016
酒場を後にしてから宿に戻るまで、私もミホークさんもずっと無言だった。
普通に歩いてもほんの10分かそこらの距離だというのに、1時間にも2時間にも感じられてしまうような…決して居心地のいいものではない、ただ重たい沈黙。
これまでは歩いている最中私からよく話しかけたりしていたけれど、どうしてもそれができなかったのだ。
何故かってそれは、どうしてもさっきの男の言葉が耳から離れなくて。
―――鷹の目の気まぐれ…
その言葉は宿の部屋の扉をくぐった今もまだ、私の頭の中で木霊し続けているのだ。
「…今日はもう寝ますね」
話しかけるだけじゃなくて、ミホークさんと目を合わせることもできない。
とにかくこの空気から逃れたくて、私は精一杯の作り笑顔を張りつけてそう言う他なかった。
どうして私はこんなにも動揺しているんだろう。
異世界にやってきたと知った時、私は自分の力で何とか生きようと、きっと何とかなると、そう思っていた筈だ。
正確にはそれは過去形なんかじゃなくて、今でもそう思ってる。
ミホークさんに助けてもらっている今でも、すぐにはできなくてもちゃんと自立しようと、ずっとそう思っている。
何もかも頼りっぱなしなんてそんなの嫌だから、ちょっとずつでも頑張っていこうと。
思い上がりかもしれないけど、その決意は揺らいでいないのに。
ならどうして動揺する必要があるんだ。
自分の力で生きていく決意があるなら、たとえミホークさんに飽きられようと置いていかれようと見捨てられようと、そんなの関係ない筈じゃないか。
でも、だけど……
重たい足を何とか動かしてベッドルームに向かおうとした私の身体は、そこまで考えたところでそれ以上前には進めなくなってしまった。
俯く私の右腕を掴む、大きくて少し体温の低い手。
この部屋には今私以外に一人しかいなくて、その手が誰のものかなんて考えなくても分かってしまう。
「…ミホークさん」
「……」
ミホークさんは私の腕を掴んだまま、ゆっくりと私の正面に移動した。
それでも私は顔を上げることはできなくて、黙ったままのミホークさんが何を言い出すのか、それが今考えられる最悪のものではないことを願うだけだ。
「…何を考えている?」
「…何、も」
けれど、聞こえてきた声は思いのほか穏やかで優しいものだった。
それに一瞬息を呑む。だけど今の気持ちを正直に話すなんてことはできなくて、私は俯いたまま嘘を吐いた。
「おれを見ろ、ごんべ」
ミホークさんには私の嘘なんてばればれなんだろう。
右腕を掴んでいたミホークさんの左手はゆっくりと私の肩に添えられて、その優しい手つきに無意識の涙が零れた。
それを見られたくなくて、小さく首を振る。
…残念ながらこの涙の意味なんて、とっくに分かってしまった。
「…ごんべ」
穏やかな声色で私の名前を呼ぶミホークさんは、一度肩に置いた手をするりと私の頬に添えて。
その手に促されるまま、私はミホークさんと目を合わせた。
「何を考えている…?」
顔を上げた先には、いつもの無表情とはまた別の…初めて見る、ミホークさんの真剣な表情があった。
私の涙に気付いてか、一瞬だけその金色の瞳が揺らいだような気がしたけれど。
ミホークさんがあんまりにも優しく聞いてくるものだから、ついに私の涙腺は崩壊してしまった。
「私、自分の力で生きてやるって決めたけど…っ!!」
「……」
「絶対、生き延びてやるって決めたけどっ」
「……あぁ」
ぼろぼろと零れ落ちる涙を、ミホークさんの親指が掬ってくれるのが分かる。
けどもうそれだけじゃ涙は止まってくれなくて、視界の中のミホークさんがだんだんとぼやけていってしまう。
それと、ついさっき頭の中で考えた、私に背を向けるミホークさんの後姿が重なって。
「わたっ、わたし…っ、ミホークさんと一緒がいいです…!!」
それ以外のことは何も、考えられなくなってしまった。
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