015
「フフッ、フフフッ!!」
不気味な静寂の後、徐にピンクの男は笑いだした。
ミホークさんは全く表情を変えないまま男を睨みつけている。
私は二人の様子を見比べていたけれど、それができたのはほんの僅かの間で。
男がひとしきり笑って再び私に顔を近づけた時、私の身体はまるで金縛りにあったように動かなくなってしまった。
それと同時に耳に触れそうな距離で低く囁かれた男の言葉によって、思考までもが制止してしまった。
「鷹の目の気まぐれが終わったら…おれの所に来いよ」
待ってるぜ、と。
しかし男がそう言い終わるか終わらないかのうちに、私の顔の真横に黒い光が走った。
ミホークさんの、夜だ。
全てが一瞬。
黒刀を柄へと辿ればそこには座ったまま男を睨みつけるミホークさんがいて、逆を辿れば諸手を上げて降参の意を示すかのような体勢で笑う男の姿があった。
「フッフッフッ、鷹の目がご立腹か!」
「その位にしておけ」
「仕方ねェ…またなお嬢ちゃん、次に会うのを楽しみにしてるぜ」
男は芝居がかった所作で私の左手を取り、その甲にキスを落とした。
普段の私であれば照れて真っ赤になる所なんだろうけれど、今はそんな風には感じられなくて。
男の手から解放された左手は重力に従ってぶらりと落ちる。
私は何の反応もできないまま、独特な笑いを零しながら立ち去る男の背中を呆然と見送った。
ミホークさんが刀を持ち出したことで、店内は静かになっていた。
もしかしたら、彼の正体に気付いたのかもしれない…店の入り口付近に集まっていた海賊らしき集団がいつの間にか姿を消していたらしい。
「…奴の言ったことは気にするな」
「……」
「……ごんべ、」
「あ…は、い」
「…宿に戻るぞ」
傍らに置いていた帽子を目深に被って、ミホークさんが夜を背負い立ち上がる。
私もそれにならって店の出入り口に向かったけれど、自分でも分かるくらい上の空で。
ミホークさんが店のオーナーらしきおじさんに「騒がせたな」と見るからに多い代金を支払っているのさえ、ただぼんやりと視界の端に映り込んだだけだった。
(私の頭の中で、さっきの男の台詞が延々と繰り返されていた。
“鷹の目の気まぐれが終わったら”……
そうだ、私はもともと彼の暇つぶしで拾われただけなんだと。
その現実を突き付けられて、何故か心臓を握り潰されるような苦しさを感じていた)
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