。
普通じゃない、けれど、今のこの状況を打破するためにはこの人に頼るしかない。
本能がそう言っているような気がして、私はいつの間にかカラカラに乾いていた喉を必死に震わせた。
「ここ、は、何処ですか」
ザザァー…ン
確かに寄せては引いている筈の波の音さえも、今の私の鼓膜を震わせることはない。
ただ、無音。
私をじっと見据えたままでいる目の前の男性の言葉を一言一句聞き漏らすまいと、私の意識の全てはそこにロックオンしていた。
「…グランドラインの…(島の名前は何だったか)」
「グランドライン?」
「偉大なる航路…知らんのか?」
男性の低い声が、鼓膜を揺らす。
聞いたことのない場所、偉大なる航路。なんじゃそりゃ。
「…太平洋とか、大西洋とか、日本海とか、オホーツク海とか、そういうところじゃないんです、か」
「そのような海は、存在しない筈だ」
動かない頭で出てくる限りの海の名前を挙げてみる。
その全てを、否定された。
「ここは、日本ではないんですか」
「ニホン?…悪いが、聞いたことはない」
「じゃ、アメリカは?イギリスは?」
「一体何を言っている」
「じゃぁ、それじゃ……」
「ここは、私がいた世界では、ないんですか?」
主は、異海人か。と。
呆然と立ち尽くす私に告げた男性の言葉が、やけに耳に残った。
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